#010 魔法のレッスン
距離にして、3メートル位だろうか。
石畳の上に置かれたコップを、わたしは親の敵のように睨み付けていた。
「自分の手がながーく伸びて、あのコップを掴む……」
「そうです。それがあたかも本当であるかのように想像して、自らに強く思い込ませるのがコツなのです」
「手がながーく……。ビヨーンと伸びて……」
「ええ、そうです。“びよーん”です。では、私が置いたあのコップをあなたの“手”で持ち上げてみて下さい」
翌日から、アルベールの特訓が始まった。
内容はもちろん、言うまでもなく魔法の特訓だ。
場所は昨日と同じ、宮殿のパティオで。
アルベールに勧められるがまま、木製の椅子に腰を落ち着けて、わたしは一心不乱に念じていた。
わたしの手は長い。
すごーく長い。
わたしの手はマジックハンドみたいに伸縮可能で、普段は折りたたまれてボディに格納されているだけなんだ。
だから、伸びる。
超伸びる。
以前、わたしが担当した『戦え! 超神ロボ ゴッドアース』のフィギュアみたいに。
あっ……まずい。
嫌なこと思い出しちゃった。
異世界に来てまでロボのことなんて考えたくもないんですけど!
「……ゴメン、ちょっと無理」
「えっ、もうですか!? 英乃は諦めが早いですねぇ……」
「いや、頭の中で超神ロボ ゴッドアースが……って、ううん、そうじゃなくて! とにかく手が伸びるのは無理って言いたかったの。代わりに足が伸びるって設定じゃ駄目?」
「足、ですか……? あなたさえ良ければ、それでも構いませんが」
「じゃあ足で」
「まあ……手でも足でもいいんですよ、私としては。大切なのは、己の魔力を手足のように使う、そのコツを掴んでいただきたいだけですから」
アルベールのお許しが出たので、気を取り直すと、わたしは再度念じ始めた。
わたしの足は長い。
すごーく長い。
足が長いとか生まれてから一度も言われたことなんて無いけど、今はとりあえずメチャクチャ長い。
そう、わたしの足は普段は折りたたまれて、身体の中に格納されているだけなのだ。
だから、ビヨーンと伸びてあのコップを掴むことくらいは簡単なこと。
足がビヨーンと伸びて、コップを掴む。
足の指は短いから掴みにくいけど、大丈夫。
だって、そう……足の指も伸びるから。
ながーい指が足の中に格納されていて、いざと言うときにはニョキニョキ伸びる設定だから!
そう、ビヨーンと足の指が!!
でも、それって……
いや、それって……!
「すっごく気持ち悪いんですけど!!」
「えっ!? 何がですか、英乃!?」
「非常時に足の指がにょろにょろ伸びるとかありえない! 時と場合とか関係なく絶対気持ち悪い。無理でしょ、この設定は!」
「は!? いや、その辺は……まあ瑣末な部位は、この際どうとは考えずに」
「いやいやどう考えても無理だって。視覚的にどうこうとか、そーゆーの考える以前に、生理的に気持ち悪いって! ロボでも無理だよ、そんな設定。絶対売れないし!」
「売れない……?」
「あ、いや……なんでもないの。ホントなんかゴメンね、仕事の愚痴とか持ち込んじゃって。ちょっと待って、アルベール。これから大急ぎで他にどこか伸びそうなパーツを考えるから……」
わたしが頭を抱え込んだら、アルベールは軽くため息を吐いた。
面倒くさい奴だと思われてるんだろうなぁと思いながら、わたしも内心ため息を吐く。
すると、そんなわたしにアルベールは意外にも低く笑って。
「あなたの才能は中々のものですよ」
自分が思っていた事と真逆のことを言われて、わたしはちょっと驚いた。
目を丸くしながら、顔を上げる。
「己の魔力をどう生かすか……それには、時として想像力が重要なのです。あなたにはそれが十二分に備わっているようですね」
朗らかに言うと、手を振り上げてティーポットを出現させる。
「少し休憩しましょうか」
「でも……」
「根を詰めたところで、何も良いことなんてありませんよ」
戸惑うわたしに、アルベールはクッキーの乗った皿を差し出した。
反射的に手を伸ばすと、アルベールは楽しそうにふふふと笑って。
「ですが、こんな風にのんびりしていられるのも、あと少しの間だけですけどね」
その言葉にわたしは……
この先、自分は大丈夫なんだろうかと、一抹の不安を覚えるのであった。