12. 真実の告白:別離のとき
別れの覚悟を決めて真実を告白する頼子です。
「ごめんね...ジオ。わたしはあなたのオリー、オリビア・ウェールズじゃないの。」
真実を告げながら、泣きそうになった。でも、自分が泣くのは間違っていることを頼子は知っていた。今、残酷な現実を突きつけられているのはジオなのだ。真実の告白はこの世界での頼子の生活の終わりを意味するが、それはあくまでも頼子の都合。どこまでも自己中心的でしかないこの話をジオがどう受け止めるのか…悲しみ…怒り…軽蔑…どの反応を考えても怖い。それでもオリビアだけは守りたい、守るんだと覚悟を決めて、頼子はジオを見据えた。
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「わたしの名前は高瀬頼子。異世界から来たオリビアとは別の人間。」
バクバクと耳元に響く心臓の音がうるさい。張り裂けそうな痛みを伴うその音をかき消すように、まるで自分の覚悟を吐き出すように頼子はジオにそう告げた。
「別人…それでは、オリーはいったいどこにいるんだ?」
ショックを隠せないほど動揺しているのか、ジオの声にいつもの覇気がない。
「たぶんなんだけど、高瀬頼子という人間の魂がオリビアの身体を間借りしているんだと思う。一つの身体に二つの魂が宿った状態と言えばわかってもらえるかしら。」
端的にわかりやすく。残酷な事実は包み隠しても無駄だ。どう言葉を選んだって、相手を傷つけるのならば、理解しやすい言葉で手短に告げるのが一番だ。
「あなたにはあまりいいニュースじゃないけれど、オリビアとわたしの意識は時々入れ替わってる。」
「いつから...」
信じられない事実を突きつけられながらも冷静に状況を確認しようとする当たりは、やはりいろんな修羅場をくぐり抜けてきた人だからなのかもしれない。この辺境の地を守るということは、感情に流されていてはできない仕事だからだ。こんな時でさえ、ジオの強さがまぶしい。
「わたしがこの世界に来たのは、オリビアが結婚式の控室にいる時だった。」
頼子の声が震える。ジオの悲痛な表情にたまらない気持ちになるけれど、彼を傷つけることはわかっていたはずなのだ。守り切らなければいけないはずの秘密を露呈させてしまったのは自分なのだからと、頼子はジオから目をそらさずにいた。
「ごめんなさい。結婚の誓いを立てたのはオリビアじゃなくわたしだったの。」
驚くほどの勢いでジオが目を見開き頼子を見る。その瞳にある感情は複雑すぎて頼子にはわからなかった。たぶん、無意識に知ろうとする気持ちに蓋をしたんだろう。
「初夜を過ごしたのも...わたし...です。」
さすがにこの一言をジオに向かって言うことはできなかった。頼子はうつむいて小さな声で告げた。この話の流れから、想像がつくのではないだろうかとは思ったけれど、改めて聞かれてから答えるのは嫌だった。とにかくさっさと告げたかった…これは自己中心的な告白。夫婦として初めて一緒の夜を過ごした人間がオリビアじゃなかったことに落胆されることが、その失望の表情を見ることはどうしても嫌だった。どこまでもわがままな自分の気持ちを優先して告げた言葉に責任が持てなくて、頼子はうつむいたまま黙り込んだ。
「オリーじゃない別人…魂が二つあるとして、オリーは、オリーの魂は今どこにあるんだ。」
静かな怒気がジオの声に感じられる。ゆっくりとその姿を見れば、怒りが青い炎となって全身を包み込んでいるようにも見える。もう何を言っても言い訳にしかならないだろう。せめてオリビアが安全であることを伝えたい。そして、邪魔ものであるだろう自分のこれからのことを説明して少しは安心してもらいたい。そう思った瞬間、胸がズキッと痛んだ。邪魔者は自分。誤魔化しようのない現実が胸を刺す。もしもジオが持つ長剣に胸を突き抜かれたら、こんな痛みなのかもしれないと思うほどの痛みだった。
「オリーはここにいるわ。この身体の中で眠ってる。」
