4. オリビア・ウェールズ
今回はオリビア・ウェールズのお話…です
オリビア・ウェールズは、決められた結婚に絶望していた。貴族の娘である以上、政略結婚は覚悟はしていた。けれど婚約破棄されて日も浅いというのに、早々に次の縁談を決められてしまったのは本当に想定外だった。しかも相手はアノ辺境伯だ。
「どうすればいいのかしら…。」
途方に暮れていると、婚約者であったトーマス・バスケスの言葉を思い出した。
「オリビア嬢、申し訳ないが私はあなたとの婚約を破棄させていただきたい。」
それは婚約者との恒例のお茶会の席で、何の前触れもなく突然に告げられた...申し入れの言葉だった。
「この婚約は政略の意味もあったが、我が侯爵家に事業の利があるのみ。伯爵家にとってはあまり有益なものとは言えないでしょう。」
”伯爵家にっとって侯爵家と縁続きになること自体が有益なことは、トーマス様もよくご存じのはず。”
オリビアはショックで声も出ない。けれど薄々は気づいていたのだ。友人からよくない噂は聞いていた。城下で女性と親しげに歩くトーマスの姿を見かけたと幾度か’親切な忠告’があったからだ。内務大臣の嫡男で、次期国王の側近になるだろうと言われているトーマスは、いつも女性の注目の的で、その婚約者の座にとって代わろうとする令嬢たちのアプローチは、婚約してからも後を絶たなかった。そんな令嬢たちにとって、おとなしいオリビアはいつも格好の攻撃対象だった。
「サリー・ブラント男爵令嬢…」
思わずトーマスが親しくしていると教えられた女性の名前を口にした。
「なっ、なぜその名前を!」
トーマスが明らかに動揺している。
「大切になさりたい方に出会ってしまわれたのですね。」
嫌味でも皮肉でもなく言葉が出た。むしろ羨ましいとさえ思ったくらいだ。
「ご両親には説明をされたのですか?」
「いや、まだだが…」
「侯爵家の家格を考えれば、反対されることは必須でしょうから、男爵さまの許可がいただけたら、アーツ伯爵家に養子縁組の打診をされてはいかがですか?」
「アーツ伯爵家?」
「はい、あちらのメアリー伯爵夫人はお子さまに恵まれず、養子縁組の先を探しておいでです。ブライアント男爵令嬢が本当に侯爵家に嫁がれるのであれば、伯爵家で淑女教育を受けることが、侯爵様ご夫妻を納得させる近道なのではないでしょうか?」
「オリビア…」
「婚約者ではなくなるのなら、その名を呼ぶのは控えてくださいませ。お父さまには私から報告し、侯爵家にも私のほうから手紙を書きます。」
トーマスはうつむいて無言になってしまった。きっと、わたしが取り乱すことを覚悟していたのだろう。相手の気持ちがわかってしまった自分にとって、自身の気持ちは優先事項ではない。トーマスが心から申し訳ないと思っていることも、恋情が止められないことも感じとってしまったのだ...仕方がない。
「あなたから婚約破棄の打診があり、それを受けたということでよろしいですか?おそらくそれが一番、波風の立たない方法と存じます。」
「やはり君は、私を慕っているわけではなかったのだな。」
さすがにその一言は胸を刺した。
「それは間違いです。」
自分のつぶやきに答えた私の声に反応して、トーマスが顔を上げる。この上ないタイミングで涙が頬を伝う。傷ついていないはずがない。婚約者として大切に思ってきた人なのだ。泣いて喚けばトーマスの気持ちが変わるというのだろうか。そうなれば困るのはトーマスだというのに...。決意を持って婚約破棄を告げた相手にこれ以上何ができるのか。どうにもならないから、最善の方法を見つけたいと思っただけ。なのに、失望されるなんて…。
「すまない…。」
自分の失言に対してなのか、婚約破棄に対してなのかわからない謝罪が聞こえてきた。オリビア・ウェールズはこうして適齢期と言われる十八歳で婚約破棄されてしまったのだ。
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婚約破棄について両親に告げたとき、二人は静かにその事実を聞いてくれた。そして、私の気持ちを確認すると静かにうなずいてくれた。母は‘しっかり責任はとっていただきましょうね’と微笑みを浮かべ、父は‘トーマスなど霞んでしまうような夫を見つければいいだけのことだ’と現実逃避のような発言をした気もするけれど、それは見なかった、聞かなかったことにした。
驚いたことにその数日後…父がエスコバル辺境伯との結婚話を持ってきて、その数週間後には式の日取りが決まっていた。あまりの展開の速さに、心が追い付かないままオリビアの嫁入り支度が始まっていた。
「このままじゃ、辺境に嫁ぐことになるけれど、あんなに嬉しそうなお父さまとお母さまに結婚できないなどと伝えられないわ。どうしたらいいの?」
オリビアは困り果てていた。辺境伯といえば、国境で隣国との国境防衛にあたると同時にウルル山脈から来る魔物の侵入を防ぐ屈強の騎士だと聞いている。滅多に王都に来ることはなく、当然舞踏会に出席していることろを見たことはない。傷だらけの身体に似合わない美丈夫だけれど、無口で不愛想…何を考えているか全くわからない人物だと噂されている。自分の思いを置き去りに進んでいく結婚式の準備に、息をつく暇もない毎日に疲れ、気がつくと、オリビアは屋敷の図書館へ逃げ込んで、一人、誰にも聞かせられないつぶやきを落としていた。
