回復
ふいに、後ろからトントンと肩を叩かれた。
「ん?」
「カイ、肩大丈夫?」
「肩? あ……」
言われて視線を落とす。
俺の肩は、服ごとごっそりと抉れ、赤黒い肉が剥き出しになっていた。
ヒトガタに食い破られた跡だ。
アドレナリンが出ていて完全に忘れていたが、その存在を認識した途端、脳が「損傷」を理解し、急激な激痛信号を送ってきた。
「ぐっ、あ……ッ!?」
「あはは、痛みを忘れるって本当にあるんだね。……でも、その傷、もう普通には治らないよ」
青みがかった銀髪の青年が、心配そうに、でもどこか面白そうに俺の傷を覗き込んでいた。
彼は騎士団の制服の上に白衣を羽織っている。
シオン、騎士団唯一にして、世界でただ一人の『時治癒魔法』の使い手だ。
「え、嘘……もう剣を振れないってこと?」
「はは、だから僕がいるんだよ」
シオンはニッコリと笑うと、今度は少し意地の悪い顔で団長とフィンの方を見た。
「団長も副団長も、結構傷深いの気づいてないのかな。傷口をツンってやって、悶え苦しんでもらおうかな」
「ええ……それはやめた方が……」
「だって、君達だけズルいじゃないか」
「え?」
「バーンズさんの最期に会えたのは、君たちだけだ」
「……」
俺は何も言い返すことが出来なかった。
それもそうだ。
バーンズさんは騎士団の若手育成を長年務めた大ベテラン。
シオンにとっても恩師であり、騎士団の誰もがお世話になった偉大な人だ。
その最期を看取ったのが、俺のような新入りの冒険者だったことに、思うところがないはずがない。
「……なーんてね、冗談だよ」
シオンはふっと表情を緩めた。
「僕達が行っても、あのレベルの戦いじゃ足手まといになってた事くらい分かるよ。それに……バーンズさんは、僕達の心の中で生き続けてる」
彼は俺の傷口に手をかざしながら、ぽつりと呟いた。
「むしろ、苦しみから解き放ってくれてありがとう」
「……解き放ってあげれたのかな。そうだといいんだけど」
「バーンズさんのことだし、最後は笑ってたんでしょうね」
そう言うシオンの目には、うっすらと涙が溜まっていた。
だが彼は一度強く瞬きをして、それを必死に堪えた。
彼はプロだ。感傷で手を止めることはしない。
「さあ、湿っぽい話は終わり! 治すから肩見せて」
「うん、お願い」
シオンの手のひらが、淡い黄金色の光を帯びる。
『タイムリバース』
その詠唱と共に、奇妙な感覚が走った。
痛みが引いていくのではない。「痛かった事実」が消えていく。
俺の肩から流れ落ちていた血が、重力に逆らって傷口へと戻っていく。
千切れた血管が、神経が、筋肉の繊維が、まるでビデオを巻き戻すように、意志を持って繋がり始めていく。
数秒後、そこには、傷跡一つない、滑らかな肌が戻っていた。
「……すげえ」
「はい、一丁あがり。次は団長たちの番だね」
シオンは額の汗を拭うと、気絶するように眠ってしまった団長たちの方へと歩き出した。
「……さて」
俺の肩を治し終えたシオンは、ソファで泥のように眠る団長とフィンの方へ向き直った。
二人とも、全身包帯だらけで痛々しい姿だ。普通なら安静にさせておくところだろう。
だが、シオンは口元に悪戯っぽい笑みを浮かべている。
「二人とも、随分と気持ちよさそうに寝てるねぇ。人が一生懸命治療の準備をしてるのに」
「おいシオン、まさかお前……」
「んー? 何のことかな?」
シオンは人差し指を立てると、団長のわき腹――鎧が砕け、包帯が赤く滲んでいる一番痛そうな箇所に『狙い』を定めた。
「目覚めの挨拶だよ。……えいっ」
ズボッ。
ツン、どころではなかった。指の第一関節まで埋まる勢いで押し込んだ。
「グォアアアアアッ!?!?」
野太い悲鳴が応接室に響き渡る。
団長が弾かれたように飛び起き、ソファから転がり落ちた。
「な、ななな、敵襲か!? どこだッ!」
「おはようございます、団長。敵襲じゃなくて治療の時間ですよ」
「ハァ……ハァ……シ、シオンか……。てめぇ、傷口を指圧する馬鹿がどこにいる!」
「ここにいますよ。ほら、目が覚めたでしょう?」
シオンはケラケラと笑いながら、今度はフィンの元へ。
フィンは団長の悲鳴でうっすら目を開けていたが、迫りくるシオンの笑顔を見て顔を引きつらせた。
「ひっ、シ、シオンさん!? ぼ、僕は起きてます! 起きてますから!」
「ダメだよフィンくん。二度寝防止のツボを押してあげる」
「いやぁぁぁ!?」
フィンの悲鳴が続き、ようやく場が落ち着いた。
「まったく、とんでもねぇ医者だ……」
団長が額に脂汗を浮かべながらソファに戻る。
シオンは表情を引き締め、再び手をかざす。
「じゃあ、治しますよ。じっとしてて」
『タイムリバース』
光が溢れる。 団長の砕けた肋骨が、フィンの焼け焦げた皮膚が、時間を巻き戻して「無かったこと」になっていく。
