14. 夢か現実か...痛みだけが残った愛
どこまでもバカ正直な頼子です...幸せになってほしい。
身体の状態が深刻だったために、退院までは時間がかかると言われた。ベットで過ごす時間が長いため、必然的にリハビリの時間も一緒に設けられ、日常と呼べる現実世界へ戻るにはまだ少し時間がかかるようだった。それでも、到底現実とは思えない世界で、現実よりも深い愛を知った頼子には、心を癒す時間も必要だった。
「ジオとオリビア、大丈夫かな?」
病室の窓から見える月を見て、ふとエスコバル領で見た月を思い出す。今見上げている月よりも大きく、黄色というより琥珀色と形容した方がピッタリの月だ。
”思った以上にダメージ大きかったな。今となっちゃ、アレが現実かどうかなんて知りようがないのに...”
無意識に胸元を掴む。ジオのことを思い出すと、真実を告げたあの時の胸の痛みがよみがえる。その痛みはまるでアノ世界が現実であったことを繰り返し突き付けているようだ。
頼子は傷病休暇という形で医者から許可が下りるまで会社を長期休職することになった。会社復帰という目標を持ってリハビリをする忙しい毎日は、異世界での恋を思い出さない、思い出さなくてもいい時間薬になってくれた。それでも、ふと異世界の生活を思い出すことがあると、胸がズキりと痛んだ。夜、窓から見上げる月が涙でにじむ。
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頼子は、目覚めたその日に彰に真実を告げた。あくまでも頼子の中の真実...おそらく他人には限りなく現実に近い夢の話。
「河野君、真実を知る勇気、ある?」
ジオに告げたときと全く同じ言葉で、頼子は彰を挑発した。あの時は、オリビアではなく高瀬頼子としてジオに向き合うために、あえて‘自分らしく’と意識したが、今回は’異世界で変わった自分’を彰に感じさせられるように、あえて挑戦的な態度をとったのだ。
「なんだよ...高瀬っぽくないな。」
頼子の気迫に彰が少したじろぐ。
「言ったでしょ?今のわたしは、河野君の知る高瀬頼子じゃないかもしれないって。」
ちゃんと笑えているだろうか。頼子はオリビアの優雅な微笑みを思い出しながら笑顔を浮かべてみた。貴族社会では女性の微笑みは武器である。隠したい事実があるときも、真実を告げる前兆を予期させるときも、淑女と呼ばれた女性たちはみな、この笑顔を武器に社交界を戦っていた。今頼子は、現実世界で信じがたい事実を述べることに逃げ腰になりそうな自分を奮い立たせるために笑っている。オリビアと生きてきた時間はやはり頼子の中に存在しているのだと、改めて確信した。
「わたしね、意識不明だった間、異世界にいたの。」
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一つ間違えれば、心療内科医を即座に呼ばれてしまうのではないかという状況で、頼子はいきなり結論から切り出した。交渉において相手の意表を突くことは、自分の立場を有利にする最高の手段だ。
ジオに真実を告げたときは、本当に怖かった。愛した人の反応が、言葉が想像できなくて、とにかくまくしたてるように事実を告げてしまった。彰に好意があることは確かだ。でも、頼子と彰のあいだには失うものがない。しいて言うならば、友情関係だろうが、なんとなくそこはセーフゾーンのような気がした。頼子の中には友情関係は崩れないだろうという変な確証があった。
「信じられない話だって、言ったでしょ?」
言葉を失くす彰にもう一度、優雅に微笑んでみる。
「どんな世界だったんだ?」
気を取り直したように彰が質問をした。
「中世のヨーロッパみたいな場所でね、わたしが好きでプレーしていた’オトセカ’...えっと、’聖なる乙女と光の世界’っていうゲームの世界によく似ていたの。」
「今どきの、転生モノ...みたいな?」
「最初はわたしもそう思った。でも違った。」
頼子はエスコバル領で過ごした思い出を彰に話した。領地改革に携わったこと、王宮舞踏会に参加したこと、そこで隣国との外交に役立ち、騎士団長と国境防衛案の議論まで交わしたことも...
