2. 前世の記憶
淑女の中で目覚めた私は、もとは日本人。アラサー喪女って自己紹介しかしてなかったけど、一応ちゃんと社会人をしていた。まぁ、特別何かができたわけでもない、地味な事務職を淡々とこなしていただけの冴えない人間でしたけどね。
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「ゲームはいいよぉ~。相手は絶対に自分を大事にしてくれるじゃない?好感度の心配はしても、嫌われるとか幻滅されるとかの心配はないんだもん!サイコー。」
「わかった、わかった。」
少々ピッチが早い自覚はあったけれど、親友の和美と久しぶりに飲めると思って気を緩めすぎた。ビール二杯ですっかり出来上がった状態になってしまった。
「頼子、何かあったの?」
さすが、親友。単なる酔っぱらいとあしらうわけじゃなく、いつもと違う私に気づいてくれたようだ。
「河野くんが、結婚するんだって。」
高めのテンションが一気に冷めて、声が小さくなる。
「何?」
「河野くんが、さつきちゃんと結婚するんだって。」
開き直って和美に告げる。
「河野って、あの河野彰?あんたを好きだって言ってた同僚の?」
和美の確認に小さく頷く。
「さつきちゃんって、あんたが新人研修したあの’ちゃっかりちゃん’?」
「そう。」
「えっ?あんたと彼女じゃタイプ真逆じゃん!」
和美の容赦ないコメントに納得しかできない。河野彰は同じ部署仲間で、新卒入社だったから少し後輩だけど同じ年ということもあって、気が付くと事務的サポートをするようになった気心の許せる数少ない同僚だった。河野くんが会社に慣れて、責任ある仕事を任されるようになると、私がアシスタントに指名されて一緒に過ごす時間が必然的に増えた。その信頼関係は、友情より少し特別なものに変わり、ある日、河野くんから告白された。でも、わたしは自分に自信がなくて、居心地のいい場所を失いたくなくて、友人でいたいと答えた。それでも彼は、時々冗談交じりに告白を続けていた。
「俺は器用にフラフラできるタイプじゃないから。高瀬に気持ちがあるうちは誰にアプローチされても動かないと思うぞ。」
そんなふうに、いたずらっぽく笑った顔にこれ以上自分の気持ちを否定できないことを認め、彼が初めて任された大きなコンペに成功したら、今度こそ自分からこの気持ちを告げようと決めた。その矢先のニュースだった。
「このあいだ、河野くんが担当した少し大きい取引のコンペがあってね。その事務サポートをさつきちゃんに任せてみたの。そのコンペが通って、祝杯上げたついでにまぁ…ね。それで、大人の関係になったらしいのよ。で、そのまま結婚だってさ。」
「いやソレ、展開が早すぎんでしょ。ってか、なんであんたがそんな詳細まで知ってるのよ。」
「それはね…」
つぶやきながら、その詳細を知ったいきさつを思い出していた。
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「高瀬先輩、私、河野先輩と結婚します。」
コンペ成功のお祝いランチで、渡辺さつきにそう告げられて絶句した。とはいえ、自分と河野の関係はただの同僚…友人。動揺を隠して会話を続ける。
「いつの間に、お付き合いしてたの?全然、知らなかったよ。おめでとう。」
「おめでとうって言ってくれるんですか?」
「えっ?」
「だって先輩、河野先輩とお付き合いされてませんでした?」
”はぁ?付き合ってはいないけど、それ以前に私と河野くんがもし付き合ってたと思ってたなら、この話は根本からおかしいでしょ。”
社会人として動揺を見せない訓練はできている。とにかく冷静に落ち着いた声で答えた。
「友人だけど、お付き合いはしていないよ。」
淡々と事実を告げた私に、さつきがニコっと笑ってとんでもない答えを返してきた。
「そうですよね。友人って言葉で高瀬先輩はずっと河野先輩を縛ってきてた。河野先輩はあんなに一途に高瀬先輩を思っていたのに...。だから、私は最終手段に出たんです。コンペの成功のお祝いに誘って、お酒を勧めて、既成事実ができたと思わせれば、河野先輩なら絶対、無下にしないってわかってたから、思い切って実行したんです。」
「思わせたって…さつきちゃん。」
