10. 王宮舞踏会
終わり方が突然すぎたので、追加筆しました。
少し読みやすくなっていれば幸いです。
王都ではエスコバル家のテラスハウスに滞在することが決まっていた。ジオととオリビアは予定通り5日間ほどの移動を終えて滞在先へ直行し使用人たちとの顔合わせを済ませ、忙しくなる王都でのスケジュールの確認をする予定だった。そう、予定外なことが起きてしまったのだ。辺境領地を出て三日目。オリビアの顔色が優れないことに気づいたのはジオだった。
「大丈夫か?」
やさしく肩を抱き寄せるジオにキュンとしたのはわたしだけではなかったはず。それでもオリビアの状態は深刻で移動時間が長くなるほどに顔色がどんどんと悪くなっていった。
「少し休め。」
ジオは馬車の窓を開けて御者にゆっくりと進むよう告げると、オリビアの頭を自身に寄せて肩口にジャケットを着せた。
「役に立つかは半信半疑だったが、お前は侍女にも恵まれているな。」
そう苦笑いすると、そっと小さな容器を取り出し中身を軽くこすり合わせた。
「あっ...」
オリビアはレモンとミントの優しい香りが社内をゆっくりと満たしていくのに気づいた。
「お前は我慢強いから気分が悪くなったとしても大丈夫だと言ってなにもさせないだろうと、お前の侍女がわたしに持たせていたのがこれだ。体調が悪い時などに使っている物なのだろう?」
レモンとミントの香油はオリビアのお気に入りだ。体調がすぐれないときや公務が続いてストレスがたまったときなどの気分転換によく香りを楽しんでいた。まさか馬車の旅でこれほどに体調不良になるとは想像しておらず、自分はすっかり準備不足だったというのに、誰かの優しさがジオの手を通して届けられた。
「ありがとうございます。」
何とか無事に王都に到着することはできたが、残念なことにオリビアの体調は戻る様子がなく、到着したその夜、オリビアが頼子に助けを求めてきた。秘密の漏洩リスクを最小限にするために、今回の旅行での会話は日記を媒介にするという約束が二人の間になされていた。オリビアがその日記で交代を申し入れてきたのだ。体調を崩して以降、ジオに心配させてばかりいることに耐えられなくなってしまったのだ。
「頼子姉さま、お願いします。王都滞在中に体調が戻れば必ず交代します。」
日記にはシンプルにそれだけ書かれていた。
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頼子は辺境の地で結婚式の直前にこの世界で目覚めてからというもの、慣れない貴族社会の常識と令嬢マナーを懸命にこなし、辺境の地で幾分か貴族生活に慣れたつもりでいたが、王都ではそのスケールの違いに驚くことばかりだった。舞踏会に向けて持参したドレスや宝飾品の最終選定がされ、メイクやヘアスタイルも侍女たちにおもちゃのように?されながらどんどんと決まっていった。そして当日、ゆっくりと目覚めて軽い食事を済ませるとすぐに夕方に始まる舞踏会の準備が始まった。頼子はオリビアの回復を願いながら、舞踏会の準備を進めていたが残念なことに体調が回復する兆しはなかった。正直に言えば、頼子も緊張からわずかながらに体調不良を感じていたが、今回ばかりは欠席するわけにいかない。頼子は体調を気にしながらも準備を整えていった。
「こんなにも長い時間をかけて準備するものなのね。」
「オリビアさまも王都にいらっしゃった頃は夜会などに参加されていたのではないのですか?」
侍女に指摘されてドキッとする。そうだった。オリビアは伯爵令嬢なのだから、デビュタントを終えてからは元婚約者のトーマスと共に舞踏会や夜会に参加するだけでなく、令嬢同士の交流であるお茶会にも参加しているはずなのだ。
「ジオさまとの生活が充実しすぎていて、忘れてしまっていたみたい。」
ごまかすように少しはにかんで笑ってみる。オリビアの令嬢モードなら、こんなことも恥ずかしげもなくできてしまうのだから、今なら役者にだってなれるかもしれないなどと思ってしまう。
