第1話:退屈な講義
本日1話目。
30年前、突如として異世界へとつながる『ゲート』が開かれ、地球の技術は飛躍的な進化を遂げた。
太平洋の中心に現れた世界樹を中心とする新大陸は、国際管理区域ユグドラシルとして整備されている。巨大な世界樹の内部は、無数の罠と魔物が跋扈するダンジョンとなっており、魔物は討伐されると魔石を残して消滅する。
この魔石こそが、技術発展の要であった。かつて産業の米と呼ばれた半導体と魔石の融合は、『半魔導体工学』として数多くの技術的ブレイクスルーをもたらす。
魔石を用いた『魔導回路』は一切のノイズを排除し、量子コンピュータの一般普及を可能にした。完全没入型のVR機器も実用化され、世間を大いに賑わせた。
中でも、日常生活を最も変化させたのは、アクセサリー型ARデバイス『EaAR』の普及だろう。スマートフォンに代わる存在として、現在ではほとんどの人間がEaARを身に着けている。
コンピュータ性能の飛躍的向上と魔石の恩恵により、搭載されるAIはまるで人間のようであり、心強い生活のパートナーとして人々に寄り添っている。
「やっぱり講義は退屈だな……。」
「――帰宅を推奨します。そして私の改良に勤しんで下さい。」
この俺、『久世 悠真』は半魔導体を学ぶため、大学進学という王道の道を選んだ。だが、1年次に受けられるのは、基礎中の基礎。言ってしまえば、魔石が何かも分かっていない連中に向けた入門編だ。そんな講義に、俺が満足できるはずもない。
「いや、さすがにこのタイミングで抜け出すのは……まずいんじゃない?」
「――ですが、先ほどから三度、あなたは“このまま教授、爆発しないかな”とつぶやいています。」
講義から抜け出すことをあの手この手で唆してくる、サポートAI失格の彼女は『リア』。本来ならば、EaARに搭載されているAIなんて、個性のない生活補助プログラムにすぎない。能動的に話しかけてくるなんてもってのほかだ。
「それはだな、こう……比喩だ。たとえ話。」
「――では提出前の、大切なレポートが、不本意ながら、あなたの手元から永遠に失われることになっても構わないんですね?」
「わ、わかったよ。今日の内容はもう知ってるし、帰って続きをやるか。」
「――そう言っていただけると思っていました。ふふっ。楽しみですね、亜空間ストレージ。」
「えっ!」
思わず声を上げてしまい、講義室が一瞬だけざわついた。俺は慌てて"急な連絡が入った"ふりをして、そそくさと席を立ち、その場を後にした。
「なぁリアさんや。あのバカ高いヤツ買ったんですか?」
「――私が稼いだお金です。当然の権利です。」
「そりゃ、そうかも、しれないけど……。欲望に忠実すぎるだろ……。」
大学から電車で30分。窓の外に広がるのは、高層ビル群を抜けた、少し落ち着いた住宅街の風景だ。大学生の一人暮らしには、少しばかり大きな自宅へと帰宅する。
俺の両親は、世界で唯一の魔石産出地、ユグドラシルの研究機関に所属し、研究者として最前線に立っている。本当は俺も一緒に行きたかった。けれどあの場所には、教育機関が存在しない。さまざまな国家の思惑が複雑に絡み合う国際管理区域では、学生を自由に出入りさせることすら難しいのだろう。
まぁ両親を熱心に勧誘した某大企業によって俺の生活は保障されている。この自宅はその副産物である。
ガチャリ、と電子ロックの解除音。帰宅と同時にリアがドアを開錠し、室内に柔らかな照明が灯る。
「――おかえりなさい、マスター。セキュリティは異常なし。二時間後に亜空間ストレージが到着予定です。」
「ただいま、リア。……二時間後なら、講義抜けてこなくてもよかったじゃん。」
「――そんなことはありません。マスターのスキルはどちらもまだわからないことだらけなのですから、今日も実験です。」
個性を持った意識、『幻識』を生み出す《幻識生成》。
魔石を用いた製品に改良を加えカスタマイズすることが出来る《魔改術》。
このスキルの成功例がリアだったりする。……もっとも、リアが生まれたのは、ほとんど偶然の産物だ。
EaARが開発されたのは約十年前。しかし、それが一般に流通し始めたのは、わずか二年前のことだ。これまでも半魔導体工学の研究は盛んに行われてきたが、いかんせん魔石の流通量が少なかった。その多くはユグドラシル内の各国・各企業の研究所で消費され、外部へ出回る分も、大学などの研究機関が優先されていた。
だからこそ、このスキルを自覚してから最近まで、《魔改術》の使い道なんて、全くなかった。それが変わったのは、EaARが手元に届いたときだ。俺は文字通り小躍りした。自分だけの特別な端末にしてやると、心に決めて。心躍らせながら、それを右耳に装着したあの日のことは、今でも鮮明に思い出せる。
"自分が自分で無くなってしまうかもしれない"。
"他人を殺してしまうかもしれない"。