安堵してもらいたくて精一杯の微笑みを見せる。この次に告げる言葉は、もっとジオを安心させてあげられるだろう。そう思って、口調を強めた。
「たぶんわたしはもうすぐいなくなる…と思うの。結婚式の日にオリビアとして目覚めた私は、この世界に生まれ変わったんだと思ってた。でも、それは解釈ちがいだった。オリビアもこの身体の中に存在していた。あなたの妻として自信をつけようと、彼女は頑張ったのよ。今では立派な辺境伯夫人だわ。」
一緒に辺境伯夫人として努力した日々が思い出される。最初は消極的だったオリビアだが、少しずつ業務を覚えて辺境に慣れていった。頼子はジオを支えたいと一生懸命努力したオリビアを認めてほしいと願いながらジオを見つめた。その努力が認められれば、オリビアと過ごした自分も少しは許されるんじゃないか…そんなことを思った。
「最近は、オリーでいる時間のほうが長いのよ。たぶん、あなたは気付いてる…でしょ?」
気が付くと、ジオの痛いほどの視線は感じなくなっていた。いつのまにか青い炎のような怒りも落ち着き、いまジオは静かにうつむいたままだった。それでも、こちらを見ないジオを頼子は見つめ続けた。本能でこれが最後の会話だと感じていたから、彼を見つめることができる最後の時間かもしれないと思ったから、視線を合わせようとしないジオの気持ちを利用してただただ彼を見つめていた。
頼子の視界がゆっくりとぼやけていく。
’愛されていないわたし’を海の底へ沈めるように、瞳に涙があふれて視界を遮っていく。かすんでいく視野はまるでこれ以上ジオを見つめてはいけないのだと言っているように、なすすべを与えず頼子からジオを奪っていった。
「わたしが...わたしさえいなくなれば、あなたはオリーを取り戻せる。そして、オリーを取り戻せば、わたしはいなくなるから...そしたらもうあなたたちを邪魔する人間は誰もいなくなる。大丈夫。あなたたち夫婦は今までと変わらない。」
自分がいなくなると告げた途端に涙が溢れた。そして、一気に開かれた視界に愛してやまない人が映る。こんなにも愛していたことを今この瞬間まで気づくことができなかった自分の愚かさに、喪女としての皮肉な宿命を感じた。なにもかも…特に自分の気持ちに気づかないフリをすることには悲しいほど上手になっていた。だって、そうすれば傷つかずに済む。目の前の愛する人はオリビアの夫で、自分はこの世界にいるはずのない存在。ジオとオリビアが互いを大事にしていることは周知の事実であり、そこに生まれた悲劇があるとするならば、それはたったひとつ...部外者のわたしがジオを愛してしまったことだけ。
「ジオ、だましていてごめんなさい。でも信じてほしい。オリビアはあなたを愛してる。わたしが言う必要もないと思うし、わたしがあなたに告げる言葉でもないかもしれないんだけど、誤解してほしくないの。邪魔者はわたし…悪いのもわたしなの。オリビアを責めないで。」
オリビアは眠っている。頼子がジオに告白すると決めたあたりでオリビアの意識は全く感じなくなった。憶測でしかないけれど、ジオと向き合う勇気がなかったのだろうと思う。突然でもあったし、体調が悪いことも考えれば、オリビアが表立って現れないことにも納得はできた。事実を告げるのは、この世界を去る自分でいい。頼子が告げることで、不可解な状況が頼子の存在と共に消えることができると印象付けられる。それが事実だし、一番わかりやすいはずなのだ。
「頼子嬢…と、呼ばせていただいても?」
ジオと目が合う。性懲りもなくその瞳に恋心がうずく。
「頼子と呼んでください…あなたの迷惑でなければ。」
自分がジオと呼んでいる以上、敬称をとっても何ら問題はないはずだ。頼子の実年齢はジオよりも年上…ましてお嬢さまでもなんでもない平民なのだ。敬称をつけられたほうがむずがゆい。
「頼子」
名前を呼ぶジオの声があたたかい。こんな仕打ちをした人間に、この人はなんと優しく声をかけるのだろう。頼子は名前を呼んでもらえただけで幸せだった。
