介入
「おおおぉぉぉッ!!」
俺の叫びと共に、雷火を纏った短剣が、ヒトガタの胸にある紅蓮の結晶へと吸い込まれていく。
結晶にヒビが入る。
その瞬間だった。
「……まだだ」
低い声が空間を切り裂き、次の瞬間、世界が裏返った。
殴られたわけじゃない。ただ、世界という盤面から強引に「排除」された。
俺は数十メートル後方の岩壁に叩きつけられ、肺の空気をすべて失った。
身体が、言うことを聞かない。
「……ガ、ア……ッ!」
視界の端に、影が映った。
ヒトガタのすぐ傍に立つ、銀髪のエルフだ。
その視線に殺意はない。あるのは、冷徹な「評価」だけ。
「貴様ぁぁぁッ!!」
真っ先に動いたのは団長だった。
俺を、そして隊長を蹂躙された怒りが、ボロボロの肉体を突き動かしたのだろう。
団長は巨大な剛剣を振り上げ、地響きを立てて踏み込む。
全力の、文字通り命を乗せた一撃。
「死ねッ!!」
大気が爆ぜるような音と共に振り下ろされた大剣。
だが、衝撃音は響かなかった。
「……無粋だな」
エルフは振り返りもせず、ただ左手を背後へ向けた。
吸い込まれるように、エルフの掌が大剣の腹に触れる。
あのアホみたいな威力を誇る団長の一撃が、エルフの細い指先一つで、まるで最初から止まっていたかのように制止した。
「な……っ!? ぐ、うぅぅ……ッ!!」
団長が顔を真っ赤にし、全身の筋肉を震わせて押し込もうとするが、エルフの腕は一ミリも動かない。
まるで、巨大な山を相手にしているかのような、絶対的な拒絶。
「筋力値、想定内。……邪魔だ」
エルフが指先に軽く力を込める。
それだけで、団長の巨体は大剣ごと軽々と持ち上げられ、ゴミのように虚空へ投げ飛ばされた。
「がはっ……!?」
団長はそのまま岩壁を粉砕しながら埋まり、動かなくなった。
「団長!! ……この、バケモノがぁぁッ!!」
フィンの叫びが響く。
彼は杖を限界まで掲げ、自らの生命力を燃料に変えて超高密度の魔力を編み上げた。
『エメラルド・グラン・ストーム』!!
谷底の空気をすべて圧縮したような暴風の刃が、エルフを飲み込もうと襲いかかる。
だが、エルフは退屈そうに指を鳴らした。
「ちっ……面倒臭い」
『ディスペル』
その一言で、世界が静止した。
猛り狂っていた暴風は、エルフの周囲に触れた瞬間、魔法としての意味を失った。
エメラルド色の光は、陽炎のように揺らぎ、ただの温い微風となって消えた。
「そん、な……僕の、全力が……」
絶望に目を見開くフィンの杖が、パキリと乾いた音を立てて折れた。
エルフの視線がフィンを捉える。それだけで、フィンは目に見えない圧力に押し潰され、地面へと叩きつけられた。
「さて、検体の回収に移れ」
「はっ!」
もう1人のエルフの手が、苦悶するヒトガタの胸へと伸び、その「紅蓮の結晶」を掴んだ。 メキメキと、生きた肉を引き裂く嫌な音が響き渡る。
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取り込まれた瞬間のことは、よく覚えていない。
ただ、気がついた時には、俺は深海のような暗闇に沈んでいた。
手足はない。
感覚もない。
あるのは「飢え」と、自分ではない何かが、俺の皮膚の裏側を這い回る不快感だけだった。
『……ハァ……ハァ……ここは、どこだ……』
声を出そうとしても、喉がない。
ただ思考だけが、泥の中に浮いている。 ふと、バケモノの「視界」が共有された。
そこには、泣き叫ぶ部下たちの姿があった。
俺の、俺であったはずの手が、かつての仲間を、子供のように慕っていた騎士たちを、無慈悲に引き裂いていく。
『やめろ……。やめてくれ……!!』
俺は叫んだ。
魂が千切れるほどに叫んだ。
だが、肉体は俺の命令を聞かない。
それどころか、バケモノの意識が、甘い毒のように俺の脳を侵食してくる。
《 喰ラエ。壊セ。全テヲ、赤ク染メロ。ソレガ、お前ノ望ミダロウ? 》
違う。
そんなわけがない。 俺は、あいつらを守るために……。
《 嘘ヲ吐クナ。お前ハ救エナカッタ。弱カッタ。ナラバ、全テ無ニ帰セ 》
絶望が、俺を飲み込もうとする。
時間の感覚すら消えていく。
一瞬が数年にも感じられる永劫の孤独。
意識を保つための「柱」が必要だった。
俺は、ボロボロになった記憶の断片をかき集め、それを抱きしめて暗闇の中に座り込んだ。
団長と、安酒を酌み交わした夜。
「お前の盾は硬すぎるんだよ」と笑い飛ばした、あの馬鹿げた時間。
フィンの、魔法を覚えたての頃の、誇らしげな笑顔。
そして俺の可愛い子供達よ。
『……まだ、……負けられない……』
バケモノが俺の記憶を喰らおうとするたび、俺は自分の魂を削って火を灯した。
俺が俺であることを諦めれば、この肉体は完全に「災害」になる。
それだけは、させてたまるか。
どれほどの月日が流れたのか。 突然、外の世界から「熱」が届いた。
懐かしい、炎の匂い。
そして、聞き間違えるはずのない、怒号。
『……来たのか、お前たち……。……こんな、地獄の底まで……』
霧の向こうに、成長したお前たちの姿が見えた。
団長の大剣が俺の肉を叩き、フィンの風が俺を切り裂く。
そして、カイ。
お前の短剣に宿る炎が、この赤黒い闇に、初めて「夜明け」を運んできた。
「やめろ、これ以上私の身体で仲間を殺させはしない!!」
俺は、残った力のすべてを振り絞って、バケモノの心臓を……俺自身の魂を、内側から掴んだ。
「今だ」と叫んだ。
俺ごと、この呪いを終わらせてくれと願った。
カイの刃が届く。
俺の視界が、白く塗りつぶされる。
ようやく、これで、みんなのところへ――。
結晶が抜けた瞬間、今まで聞こえていた隊長の声が、ふっと消えた。
「検体A-09、核の回収完了。……器の方はもはや制御不能か」
エルフは結晶を眺め、価値のなくなったゴミを見るような目で、残された「肉体」を見下ろす。
核――すなわち、このヒトガタを制御していたものを失ったヒトガタの肉体が、急速に黒く、巨大に膨れ上がり始めた。
「ギ、ギギギ……ギシャアアアアアアアアアアアアッ!!!」
それはもはや、人の形を保つことすら止めた「肉の嵐」だった。
制御機能を失い、純粋な破壊衝動だけが溢れ出している。
ヒトガタの背中から無数の黒い触手が噴き出し、周囲をデタラメに破壊しながら、無差別に襲いかかる。
「……実験場の清掃が必要だな。存分に暴れろ、抜け殻よ」
エルフは冷たく言い捨てると、ゆっくりと宙に浮き上がり、上空へと去っていく。
後に残されたのは、動けない俺たち三人。
そして、意志を失い、ただの「壊れた災害」と化した怪物の咆哮だけだった。




