第1章:出会い
里美は深呼吸を一つしてから、初めての現場である老人ホームのガラス扉を押した。受付のスタッフに軽く会釈をすると、案内された廊下の先に山田幸一さんの部屋がある。長い廊下には柔らかな照明がともり、遠くで流れるクラシックの調べが静かに響いている。里美の胸は期待とわずかな緊張で高鳴っていた。
部屋の扉をノックすると、中からかすれた声が返ってきた。「どうぞ」。里美は笑顔で名乗りながら入室し、椅子をそっと引いて腰を下ろした。山田さんは寝巻き姿のまま、枕元の小さなテーブルに置かれた古い写真を眺めていた。白髪まじりの髪と穏やかな目元には、時の流れが優しく刻まれている。
「はじめまして、里美です。今日から担当させていただきます」
山田さんは一瞬こちらを見つめた後、ゆっくりと顔に浮かぶ皺を寄せながら口を開いた。「お若いのに頑張るねぇ」。その一言が思いのほか里美の心に沁み、彼女は自然と笑みを返した。言葉少なでも心を通わせる初対面の瞬間が、これから続く日々への希望を静かに灯していた。
照れくささを感じた里美は、ポーチから用意してきたノートとペンを取り出し、山田さんの好きなものや日課について優しく尋ね始めた。昔の写真を指差しながら、戦時中の思い出や子ども時代の逸話を少しずつ語ってくれる山田さん。その声には懐かしさと温かさが溶け込んでいて、里美は一文字も逃さぬようにペンを走らせた。こうして二人の新しい時間が、静かに紡がれ始めたのだった。