第2章/3話
学校を出た瞬間、夜の空気が肌を刺した。
昼間はまだ秋の名残があったのに、
日が沈むと冬の手前のような冷たさを帯びる。
制服の上から腕を抱いて歩くと、息が白くなりそうだった。
国道沿いのコンビニの明かりが滲んで見える。
それは、文化祭の日に彼と元カノが映っていたあのコンビニを思い出させた。
思い出さないようにしよう、と何度思っても、
結局、夜になると浮かんでくる。
今日は彼と同じ塾にいて、
同じ空気を吸って、
同じ机の列で勉強していたのに。
帰りは一緒ではない。
「先生にプリント返してくるから、先帰ってええで」
そう言われたとき、
ほんの数秒だけ胸が沈むのを感じた。
理由はわかっていた。
それが特別な意味なんてないことも。
ただの時間差。
ただの都合。
それでも、一緒に帰れないというだけで、
少しだけ夜が暗くなる。
信号が赤から青に変わったとき、
スマホが震いた。
取り出すまでもなく、
嫌な予感はしていた。
元カノのアイコン。
今開いたら、きっとまた心が揺れる。
立ち止まって深呼吸をして、
それでも結局、私は画面をスワイプした。
ストーリーが開く。
最初は机の写真。
開いた問題集、シャーペン、蛍光ペン。
受験生なら誰もが載せるような他愛ない風景。
だけど、
その写真の右端で、シャーペンを持つ手が写っていた。
見覚えのある形。
癖のある指の曲がり方。
深く握らず、軽く持つくせ。
――彼の手だった。
次のコマ。
元カノの書いた文字が浮かんだ。
『一緒に頑張るって言ってくれた☺︎ やっぱ落ち着く』
心臓が一瞬だけ、変な音を立てた。
思わず歩く足が止まる。
夜道の車の音が遠くに聞こえるだけで、
私の世界からほとんどの音が消えた気がした。
“言ってくれた”
“落ち着く”
その言葉が、
胸の奥の柔らかい場所にまっすぐ刺さった。
私には知らない会話。
知らない時間。
知らない約束。
彼らの間には、
私が知らない“積み重ね”があって、
それがずっと続いている。
自習室では彼と向かい合った席で勉強していて、
たまに笑い合って、
横顔を見るだけで胸が熱くなって。
そんな時間があったのに。
でもその裏で、
私の知らない時間を彼は別の場所で過ごしていた。
スマホを手の中で強く握りしめたまま、
私は信号が変わっていることにも気づかず立ち尽くしていた。
ようやく歩き出せたのは、
スマホの画面を伏せてからだった。
家までの道のりは、
普段よりずっと長く感じた。
街灯の下を通るたびに、
自分の影が揺れてついてくるのが鬱陶しく思えた。
玄関のドアを閉めた瞬間、
張り詰めていたなにかが一気に緩んだ。
靴を脱ぎ、かばんを投げ出し、
そのまま床に座り込む。
上を向いたら涙が落ちそうで、
下を向いたら涙が落ちそうで、
どっちも嫌で顔を手で覆った。
「……なんで」
誰に問うでもない言葉が漏れた。
彼は、
私のものじゃない。
そもそも“私のものになってくれた瞬間”なんて一度もない。
なのに心が痛むのは、
勝手に期待して、
勝手に寄りかかって、
勝手に揺れているから。
わかってる。
全部自分のせい。
だけど涙の止め方なんて、
誰も教えてくれなかった。
机の上に置いたスマホが震いた。
彼からのメッセージだった。
『帰れた?』
胸の奥がぐらっと揺れる。
こんなしんどいタイミングで、
どうしてそんな優しい言葉を投げてくるん。
返事を打とうとして、
指が止まった。
さっきのストーリーを思い出す。
彼女と並んで勉強している彼。
その手元。
その文字。“落ち着く”。
私が知らない場所で、
彼は誰かの“安心”になっている。
それでも私は、
彼の一言で心臓が揺れるだけの存在。
胸の奥がぎゅっと縮んで、
吐き出すように一言を返した。
『帰ったよ。寒いな今日』
少しして返事が来る。
『寒いな。はよ寝ろよ。風邪ひくで』
その言葉が優しいぶんだけ、
余計に苦しかった。
「なんでそんな普通なん……」
涙が滲んだ。
でも拭いたところで、
彼には気づかれない。
気づかれたくないのに、
気づいてほしい自分もいて、
そんな矛盾ばかりが増えていく。
ベッドに倒れ込み、
天井を見つめた。
彼にとっての“当たり前”が、
私には届かない場所にある。
私にとっての“好き”が、
彼には届くはずもない気持ちだ。
だけど、
それでも明日になれば、
私はまた彼に笑うのだろう。
何事もなかったように、
元カノのストーリーなんて見ていないように、
「大丈夫」と言い張る自分をつくって。
その繰り返しが、
痛みを積み重ねていく。
知らないところで続いていくふたりを、
私は今日も見ないふりをする。
息を吸うのも苦しいのに、
どうしてこんなにも、
彼を嫌いになれないんだろう。