「このままでは、本当に結婚することになってしまう。人となりを知ることもなく突然辺境伯夫人だなんて、無理に決まってる。変わってもらえるのなら誰かに変わってもらいたい。」
そう呟いて見上げた本棚に、一冊の本を見つける。
「これは魔術書...。」
興味をひかれて手に取り、ぱらぱらとページをめくると、ふと’魂の召喚’という魔術を見つけた。
「魂を召喚するって、どういうことなのかしら?これは...’リコレクタ・リヘラ・インテルカンビア・ミ・アルマ’」
読めたことが嬉しくて、思わず呪文をつぶやいた。
途端に身体が光に包まれて意識がそこへ沈んでいく。沈んだ意識はすぐに戻り思わず目をパチパチとあけしめする。
「何だったんだろ?今の…。」
不思議な感覚だけはわずかに残っていたが、いつまでも図書館に逃げ込んでいるわけにはいかず、オリビアは自室に戻り諦めたように結婚式の準備を続けた。
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オリビアの意識が再び光に呼び込まれたのは、結婚式直前の控室でのことだった。また一瞬で感覚が戻ったが、今度はとんでもないことが起きていた。自分の中に自分ではない別の誰かが存在していたのだ。彼女の発言には時折わからない言葉が混ざる。いったい何が…この方は誰?それほど時間をかけなくとも、この女性が自分とはまったくの別人であることと、存在しているはずの自分に気づいていないことはわかった。
”まさかわたし…誰かの魂を召喚してしまったの?”
召喚術は基本、異世界から様々なモノをよぶ。そう、あくまでもモノをよび込むのだ。けれど、好奇心に負けてつぶやいた図書館での召喚術は本当に誰かの’魂’をよんでしまったようだ。あの時は何も起こらなかったのに、なぜ今になって発動したのかわからないが、オリビアにはそれしかこの奇妙な出来事の説明ができなかった。身体は自分だが、意識は別の人物。そして自分の魂は自身の身体に留まっているようなのだが、もう一つの魂に語り掛ける術はないらしい。自分の身体に存在するその女性は、パニックしながらも結婚式を進めていく。オリビアはその姿をただ眺めているしかなかった。でもこれが自分の望んだ形に一番近い状態だ。自分を納得させるには都合がよかった。けれど、誓いのキスで彼女が泣いたときは後悔と罪悪感に押しつぶされそうになった。
そんなオリビアの後悔とは対照的に、もう一人の彼女は式を終えると前を向いた。披露宴の会場に足を踏み入れるころには、所作や言葉遣いは身体が覚えていて、異世界で文化も習慣も違うことに戸惑っている彼女のサポートができていることにオリビアは安堵した…その直後、どこからか心無い声が聞こえてきた。
「いくら美丈夫とはいえ、あんなに無口で無表情…。よく結婚なんて決められましたわね。」
「戦の傷も数多あるそうだ。戦闘狂…野蛮人…どこまでが噂なのかはわかりかねるが、火のない所に煙は立たぬというのだから、まったくのでたらめというわけではなかろうに…花嫁は無事でいられるのだろうかね。」
披露宴がはじまる…主催者が登場するとわかっていて、コソコソと品のないうわさ話している。この手の非常識な貴族というのは弱者と認定した人物には薄暗い感情を無遠慮にぶつけてくる。自分自身もこのうわさ話に戸惑っていたことは否めないが、こうあからさまに悪意をむけられるといたたまれない気持ちで身体が固くなる。自分の都合に巻き込まれた彼女は大丈夫だろうか?申し訳ないと思った瞬間にハッキリと凛とした声が響いた。
「ご心配、ありがとうございます。でも、ジオヴァン二さまはとても優しいお方です。その優しさは妻となった私が知っていればいいことです。お心遣いには感謝しますが、こう言ったお言葉は控えていただけると嬉しく思いますわ。」
声の主は確かに自分だが、この強さは自分の中に存在する彼女の強さなんだろう。コソコソと話していたはずの周囲の人達に満面の笑みを浮かべ、ぴしゃりと彼らを一蹴りした。他人事のように受け流していた自分とは違い、このオリビアは堂々と中傷に意見をしたのだ。その姿にハッとしたジオの顔がオリビアの後姿を見つめながら少しだけ緩んだように見えた。
”呼んでしまったのが誰だかわからないけれど、この方はエスコバル辺境伯を大切に思ってくださるようで安心しました。とても申し訳ないけれど、この方がわたしの中にいてくださって本当に良かった。”
魂の召喚で別の魂がオリビアの身体に入っているため、元のオリビアは身体を間借りしている状態なのだろう。意識の維持がとても難しい。結婚披露パーティーが終わる前には身体を今の魂に任せる形でオリビアは眠りについた。
頑張って週1更新を目指します。
そして次回...結婚式の次に頼子にやって来る試練デス
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