#007 君を望む世界
その日はアルベールと共に夕暮れ時までパティオで過ごした。
パティオと言っても、本体の建物自体が大きいせいか、ちょっとした公園並の広さがあるので、とても開放感がある。
アルベールによると、ここは後宮へ通じる道でもあるので、クリスの許可なくしては何人たりとも立ち入れない場所なのだそうだ。勿論、わたしが寝起きしている塔も。
「だから人の気配が無いんだ……」
納得した風にわたしが言ったら、アルベールは軽く頷いた。
当然のことながら、わたしは自分の置かれた状況はおろか、こちらの世界の事を全く知らないわけだけど。
お茶の後、並んでパティオを散策しながら、わたしが投げかける質問にアルベールは根気良く答えてくれたのだった。
この国の歴史や文化のこと。
大陸を分断する広大な砂漠と、その東西にある大きな二つの国のこと。
美味しいご飯や、素敵な大浴場のこと。
そして、これが一番重要なんだけど……
どうしてわたしが召喚されたのか、とか。
「なんでわたしなの?」
投げかけた質問はとてもシンプルなものだったけど、アルベールの答えもそれに負けない位シンプルだった。
「それは、あなたが望んだからですよ」
望んだって、わたしが?
この世界の存在すら知らなかったのに?
わたしが首を傾げたら、アルベールは低く笑って言った。
「偉大なる魔女を召喚するにあたり、私が付けた条件は二つ。この世界から望まれると同時に、この世界を望む者でしたから」
続けて彼が説明してくれた召喚の儀式はこうだった。
まず、異世界への扉を開くために、特別な魔方陣を描く。
やがてそこに生じた混沌の中に、両腕を突っ込む。
そして、そのまま心の中で強く念じながら、手探りでお目当ての人物を見つけ出し、速やかに出現させる。
以上、おしまい。
「すごく分かりやすい説明だったけど、ちょっと簡単すぎじゃない? くじ引きじゃあるまいし……」
「ですが、私にとってはそれくらい簡単なことでしたよ。混沌の中へ手を入れたと同時に、あなたの腕を掴んでいましたからねぇ。ただし、ここまで容易にいくのは期間限定ではありますが……」
「へぇ。どうして期間限定なの?」
「それは、今が三百年に一度の大嵐の時だからです」
そう言って、アルベールは手を上げると、頭上を指差した。
つられて見上げれば、夕暮れの空にぽっかり浮かんだ白い二つお月様。
「英乃は昨晩あの月をご覧になりましたか?」
「うん、寝る前に。ここって二つ月があるんだね」
「ええ。因みにあの二つの月は、この大陸で双子の神様として崇められているんですよ」
「神様?」
「そうです。神話の中で、あの二つの月はとても仲の悪い双子の兄弟として描かれているのですが、この二人が接近すると災い――つまり大陸に大きな嵐が起こるんです」
「へえー。喧嘩が原因で嵐が起こるだなんて、随分とはた迷惑な神様だね」
「ふふふ、確かにそうですね。ですが三百年に一度のことですし……それに悪いことばかりでもないのです。なんせ異世界への扉が開くおまけ付きですからねぇ。術を執り行うには持ってこいの環境が整うわけですよ」
「それで召喚の儀式を……」
わたしが呟いたら、アルベールは立ち止まって、小道に咲いていた白い花を手折った。
そして、物思いに耽るように、その花弁に顔を寄せる。
「そう……。私とクリスはたった二人で儀式を執り行いました。三百年に一度出現する、偉大なる魔女をこの国へ招く為に」
しみじみした感じで言うと、アルベールはわたしの髪にそっと花を差し込んだ。
砂漠を渡る乾いた風が、わたしの頬を撫でていく。
夕闇迫る茜色の空に、見知らぬ星座が瞬き始める。
やがて砂漠に日が落ちたら、仲の悪い双子の月が空を廻ってゆくのだろう。
「この世界が望んだのは――英乃、あなたです。あなたはやれば出来る人だと、私は信じていますよ」
アルベールの酷く優しげな声音に、わたしは戦慄するとともに確信したのだった。
これは期待なんかじゃない。
紛れも無い脅迫だ、と。