#006 アブラカダブラ
砂漠を渡る乾いた風が木々の間を吹き抜けてゆく。
光る紺碧の空。
楽しげな小鳥達のさえずり。
ここは砂漠のど真ん中、オアシス都市クミンシード。
したたるような緑と、壮麗なアラベスクの国だ。
「だから、ほんとに無理なんだってば……」
ため息混じりに呟くと、わたしはティーカップに口を付けた。
向かいに座っているのは、相も変わらず全身黒ずくめの男アルベールだ。
天蓋つきのベッドで目覚め、遅い朝食を済ませたわたしは、宮殿のパティオでアルベールからお茶のもてなしを受けていた。
花の香りのするお茶はなかなか美味しいし、ピリッとスパイシーな焼き菓子も結構いけるんだけども――それはちょっと置いておいて。
「わたし魔法なんて使えないよ」
「そんな筈はありません。あなたにはきちんと魔力が備わっていますから」
……さっきから嫌っていうほど繰り返されている、この会話。
わたしが何度ムリだと言っても、アルベールは譲らなかった。
昨夜からずっと主張し続けているにも関わらず、彼はわたしがごく普通の人間であるということを認めようとしないのだ。
「わたしに魔力があるとか、そんなわけないって……」
「いいえ。クミンシードの筆頭魔術師たる私が言うのです。間違いありません」
キッパリと言い渡されて、わたしは深いため息を吐いた。
どう言えば納得してくれるのだろう。
アルベールは誤解しているのだ。
例えば、彼が手を一振りすれば、虚空から焼き菓子が湧き出て、ティーポットは宙を飛ぶ。
この世界ではそれが当たり前の事なのだろうけれど、ごくごく普通の日本人たる自分には、そんな芸当が出来るなんて到底思えないわけで。
「大体さぁ、自信満々に言うけど、わたしに魔力があるなんてどうして言いきれるの?」
わたしが挑むように質問したら、アルベールはふふふと笑った。
「見えるんですよ」
「見える?」
「ええ。あなたの魔力が」
意外な一言に、目を丸くする。
「えっ……それって具体的に見えるわけ? どんな風に?」
俄かに興味がわいてきて、わたしはテーブル越しに身を乗り出した。
すると、アルベールはちょっと考えるように首を傾げて。
「例えるならば、人の身体を取り巻く霧のようなものでしょうか」
「きり? 霧ってモヤモヤした、あの霧?」
「そうです。魔術師の間では“エナジー”とか“気”などと呼ばれるものなのですが……見たところ、あなたの気はとても濃い。ですから、あなたに魔力が備わっているのは、ほぼ間違い無いと思われます」
「それって、ホントに確かなの……?」
「ええ、九割方間違いありません。ただ、少々奇妙な気質ではありますが」
異世界の方だからでしょうかねぇ、と言うと、アルベールは虚空からクッキーを取り出してみせた。
ほんと、魔法ってすごく便利だ。
こうして見ているだけでワクワクするし、使えたらすごく楽しいだろうなぁ、とは思うんだけど、そう簡単にマスター出来るものでもないだろうし。
「ねえ、アルベール。初心者向けの魔法の呪文とかって無いの?」
「呪文……ですか?」
「そうそう。例えば、アブラカダブラみたいな魔法の呪文。アルベールの言うとおり、わたしに魔力があるのなら、練習してみようかなって思って」
わたしがおどけて言ったら、フードの奥にあるアルベールの瞳がキラリと光ったような気がした。
「残念ながら、呪文のようなものはありません。ところで、今あなたが唱えたその言葉は一体どういうものなのですか?」
「アブラカダブラ? 物語の中に出てくる魔法の呪文だけど……」
「それは興味深いですねぇ。どんな風に使うんですか? よろしければ、拝見したいのですが」
「いや、それは……。物語の中に出てくるっていうだけで、意味は良く分からないし」
「そこをなんとか。後学のためにも是非」
「うーん、そうだなぁ。物語の中では、確かこんな感じだったと思うけど……」
――アブラカダブラ、開けゴマ!
少し戸惑いつつも、わたしが両手を挙げて呪文を唱えた、その瞬間。
出し抜けに爆音が鳴り響いたので、わたしは思わず立ち上がった。
慌てて辺りを見回せば、パティオに面した扉という扉、窓という窓がバタバタと開いてゆくを確認して、驚きのあまり目を丸くする。
何これ、突然どうしちゃったの!?
一体何が起こったわけ!?
……暫し、沈黙。
「……何やってんの、アルベール?」
「あ、バレました?」
「そりゃバレるに決まってるじゃん! だって、わたし魔法使えないし」
呆れ顔でわたしが言ったら、アルベールはしたり顔で頷いて。
「あなたに少しばかり自信をつけて頂こうかと思ったのですが。これは残念」
楽しそうに言うと、彼はふふふと笑ったのだった。
ホント、アルベールって何なんだろう?
よく分からない人だ……。