その光景を横で見ていたセリスが、信じられないものを見る目で呟いた。
「……嘘でしょ。ヒールじゃない、これ……『時間逆行』? こんな失われた魔法を使える人間がいるなんて」
「おや?」
セリスの声に、シオンが反応する。
治療を終え、油汗を拭いながらシオンはセリスの方を見た。
「君は……ああ、なるほど。その綺麗な金髪と尖った耳、エルフのお嬢さんか」
「……セリス・リヴィアよ。訳あってこのパーティに参加することになったわ」
「僕はシオン。見ての通り、ここの専属医師みたいなものさ。……エルフが見ても、僕の魔法は珍しい?」
シオンの問いに、セリスは少し悔しそうに、でも素直に頷いた。
「ええ。私たちの精霊魔法でも、時間を操るのは至難の業よ。……人間にしてはやるじゃない」
「はは、光栄だね」
シオンは人懐っこい笑みを浮かべたが、その瞳の奥には鋭い観察眼が光っていた。
恐らく、一瞬でセリスの実力と、彼女が抱える「事情」のようなものを察したのだろう。
「ふぅ...」
シオンが額の汗を拭い、ふらりとソファに座り込んだ。
彼にとって、三人分の重傷を巻き戻すのは骨が折れる作業だったらしい。
「痛みが完全に消えた、流石だなシオン。最初のがなければな...」
団長がわき腹をさすり、立ち上がる。
「ありがとうシオン! これならすぐにでも出発でき――」
勢いよく立ち上がろうとした、その瞬間。
グゥゥゥゥゥウウ……
盛大な音が、フィンの腹から鳴り響いた。
「あ……」
フィンが顔を赤くして座り込む。
同時に、俺と団長も急激な目眩に襲われ、テーブルに手をついた。
そんな俺たちを見て、シオンが呆れたように笑った。
「当たり前だよ。僕の魔法は『壊れた箇所を治す』だけ。君たちが谷底で使い果たしたスタミナや魔力までは戻せない」
シオンは指を振った。
「体は新品でも、燃料が空っぽの状態だ。そんなんで戦いに行ったら、エルフに会う前に野垂れ死ぬよ」
「……確かに、そうだな」
団長が苦笑いして腹をさする。
そういえば、谷底に落ちてから今まで、まともな食事どころか水さえ飲んでいなかった。
緊張の糸が切れて傷が治った今、強烈な飢餓感が襲ってくるのは当然だ。
「安心しろ。燃料なら、山ほどあるぞ」
ギルド長がニヤリと笑い、酒場の方を指差した。
そこには、昨晩仲間たちが「俺たちの帰還祝い」として用意されていた食べ物が温めなおされていたりして熱々の物が並ぶ。
「食ってけ。全部平らげるまで、出発は許可せん」
俺たちは顔を見合わせた。
そして、次の瞬間には酒場のテーブルにかじりついていた。
「うめぇーー!! 最高だ!!」
「肉だ……! 生き返る……!」
「んぐっ、んぐっ、ぷはぁ!」
どれもが、今まで食べたどんな高級料理よりも美味かった。
セリスも最初は遠慮していたが、「せっかくなら食ってけ」と団長に肉を渡され、上品ながらも凄い勢いで食べ始めた。
「……ふふ。よく食うねぇ」
シオンもスープをすすりながら、満足そうに俺たちの食べっぷりを眺めている。
十分後、テーブルの上の料理は綺麗さっぱり消え失せていた。
胃袋に熱いものが詰まり、全身に力がみなぎってくるのを感じる。
「よし……食った!」
団長が立ち上がり、バンとテーブルを叩いた。
その顔色は、さっきまでの土気色が嘘のように血色が良く、瞳にはギラギラとした闘志が戻っていた。
団長が気合を入れて立ち上がろうとした。
だが
「……あれ?」
団長の膝がガクンと折れ、ドサッと椅子に座り込んだ。
立ち上がろうとしたフィンも、テーブルに突っ伏したまま動かない。
俺も、急に瞼に鉛を乗せられたように重くなり、視界がぐらりと揺れた。
「……なんだ、これ。毒か……?」
俺が呂律の回らない舌で呟くと、シオンが呆れたようにため息をついた。
「毒なわけないでしょ。……『限界』だよ」
シオンは俺たちの前に水を置きながら言った。
「僕の魔法で肉体は治った。食事でエネルギーも補給した。……でもね、脳味噌と精神は、谷底での極限状態ですり減ったままだ。そこへ来て、満腹になって副交感神経が働いたんだ。気絶しない方がおかしいよ」
「……なるほどな。道理で……」
団長が抗うのを諦めたように、背もたれに体重を預ける。
「おい、こいつらを仮眠室へ放り込め!」
ギルド長が、周囲の冒険者たちに指示を出す。
「無理やりにでも寝かせろ。このまま行かせても、使い物にならん!」
「了解だ! ほら、貸せよ英雄サマ!」
「いい寝顔してやがるぜ、まったく」
荒くれ者たちが、俺たちを担ぎ上げる。
抵抗しようにも、指一本動かない。
温かい毛布の感触。
柔らかなベッドの沈み込み。
「……あとは、任せて……寝なさい……」
セリスの声が遠くで聞こえた気がした。彼女も疲れているはずなのに、気丈に振る舞っているようだ。 俺の意識は、そこでぷっつりと途切れた。