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「あなたはさっき、この世界に来たとそう言った。」
「ええ、わたしは異世界の人間。」
「頼子はこの世界を知らない…のか?」
「わたしが知っている世界なのかとも思ったけれど、少し違っていたわ。」
’オトセカの世界’は知っていた。でも、オリビアとして生きた自分は、知っているはずの物語とは全く別のストーリーだった。
「この世界の人を数人、知っていると思った。でも、わたしが知っていることはあまり意味のないことだったから知らないと言って語弊はないと思う。」
ジオは事実確認をしながら思考をまとめているのだろうか…ひとりごととも思える言葉をつぶやきながら、何かを考えている。頼子はその思考を邪魔しないように、事実を一つずつ復唱した。
「君はこの世界とは無関係の人間だった…わたしと出会うことさえないはずの人間。」
ズキッと鈍い痛みが胸を貫いた。事実とはいえ、ジオ本人に”無関係の人間”と言われたことがつらかった。
「無関係の人間に別世界だからと好き放題されては、気分が悪いよね…本当にごめんなさい。」
「いや、違う。」
ジオのハッキリとした否定の言葉が響く。
「君は好き勝手したわけじゃない。領地経営を手伝い、辺境領地を発展に導いてくれた。領地改革案は、君のものだろ?」
わたしの意図を確かめるように、ジオの視線が重なる。
「わたしの改革案と言っていいのか自信がないわ。どれもすべて、わたしの生きていた世界では当たり前のことだったから…」
ゆっくりとジオが情報を処理していくのがわかる。どこまでも優しいこの人は頼子を責めることなくオリビアを気遣ってくれた。
”もう、いいよね。オリビア、起きて。今度はあなたがジオに向き合う番よ。”
心の中で強く思いを込めてつぶやいた。オリビアの意識が浮上するのがわかる。そして、頼子は今まで何度と繰り返してきた’交代’とは違う感覚を感じた。淡い光が身体を包み込む…頼子の意識もゆっくりと浮上する感覚を覚える。
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目の前にいる妻が満月の明りを反射するように淡く輝き、オリビアではないと告げた人が寂しそうに微笑んだ。そして、うっすらと白い影が昇る。
「君が、高瀬頼子嬢?」
「わたしが見えるの?」
白い影が少しずつ人の形になった。それは、まぎれもなく高瀬頼子の姿だった。
「黒い髪に黒い瞳...オリーより少し年上のようだ。」
「そこまで言っちゃダメよ。確かに年上だけど...。」
頼子が苦笑いする。
「年上と言ったのは、外見のことじゃない。君の持つ落ち着いた雰囲気がそう思わせたんだ。」
「そうだったわね。この国で‘年上’という表現は、決して悪いことではなかったわ。」
この世界で生きてきた価値観が前世のそれを上書きする。
「忘れないで、オリーはあなたを愛してる。わたしは本来の場所に帰るわ。」
自分がどうなるかわからないことは、ジオに知らせる必要はないと判断した。泣き顔よりも笑顔を覚えていてほしくて、頼子は精一杯の微笑みを浮かべた。
「わたしを認めてくれて嬉しかった。たくさんの思い出をありがとう。そして、ごめんなさい。わたし...あなたを愛してた。」
”言い逃げなんて卑怯だな。”一瞬そんなことを考えて思い直す。卑怯でもなんでもジオに覚えていてほしい。あたたかな光に身をまかせ、最高にかっこ悪い告白に苦笑いしながら、頼子はゆっくり時空の彼方へ消えた。
恋心を告げない選択もあったけれど、やはり頼子にとってもジオは大切な人…その気持ちをジオのもとに置いていくためにも告げる必要があったのかもしれません。
混乱のなかで目のまえにあらわれた頼子をジオはどう思ったのでしょう。
次回、消えた頼子の行方です。
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