「さすが私の尊敬する高瀬先輩ですね。聞き逃してはくれなかった。あの夜、実際は河野先輩と何もなかったんですよ。河野先輩が”何かあった”って信じてくれればそれでよかった。そのあと、ちゃんと責任とってお付き合いしてもらうことにして、ついでに将来の責任も取ってもらうことにしたんです。」
「ついでにって…それ、河野くんは知ってるの?」
「言うわけないじゃないですかぁ。でも、河野先輩は責任感が強いから、高瀬先輩のことはあきらめて、私をしあわせにしてくれるそうです。」
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和美が無言になる。和美のような口がたつタイプは無言になるのが一番怖い。何考えてるかは想像できるけど、想像したくないな…正直。
「和美さん?和美さ~ん。」
酔っぱらったテンションは、最初の勢いだけだったらしく今はすっかり冷めていた。無言になった親友の目の前で手をヒラヒラとさせて様子を伺う。
「ちょっと、電話貸しな。」
これ、怒り度マックスだわ。声にドスが効いてますよ…怖い。
「なに故でござるかな?」
「どうせあんたのことだから、河野くんに何も言ってないんでしょ?」
茶化してみたが効果なし。和美は本気で河野くんに電話するつもりのようだ。
「私からは言えないよ。」
「わかってるよ。あんたが言えないから、私が言うんでしょ?」
無言でうつむいてしまった。言えるはずがない。
「借りるよ。」
いつの間にか私の携帯を手に和美が電話をかけている。
「ちょっと、和美!」
人差し指で制止されているうちに電話がつながってしまった。
「突然、すみません。高瀬頼子の親友の中塚和美と申します。あったこともない他人の私から言う義理も権利もないことは充分承知していますが、信じる信じないは河野さんの判断にお任せするとしても、事実を知る権利はあると思いまして、お電話させていただきました。あなたの婚約者の渡辺さつきさん、あなたに噓をついてますよ。今後のためにも事実確認をすることをお勧めします。それと、この件に関して高瀬はあなたを傷つけるような事実をお伝えすることにひどく反対していたことだけお伝えしておきますね。」
「ちょっと、和美…。」
和美の発言がようやく理解できたころには、電話は終わっていた。あのあと、自分がどうやって家に帰ったのかよく覚えていない。
翌日、河野くんから電話があったのは昼を少し過ぎてからだった。気まずくて口数が極端に少ない自分に気遣いながらも会う時間が欲しいと言われて、夕方から会うことになった。
「昨夜の電話…驚いたよ。」
「ごめんね。友達に携帯とられちゃって…ホント、あんな意味不明なこと聞かされても困るだけだったでしょ。」
自分からは電話の内容について触れないことを決めていた。当事者からいきさつを聞いているのだから、”嘘”の内容はともかく、”嘘をつかれている”ことは事実だ。
「さつきに聞いた。お前に結婚のことを話したって。だから悔し紛れだろうって。」
「そう…。」
やっぱり、本当のことは言えないよね。
「悔し紛れって、それだとお前が俺を好きってことになるからおかしいだろって思うんだ。」
河野くんの混乱が伝わってくる。
「悔しいっていうのは本当よ。私、河野くんに好きって言おうって決めてたのに、そのチャンスを逃しちゃったから。」
上手く笑えた気がしない。それでも笑ってみせた。
「それって…。」
はじかれたように顔をあげた河野くんと視線が重なる。
「結婚はタイミングだってよく聞かされてたけど、それって好きって伝えることも同じだったんだね。私はタイミングを逃したの。さつきちゃんとしあわせにね。打算的なところもあるけど、河野くんがまっすぐすぎるから、キレイごとだけですまない部分は、彼女がバランスをとってくれるんじゃないかな?」
「高瀬…。」
「月曜日にはちゃんと友人に戻るから、時間をちょうだい。さつきちゃんを大事にね。」
軽く会釈してその場を去った。一方的な自己満足な告白だったけれど、思いを告げられたことで振り切れる気がした。それなのに、私は月曜日に会社に行くことはなかった。あの帰り道で暴走車にはねられそうになっていた子供をかばって事故にあったからだ。
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"そっか…私、事故で死んだんだ。"
長いバージンロードを歩きながら、今更のように前世の終わりを思い出していた。
次回、旦那さまにご対面です