「すごいな。」
ひとつの物語を聞くように、熱心に耳を傾けていた彰が興奮気味に相槌を打つ。異世界の貴族社会。そこで出会った人たちは確かに物語の中にいるような人物ばかりだった。
「高瀬は転生したんじゃないって言ったよな?」
「そうね...転生ではなかった。」
頼子の声が少し低くなる。
「憑依したみたいな?」
「上手く説明できるのかわからないけれど、召喚術で魂が召喚されたって聞いた。」
「ますますファンタジーだなぁ。」
彰が笑う。
「ゲームの世界に似てはいたけれど、高瀬の知ってるゲームじゃなかったんだろ?なんで違うってわかったんだ?俺の知ってる転生モノはゲームという前提で動き始めてるから、違うと確信できる何かがあったってことだよな?」
純粋な好奇心で彰の瞳が揺れている。頼子の都合のいい話だけで終われるはずはないのだ。
「わたしは結婚式の控室で目覚めたの。鏡の中の女性はウエディングドレスを着ていたわ。」
「はぁっ?」
本気で驚くと、人は本当に間抜けな音をたてるんだなと変なことを思った。単なる現実逃避だ。核心に触れなければいけないのだから、逃げてはいられないが、彰に告げなければいけないと思った告げたくない事実にたどり着いてしまった。
「わたしは’オトセカ’の悪役令嬢だったオリビア・ウェールズ伯爵令嬢として目覚めたのよ。わたしが伯爵令嬢とか、ありえないでしょ?」
おどけて笑ってみせるが、その笑みが中途半端なものだろうと言うことは鏡を見なくてもわかった。
「結婚式...ウエディングドレスって...まさか高瀬。」
明らかに動揺しているのがわかる。
”やっぱり、気になるのはソコよね...。”
「うん、わたしあの世界でエスコバル辺境伯、ジオバニ・エスコバル卿と結婚したわ。」
真実は遠回しに伝えるべきじゃない。ジオの話した時と同じだ。彰には信じたくない事実なんだから、ごまかすのは卑怯だ。あの時、ジオと結婚したのは自分だし、そのあと彼を愛したのも自分だ。
「政略結婚とかいうやつだよな...愛のない...。」
頼子はゆっくりと目を閉じて小さく深呼吸する。
「河野君、ごめんね。わたしは確かにオリビア・ウェールズ辺境伯夫人だったの。オリビア本人もジオを愛していたけれど、わたしも彼を愛してた。」
残酷な真実。生死を彷徨う自分を一途に待ってくれた人。その彼を確実に傷つける事実を突きつけてしまった。
「だから、この話を聞いてほしいと思った。わたしは河野君が思っている高瀬頼子じゃないかもしれないから...。」
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真実を知って無言になってしまった彰は、面会時間が過ぎてしまったため看護師さんに病室を追い出された。そして、それから3日...彼は病室に来ていない。
「ホント、損な性格。」
彰を好きだと思ったから嘘をつきたくなかった。自分の中では真実である以上、オリビアとして過ごした日々も、あの時感じた愛おしさも、ないものにはしたくなかった。今の自分は確実にオリビアとして生きた時間に影響されている。ジオを愛して、喜びも悲しみも痛みも知ってしまった。自分を好きだと言ってくれた彰には知る権利がある。そう思ったのだ。
「そんなの、わたしの自己満足なのにね。」
苦笑いしてそうつぶやいたとき、病室にノックが響いた。
「先輩。」
顔を出したのは予想もしていなかった見舞客だった。
「さつきちゃん...」
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「先輩、今度こそ河野さんとラブラブになると思ったのに、どうしちゃったんですか?」
病室に入るなり遠慮のない女子だ。
「言っておきますけど、わたしと河野さんの婚約はなくなってますよ。」
