訃報
帰路は、不気味なほど平穏だった。魔物一匹、俺たちの前には姿を現さなかった。
朝日が完全に昇りきった頃、俺たちは街の冒険者ギルドの前まで戻ってきていた。
「……着いたな」
団長が大きく息を吐く。
その表情には、緊張の糸が切れたような安堵の色が浮かんでいた。
いつもなら、この時間は朝の依頼を受ける冒険者たちでごった返し、活気ある喧騒が外まで漏れ聞こえてくるはずだ。
だが今日は、扉の向こうから何の音も聞こえてこない。
「あれ? まだ開いてないのかな」
「まさか。太陽はもう高いぞ」
俺は首をかしげながら、重厚な木の扉に手をかけ、ゆっくりと押し開けた。
「……ただいま戻りまし――」
言いかけて、俺は言葉を失った。
ギルドの中は、静まり返っていた。
だが、誰もいないわけじゃない。
むしろ、いつも以上に人はいた。
だがみんな酒場のテーブルに突っ伏して寝息を立てる、見知った顔の荒くれ者たち。
椅子を並べて簡易ベッドにし、毛布にくるまっている若手の冒険者たち。
カウンターの上で、書類を枕にしている受付嬢。
そして、ギルドの奥にある一番大きなテーブルでは、腕組みをしたまま天井を仰いで爆睡している、強面のギルド長の姿があった。
「……これ」
フィンが目を見開いて、小声で呟く。
「みんな、待っててくれたのか……?」
テーブルの上には、手つかずのジョッキや、冷めきった料理が並んでいる。
おそらく、「俺たちが帰ってきたら乾杯しよう」と用意して、一晩中待ち続けてくれたのだろう。
「……ふん。不用心な連中だ」
団長が、ぶっきらぼうにそう言った。
だが、その目元が少し緩んでいるのを俺は見逃さなかった。
最強の盾よりも強固な、俺たちの「居場所」がここにあった。
その時。 カラン、と受付嬢の腕から羽ペンが滑り落ち、床で乾いた音を立てた。
「……ん、ぁ……?」
その音で、受付嬢がゆっくりと顔を上げた。 寝ぼけ眼で周囲を見渡し、そして、入り口に立つ泥だらけの俺たちと目が合った。
数秒の沈黙。 彼女の目が、徐々に大きく見開かれていく。
「……あ」
その声が引き金になった。
ギルド長がビクリと肩を震わせて目を覚まし、周囲の冒険者たちも次々と「なんだ?」と寝ぼけた声を上げながら起き上がる。
そして、全員の視線が俺たち三人に集中した。
「……おい、お前ら」
ギルド長が、軋む椅子を蹴飛ばすようにして立ち上がった。
目の下に濃い隈を作っているが、その瞳には強い光が戻っていた。
「……遅いぞ、この馬鹿野郎ども!!」
その怒鳴り声を合図に、ギルド中が爆発したような歓声に包まれた。
「うおおおおッ! 生きてたぞぉぉ!!」
「カイ! 団長! 副団長! 心配しましたよ!!」
「おい酒だ! いや飯だ! 温かいもん持ってこい!!」
受付嬢が涙目でカウンターから飛び出してくる。
荒くれ者たちが俺たちを取り囲み、背中を叩き、頭を撫で回す。
「いっ、痛いって! 怪我人なんだから優しくしてよー!」
「ガハハ! 生きてりゃ安いもんだろ!」
揉みくちゃにされながら、俺と団長とフィンは顔を見合わせた。
バーンズ隊長。
あなたの言っていた通りだ。
俺たちが守るべき未来は、こんなにも騒がしくて、温かい。
「……ただいま」
喧騒の中で呟いたその言葉は、誰に届くでもなく、優しい朝の空気の中に溶けていった。
「……お前ら、とりあえずこっちだ」
ひとしきり部下たちに揉みくちゃにされた後、ギルド長が低い声で俺たちを呼んだ。
その目には、再会の喜びとは別の、鋭い色が宿っていた。
「奥へ来い。……報告を聞こう」
俺たちは無言で頷き、喧騒に沸く酒場を抜け、ギルドの奥にある執務室へと足を踏み入れた。
重厚な扉が閉まると、外の歓声が嘘のように遠のき、張り詰めた静寂が部屋を支配した。
ギルド長がいつもの革張りの椅子に深く腰掛け、卓上で組んだ手の甲に顎を乗せる。
「……で、どうだったんだ、取り込まれた奴ら、バーンズは」
単刀直入な問いだった。
俺たちの帰還を喜びながらも、彼はずっと気づいていたのだ。
俺たちの傍らに失われた仲間達がいないことに。
団長が一歩前へ出た。
その顔には、悲しみではなく、毅然とした決意が張り付いていた。
「……バーンズを含む団員8人は、名誉ある戦死を遂げられました」
「そうか」
ギルド長は、表情一つ変えなかった。
ただ、卓上の書類に向けられた視線が、わずかに揺れたように見えた。
肯定も、否定もしない。
ただ事実として、旧友の死を受け止めている。
「報告を続けます。……例の『ヒトガタ』についてですが」
団長が言葉を継ぐ。
「あれは自然発生した魔物ではありませんでした。……何者かによって人為的に作られた、生体兵器の類です」
「人為的だと? 馬鹿な、あんな怪物を制御できる組織など……」
「エルフです」
俺が口を挟むと、ギルド長の目が大きく見開かれた。
「……なんだと?」
「間違いありません、銀髪に尖った耳、圧倒的な魔力、……奴らは谷底で実験を行っていました。
ヒトガタの中に……バーンズ隊長を取り込み、その精神力を制御核として利用していたんです」
室内の空気が凍りついた。
エルフ。
古の盟約により人里離れた地に住む、高潔にして不可侵の種族。
それが、人間を実験動物として扱っていたという事実は、これまでの常識を根底から覆すものだ。
「……隊長は、最期まで抗っていました」
フィンが震える声で言った。
「ヒトガタの中で、僕たちを守るために、自分の魂を削って……。最後は、僕たちに未来を託して、逝きました」
ギルド長は長い沈黙の後、ゆっくりと引き出しから一本のボトルと、四つのグラスを取り出した。
琥珀色の液体を注ぎ、その一つを、誰もいない虚空へと掲げる。
「……あの大馬鹿野郎が」
乾いた声だった。
だが、その一言には、万の言葉よりも重い哀悼が込められていた。
「エルフが敵に回ったとなれば、これは国、いや大陸全体を揺るがす事態になる。……だが、今はいい」
ギルド長はグラスの中身を一気に煽ると、鋭い眼光で俺たち三人を見据えた。
まるで、俺たちの魂の底まで見透かすような目だ。
「お前たち、何か『変わった』な」
ドキリとした。
スキルのことか、それともデステニードラゴンのことか。
だが、ギルド長はそれ以上深くは追求しなかった。
「地獄を見て、帰ってきた、……その目を見ればわかる。もはや、俺が守ってやるようなヒヨッコじゃないってことぐらいはな」
彼はニヤリと笑い、残った三つのグラスを俺たちの前に滑らせた。
「飲め。……生還祝いだ。そして、バーンズへの手向けだ」
俺たちはグラスを手に取った。
強い酒の香りが、戦いで張り詰めていた神経をゆっくりと解きほぐしていく。
「「「……乾杯」」」
グラスが触れ合う澄んだ音が、静かに部屋に響いた。
報告は終わった。
だが、これは終わりではない。
エルフという明確な敵、そして託された力。
俺たちの本当の戦いは、ここから始まるのだ。