「面倒をかけるけれど、今日はよろしくお願いします。」
改めて侍女たちにお願いをする。自分は着せ替え人形のように侍女たちに任せているだけだ。本当に忙しいのは彼女たちなのだ。感謝の気持ちはちゃんと伝えたい。
「オリビアさまは優しすぎます。」
つめの手入れをしてくれていた侍女が遠慮がちにそう言った。ひょっとしたら侍女に感謝を口にするのはいきすぎなのかもしれない。頼子は少し焦ったけれど、お世話をしてくれる誰もが優しく見つめ返してくれるから、自分の言葉を彼女たちは受け入れてくれたんだと理解することにした。
辺境の地を彷彿とさせるような淡い白色をベースに光る糸で贅沢な刺繍が施されたドレスにはジオの瞳の色のラインが入れられて上品に仕上がっている。宝飾品もそのラインの色に合わせた首飾りに髪飾り、そして小ぶりなイアリングが選ばれた。
「わたしの奥方は美しいな。」
臆面もなく微笑むジオに頼子は目を奪われた。オリビアのドレスと揃えるような色合いが選ばれていたのは知っていたが、ジオの今夜の正装は紺がベースで白がアクセントカラーになっていた。つまりは同じ色合いで主要カラーが反対になっているのだ。そして、クラバットはもちろんオリビアの髪の色、そしてそこにはオリビアの瞳の色のピンがつけられている。
「旦那さまこそ、素敵です。」
頼子は誰にも気づかれないようにゆっくりと深呼吸をして覚悟を決めた。はからずも頼子のデビュタントは、今回の王太子主催の舞踏会になってしまったのだ。
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王宮舞踏会は頼子の想像をはるかに超えた華やかさだった。緊張から意識を失うかもしれないと思った入場を終えて早々、ジオもオリビアもたくさんの貴族のあいさつにつかまってしまった。
「エスコバル辺境伯、失礼します。あちらで殿下がお待ちです。」
忙しくあいさつを交わすジオたちにブルーノ殿下からの伝言を届けたのはなんと、トーマス・バスケスだった。そう、オリビアの元婚約者だ。頼子の喉が一瞬ヒュッと締まったが、動揺を見せることなくジオに笑顔を向けた。それは、トーマスを無視したのではなく、さりげなく夫に移動を促しす夫人の仕草だった。
「エスコバル辺境伯、本日の舞踏会の参加、とても感謝している。そちらがウワサのご夫人か?」
さすがは乙女ゲームの人気ナンバーワン。バリトンの美しい声にめまいがしそうになった。
「妻のオリビア・エスコバルです。」
ジオの紹介を合図に頼子が美しいカーテシーを見せると遠くからため息が聞こえてきた。
「エスコバル辺境伯夫人、試すようなことをした。しかし、あなたは優雅に微笑みながらサラリと複雑な状況を交わして見せた。美しいだけでなく聡明な女性のようだな。」
「身に余るお言葉でございます。」
この発言で、ブルーノが意図的にトーマスを案内役にしたことが分かった。頼子は一瞬の動揺が悟られることなくオリビアの名誉を守って行動できたことに少し安心した。
「トーマスから事情を聴いている。婚約破棄という不名誉をもたらした相手だというのに、サリー嬢との婚約に一役買ったらしいな。」
「わたくしは何もしておりません。けれどご子息様の婚姻が決まりましたれば、バスケス侯爵家に幸あらんことをお祈りさせていただきたく存じます。」
「エスコバル辺境伯よ。トーマス・バスケスが君との交友を深めたいと言っていた。ぜひ後ほど話をしてやってくれ。彼は次期内務大臣だ。卿にとっても内政の味方はありがたいことであろう。ご夫人の功績だな。」
ジオは静かに一礼すると、オリビアを連れ立って舞踏会の会場に用意された控室へと歩いて行った。