顔を近づけてさつきが屈託なく笑う。
「河野君に聞いたから、知ってるよ。」
「あれ?それが原因で上手くいってないって訳じゃないんですか?」
「ちょっと、違うかな?」
「先輩、ひょっとしてわたしたちが寝ちゃったからダメとか言わないですよね?そんなこと、なかったし...」
こういうことを明け透けと話すあたり、やっぱり理解に苦しむ。
「えっ?そんなことなかったって...?」
「ほ~んと、先輩って、ぼぉっとしててもこういう言葉、聞き逃しませんよね。」
いつだったかの会話を思い出す。
「わたしから婚約解消をしたんですよ。河野さん、ホントにおかたくて結婚するまではダメとか言ってまったく落ちないんだもん。ベットの相性が悪かったら一生後悔するじゃないですかぁ。あり得ないなって、バイバイしました。」
婚約破棄の理由は話せないと言った彰の言葉を思い出した。
”確かにこの理由なら、河野君は話したりしないよね。”
自分が好きになった人らしくて笑みがこぼれる。
「ねっ?わたしが来てよかったでしょ?安心してヨリを戻してくださいね。なんか、ホント後味悪いんですもん。」
「ヨリを戻すって、友だち同士のわたしたちがどんなヨリを戻すのよ。」
頼子が苦笑いする。
「河野さんが先輩のために退職したのって有名なんですよ!まぁ、部長が休職扱いしてましたから、実際にやめたわけじゃなかったけど...。復職してバリバリ働いてるからてっきり先輩のためだと思ってたのに、最近の河野さん、少し人が変わったみたいで心配です。だから、先輩と何かあったんだろうって思って、誤解を解きに来ました。」
「さつきちゃん、ありがとう。でも、あなたの見当違いよ。わたしが河野君にできることは、多分ないわ。」
婚約破棄の理由がわかって、なんだか変に腑に落ちた。彰にとって、自分が異世界で結婚したことは許しがたいことだったのだろうと頼子は思った。たとえ、違う人物と生きていたとしても、そこに高瀬頼子の魂は存在していた。そして、高瀬頼子はジオを愛して、オリビアとして愛し合っていた。割り切れないのだろうと思う。今でも軋む胸がジオを思い出させる。そんな自分がジオに会えないからと彰と付き合うことは許されないのだろうと納得してしまった。
「高瀬が俺にできることは、確かにないな。」
軽くノックがされて、彰が病室に入って来る。
「返事がないのに、入って悪いな。」
こういう真面目なところも好きなんだと頼子は笑ってしまった。
「いいわよ、そんなこと。」
ほんの数秒だろうか、頼子と彰は黙ったままお互いを見つめ合う。どことなく顔つきが引き締まって、前よりもっといいオトコに見える。
”まいったなぁ…どんどん素敵になる…好きだって気持ち、誤魔化せなくなる。”
彰に会えない3日間は、正直つらかった。意識不明の自分を2週間待ち続けた彰の気持ちが、ほんの少しだけ分かった気がした。
「渡辺さん、本当に理由を話しに来てくれたんだ。ありがとう。」
彰が真摯に礼をする。
「わたし、河野さんのそういう真面目なところに惹かれたのは本当なんですよ。でも、誰かを騙して嘘をつかせたってお互い幸せになれるはずがないじゃないですか。だから、わたしはまた優良物件探しに出かけます。お二人は、どんな事情があるか知りませんけど、意地はっても無駄ですよ。好き同士なんだから、さっさとくっついちゃってください。」
頼子を見て、軽くウインクすると、さつきは病室を去った。
ここへきて、さつきが少しいい人になった...りしてますかねw
最後の捨て台詞は、彼女の本音だと思ってます。
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次回が最終回の予定です。
最後までお付き合いいただけると嬉しいです。
よろしくお願いします。