13. 喪女のわたしはどうなった?
オリビアとジオに別れを告げた頼子のその後です。
目が覚めると病院だった。白い天井を見上げて不思議な感覚に襲われる。
「えらくシンプルな天井ね。」
ポツリとつぶやいた頼子の声にガバッと誰かが反応する。
「高瀬...」
無精ひげを生やした見るも無残な河野彰がそこにいた。
「ジオと比べたらコクよね。」
ポツリとつぶやくと、銀髪に夜空の瞳が思い浮かんだ。あれは夢だったのだろうか。ひどくリアルな夢だったな...と自虐的な笑みが浮かぶ。
「でも、あれ?どうして河野君がここにいるの?」
現実に引き戻されて純粋に思ったことが口をついた。わたしを見つめている彰の目に涙が浮かんでいる。
「わたし...死んでなかったの?」
その問いには、彰が苦い顔をしながら答えてくれた。
「高瀬は俺と別れた後すぐ事故に遭ったんだ。子供をかばって車にはねられた。高瀬が去ったあと俺は帰ることができずに立ち止まっていたから、その事故現場のすぐ近くにいたんだ。大きな音がして、胸騒ぎがして、気づいたら走り出していて…事故現場に血まみれになって倒れている高瀬を見つけた。」
彰が額にこぶしをあててうつむく。 その切羽詰まった様子が憔悴した声からも伝わってくる。
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頼子が暮らした異世界の時の流れに比べると、現実世界の方がはるかに時間は緩やかに過ぎているようだ。どうやら現実世界で意識不明になっていた間、頼子は異世界で生活していたらしい。そしてそれはこちらの時間では数週間のことだったとわかった。
「高瀬を見つけて救急車を呼んだ時、身内じゃなきゃ一緒に病院まではいけないって言われて、とっさに俺の婚約者だって...そう言ったんだ。ごめん…そんなこと言える立場じゃないのに。どうしても高瀬を一人にしたくなかった。」
気まずそうにうつむいた姿がなんだか別れたときのジオの姿に重なった。容姿は全く違うけれど、その人のもつオーラというか雰囲気というか、とにかく纏う空気が酷似していると思った。でも、そう思ってズキッと胸に鈍い痛みを感じる。この痛みがなにより頼子の中のジオの存在を本物にしていた。
「救急に運ばれてすぐ手術になったけど、一時はかなり危険な状態だった。覚悟してくださいって言われた。なんの覚悟だよって思って、信じられなくて…でも、高瀬は一命をとりとめた。助かってくれた...良かった...ホントに良かった。」
そうつぶやいた彰の声は強張っていて、頼子は本当にひどく心配させてしまったんだと自覚する。
「だけど...でも、手術のあとからずっと、高瀬は眠ったままだった。医者からいつ目を覚ますかわからない...今度はそう言われた。意識が戻るのがいつになるのかわからないってなんだよって...そんなことない...目を覚ますだろうって信じてた…でも、なかなか意識が戻らなくて...。」
混乱と戸惑いが伝わってくる。自分が目を覚ますまでの二週間...彰にどれだけの不安や心配を与えてしまったのだろう。頼子は目の前で泣きそうになっている彰を見つめながら、別れたあの日の自分の気持ちを思い出していた。
「幸い高瀬の親友の中塚和美さんと話したことがあったから、彼女と連絡を取って、高瀬のご両親にも事故のことを知らせた。どうしても仕事の関係で病院に付き添えないというご両親の許可をもらって、高瀬に付き添うために会社を辞めた。高瀬が目を覚ました時、俺はここにいたいって思ったから。」
彰はいつ意識が戻るかわからない自分のためにずっと付き添ってくれていた。自分の知っている彼の優しさがそのままであることに懐かしさと嬉しさを感じた。痛みを感じる胸に灯るこのあたたかい気持ちは、彰に対する好意なんだと、人を愛することを知った今の頼子にならわかる...などと感傷に浸りそうになるが、元来の世話好きな自分が現実を連れてやってくる。