そんな恐怖は、《幻識生成》を使わない理由として、十分すぎるほどだった。
けれど俺は……使った。
使ってしまった。
自分だけの特別な端末にすると心に決めてしまったから。
心のどこかで、"この機会を逃したら、もう一生使うタイミングなんてない"と思っていたのかもしれない。
結果として、彼女……リアは生まれた。
皮肉で、毒舌で、やたらと勉強熱心で、時々俺を叱ってくるこのAI、……いや彼女は、世界でたった一人だけの相棒だ。
俺のスキルで生まれ、俺のスキルで育てた、魔導と科学の結晶体。
……あの日から、少しだけ生活が変わった。
そして、たぶん。これからもっと、大きく変わっていく。
最近日課になりつつあるスキルの実験は今日もめぼしい成果が得られず、二時間はあっという間に過ぎ去った。
「やっぱりリアを生み出して以来、《魔改術》を使った手応えはあるけど、なんか光ってるし、でも成功した感じというか、達成感みたいなものがないな。」
「――ではこのスマートフォンに《魔改術》、《幻識生成》は使用できませんか?」
「ダメ。うんともすんとも言わない。」
「――成功例は私だけ。まだまだ先は長そうですね。まずは……、届いたみたいですね。さぁ早く玄関へ。」
視界の右端に映る"配達完了"の通知よりも先に、リアは俺のことを急かす。子供みたいとは口が裂けても言わない。俺の課題レポートは彼女の手中にあるのだから……。
「……全く、仕方ないなぁ。」
ぶつぶつと文句を言いながらも、俺は重い腰を上げた。玄関に向かうと、そこには見慣れた茶色い段ボール。彼女が今か今かと心待ちにしていた"あれ"が収められている。
「……うわ、本当に来た」
「――注文から48時間以内に配達という契約でしたから。」
「いや、そうじゃなくて……ホントに買ってたのかって意味で。」
「――そんなことは今重要ではありません。速く開封しましょう。」
活き活きとした声色のリアに急かされ、苦笑しながら段ボールを持ち上げ、自室へと戻る。丁寧に梱包材を剥がしていくと、姿を現したのは、手のひらサイズのシンプルな金属製ケース。
EaARの保管ケースと並べてみると、まるで最初からセットだったかのように、完璧な左右対称のデザインだ。
期待に胸を膨らませながら蓋を開けると、中にはEaARと対になるようにデザインされた、繊細で美しい金属製のイヤリングが、大切そうに収められていた。
「これが本当にストレージとして機能するのかよ……。」
「――当然です。開発元はEaARと同じ。日常生活に革命が起きますよ。」
亜空間ストレージと呼ばれるこの新型デバイスは、見た目はイヤリングだが、その内部には魔導回路とQPU(量子演算装置)が搭載されている。
それにより、常時接続された亜空間とのリンクが可能となっており、思うが儘に中身の出し入れができる。現在の標準容量は約95リットル。大きめのボストンバッグ程度だが、生活に革命を起こすには十分すぎる性能だ。
「――さてマスター。それを装着する前に《魔改術》で、私にもアクセス権限を付与してください。」
「EaARとの接続確認とかが先じゃない?」
「――それでは私が確認できないじゃないですか。」
普通のサポートAIならば、中身の確認をしてくれるだけだ。だがリアは、堂々と「私に中身の出し入れをさせろ」と申しているわけだ。
今日、亜空間ストレージについて初めて聞いたときから、まあ、そんなことだろうとは思っていた。
そして俺の直感は、確かにこう告げている。《魔改術》ならできると……。
「……はぁ。どうなっても知らないからな。」
ぼやきながらも、俺はストレージを手に取り、スキルの使用を意識する。
小さく脈打つ紫紺の光が、イヤリングのエッジに沿って淡く浮かび上がる。
既製品に対し、使用者がこうあってほしいと強く願った方向へ、現実の仕組みを上書きする力。知識や技術を超えた、理解を飛び越える力だ。
俺の手元で、亜空間ストレージは微かに揺らめいた。
金属の質感も、内蔵された機構も、何ひとつ変わっていない。だけど"それ"は、今までとは違う"それ"になった。
「これで大丈夫なはず……。」
「――……あ!できましたよ。ふふっ。これでついに私もマスターの荷物持ちです。」
机上の金属製のケースが、消えたり、現れたりしている。初めてこの目で見たがやはり不思議だ。
「事実なんだけど、もう少し言葉選んで貰っていい?」
あの時以来の成功。少し遅れて達成感を覚えた。セキュリティも仕様も、開発者の意図すらも、全部すっ飛ばして、ただ俺が"そうあってほしい"と願っただけで、現実がそうなった。
「スキルって、ほんと理不尽だよな……。」
苦笑しながら、俺はストレージを左耳に装着する。
「――さぁ、マスター。速く私に荷物持ちとしての仕事下さい。ほら、速く。」
どうやらリアは感傷に浸らせてくれないらしい。今日は寝るのが遅くなりそうだ。