控室に入ってしばらくするとトーマスがサリーを連れて訪れた。あの婚約破棄のあと、トーマスはオリビアのアドバイスを受けてサリーとアーツ伯爵家の養子縁組をしつい最近婚約が正式に整ったと告げられた。もとの聡明さもあるのだろうが、交友を深めると、サリーがたゆまぬ努力で立派に淑女教育をこなしたことが顕著に見うけられた。だからこそ、侯爵夫妻が婚約を認めたのだろうと納得がいった。障害しかないはずの想いが実ったのはオリビアの功績だとトーマスはとても感謝をしていて、領地同士の交流のみならず、エスコバル家とバスケス家の個人的な関係を深めていきたいと申し出てくれた。王都とのつながりが細いジオにとって内政を担うバスケス家とのつながりは願ってもないことだった。
舞踏会の会場は広く、招待客も大勢いる。もちろん、その中には国賓も招かれているのだ。予期せぬ事態は予期していなければならなかったのだろうが、ジオの役に立てたことが嬉しくて、頼子は少し…ほんの少しだけ油断していたのかもしれない…無意識に頼子のお節介な性格が顔を出した。
「それは、どういう意味だろうか?」
ジオが仕事の話があると席を外したために、一息つこうとバルコニーへ向かっているときにその静かな圧のある声が聞こえてきた。深刻な様子に思わず立ち止まって耳を傾けてしまう。
「今の君の発言は、妻に対する侮辱と受け取れるのだが?」
「そんな…わたしは’美しい人ですね’と褒めたのです。誤解なさらないでください。」
「二度もその言葉を使うか!」
争う紳士たちの声が少し大きくなったところで重大な失敗に気づく。
「お話の途中に失礼いたします。」
紳士同士の会話に割って入るのは淑女の行動とはかけ離れている。けれど、この状況を放置すれば深刻な国際問題になりかねない。なぜなら、怒りをあらわにしているのが隣国の外交官だからだ。
「誤解があるように見受けられましたので、どうしてもお話を聞いていただきたくお声をおかけいたしました。」
そっとご夫人に視線を合わせて微笑む。
「あなた、お話を聞いてあげませんか。」
「初めまして、ジオバニ・エスコバル辺境伯が妻、オリビア・エスコバルでございます。」
ご夫人が隣国の言葉で話したことに合わせて、頼子も言語を隣国の言葉に変えていた。これはどうやらチートスキルのようで、自動的に多言語が理解でき会話も可能なようだ。けれど、その選択は正しかったようで、ご夫人がホッとした様子がうかがえた。
「言葉のわからない場所での緊張感はとても大きなものです。ご気分はいかがですか?夜の庭園もまた、素敵な眺めだと聞いております。少々気分転換にと、バルコニーで息抜きでもと思っておりましたので、よろしければお二人をご案内させていただきます。」
ニッコリと微笑んで移動を促すと、空気が変わった。
「お怒りの理由はわかっております。言葉選びの問題ですわ。ここは任せていただけるとありがたいです。ご安心ください。誤解を解いてまいります。」
揉めていた紳士に耳打ちをして、外交官夫妻を案内して、頼子はバルコニーへ向かった…。
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思ったよりも長い夜が終わり、オリビアはジオとテラスハウスへ帰ってきた。いくつか小さなトラブルもあったが、何とか無難に過ごせたと思う。オリビアの体調が戻らないことに心配はあるが、思いがけず王宮舞踏会でデビュタントとなったことは少し嬉しかった。前世に生きていれば、一生に一度も経験できないことだ。しかし、そんな心地よい疲れのなかで感じていた安堵の空気は、ジオの一言で一気に凍りついた。
「オリー、どういうことだ?」
ようやく二人きりになったその瞬間にジオに投げかけられた問いだった。その言葉に、ジオの真剣な表情に、冷たい汗が頼子の背中を流れ落ちた。
嘘ってどうしてバレてしまうんでしょうね。
大ピンチの頼子です…さて、どうなるんでしょう。
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