「ちょっと待って、河野くんはさつきちゃんと結婚するんじゃなかったの?」
そうだ、異世界でいろいろありすぎですっかり忘れそうになっていたが、頼子は河野彰に振られている。あの事故の日にちゃんと決別したはずだったのだ。
”なんで、河野君がわたしの病室にいて付き添ってくれてるの?いい話っぽくまとまって、感傷的になって危うく記憶抹消しちゃうところだったじゃない!情に流されちゃいけない。この人には婚約者がいたハズ。好きになった人にまた別の誰かがいるなんで絶対にイヤだ。”
現実に引き戻されたかのように恋心が吹き飛んで、それより大事な事実が目の前を占拠する。
「ちょっと待った!それよりも、大事なこと!!」
思ったよりも大きな声が出て、河野君の肩がビクッと動く。
「退職届って何!?仕事辞めちゃったってこと??ダメじゃない!何してるのよ?」
頼子の乙女的思考が彼方に追いやられて浮かび上がった大問題…自分がフラれてることも、婚約者がいたはずの事実もどうでもよくなるくらいビックリな発言があったことに突如、気づいた。
”付き添ってくれたことは嬉しいけど、ありがたいけど、会社は辞めちゃダメなヤツ。まずはコレが一番大事。河野くんに考えを改めてもらわなくっちゃ。”
二週間も意識不明だった自分のことは華麗にスルーで棚に上げて、河野くんの復職をどうすべきか…頼子の頭はフル回転で稼働し始めた。
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元来の世話好きは、喪女かどうかも死にかけた体験も、ましてや異世界なんて突飛もない経験をしても変わらないらしい。
頼子は彰の退職発言を聞いてすぐにスマホを探しだし、会社に電話をすると、自分の状況説明より先に彰の退職を取り消してもらえないかと上司に直談判した。
「部長、河野くんを失うのは会社にとって大きな損失です。彼の人柄に信頼を置くクライアントは大勢います。これくらいの遅れは彼ならば難なく挽回できるはずです。それは今までの実績が証明しています。彼にチャンスを与えて復職させられるのは部長だけですよね?退職撤回、お願いします。」
他人だと…ただの同僚だと言い張る頼子に反して、紡がれる褒め言葉の羅列には熱がこもっている。彰は真っ赤になって俯いていた。少なくとも好意を寄せている相手にここまで手放して褒められたら、誰だって照れるだろう。
「俺の一存で、お前の退職は休職扱いにしてある。早く戻って来いと河野に伝えてくれ。」
スピーカーに切り替えた頼子のスマホから上司が苦笑いして告げる言葉が聞こえた。
「それはそうと高瀬、お前も回復したのか?早く戻ってこい。お前たちの事情は、その時しっかり聞かせてもらおう。宜しくな。」
からかい混じりのあたたかい声援に頼子はフッと我に返って、自分の行動が衝動的なものだったと気づく。ベットの横には真っ赤になった河野彰。やらかしたんだと思ってももう遅い…
「わたしも、河野君が無職になったら困る。もう大丈夫だから、先に会社に復職して。」
恥ずかしいやらいたたまれないやら複座な気持ちを敢えて無視して彰に発破をかける。
「高瀬が元気で何よりだよ。でも見舞いには来るからな。」
真っ赤な顔を上げて彰がぶっきらぼうに告げると、その表情に頼子はホッと微笑みを浮かべた。
「ところで、河野くん。」
照れくさい雰囲気をふっとばすような鋭い声がする。一瞬にして空気が凍る。そこにはさっきの微笑みがまるで幻だったかのように厳しい表情の頼子がいる。
「とりあえず、説明しようか。」
もとは同僚…親しい友人。このあたりは容赦はない。
「わたしの記憶では、あなたはさつきちゃんの婚約者。わたしたちは同僚のハズよね?」
病室に吹雪の寒さを感じる…
「どういうことかしら?」
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「結論から言えば、婚約は解消してるよ。」
頼子の迫力に押されて気まずそうに彰が口を開く。
「わたしのせい?」
何をどう思ってそういったのかはわからないが、バカバカしい言葉が口をついて出た。
「違う。」
彰がハッキリと否定する。
「俺一人の問題じゃないから詳細は話せないけど、お互いちゃんと納得して婚約は解消したんだ。」
「迷惑…かけなかった?」
会社は組織だ。社内恋愛が結婚に至るのは、自由恋愛を認めている社風の中でよくあることだから受け入れられている。けれど婚約解消は…
「正式に報告する前だったから問題はなかったよ。そもそもまだ両家に挨拶もしていない状態で渡辺さんが先走って高瀬に婚約の話をして…」
彰の言葉の歯切れが悪い。
"さつきちゃんの呼び名戻ってる。"
変なことが気になって頼子は苦笑いした。
「俺はあの日の高瀬の言葉をずっと考えてた。あの言葉を受け取りたくて、本当にしたくて婚約者だなんて勝手に名乗った…ごめん。」
「河野くんを好きだったのはホントのことだよ。」
泣きそうな顔で彰が頼子を見つめる。大人の男の人の切ない表情って変に色気があるな…なんて余計なことを考える余裕があって自分の変化に驚く。
「婚約の話も正直に言えば嬉しい。」
ホッと彰の表情が柔らかくなる。
「でもね、わたしはひょっとしたら、河野くんの知っている高瀬頼子じゃないかもしれない。だから、河野くんの気持ちを受け入れていいかわからないの。」
"どうしてこう自分は融通がきかないのだろう。さつきちゃんのように、したたかに好きなものは好きとぶつかってしまえばいいのに…"
頼子は自分の真面目さに少し呆れた。喪女歴が長すぎて、変に頭が硬いのもそう簡単には変わらないものなんだろう。異世界での日々を説明する勇気もないのに、中途半端な告白をして河野くんを惑わせている。
「結論を急ぐ必要、あるか?」
彰の優しい声が届く。眼差しがまたもやジオを彷彿させる。胸に鈍い痛みを感じる。
「俺は一度、高瀬を失いそうになったんだ。今、目の前にいるお前を、俺に向き合ってくれるお前を、簡単に諦めるほどお人好しにはなれないよ。」
そう言って困ったように彰が笑う。頼子はそんな彼を確かに好きだと思う。最高にかっこ悪い告白をしたばかりなのに、不毛な恋を終わらせたばかりなのに、目の前のこの人を好きだと思うのがなんだかズルい気がして頼子はうつむくしかできなかった。
「高瀬、時間をくれないか?俺は一度お前以外の人間と婚約しようとした。」
"河野くん、ごめん。それを言うならわたしは他の人と結婚してたわ。"
「お前が信用できないこともわかる。」
"河野くんに非はないよ。"
「可能性がゼロじゃなきゃ、チャンスをくれ。」
真剣な眼差しがまたジオを思い出させる。
"こんなの卑怯だ。"
自分のズルさに嫌気がさす。
「そんなふうに思ってもらう価値…私にあるのかな。」
彰を想う自分の好きにも疑いはないのに、真剣な彰に気持ちを返したいのに、無意識に思い出されるジオとの鮮明な記憶が胸をえぐる。叶わないとわかって愛した人に別れを告げたのはほんの数時間前のことだ。現実か夢かわからないような曖昧な世界で、それでも痛みを伴うジオへの想いは本物だとしか思えない。
「あのね、これから信じられないような話をするの。それを聞いてから、もう一度、河野くんの気持ちを聞いてもいい?」
意を決した。不器用でも、バカ正直でも、自分はこうしか生きられない。変なヤツだと軽蔑されるかもしれないけど、自分の人生の一部をなかったことにはできない。
「河野くん、真実を知る勇気ある?」
気がつくと、頼子はジオに告げた言葉をそのまま彰に告げていた。
喪女でなくなった頼子ですが、幸せになれるでしょうか。
できれば今月中に最終話まで投稿したいと思っています。
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