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短編集

ダンジョンの奥底で愛を叫ばれても困る

「ここを出られたら結婚してほしい」


 ハンナはかつてないほど白けた目で相手の男を見遣った。

 暗闇を照らすには心許ないカンテラの灯火。モンスターの暴走によって崩落してしまった天井と、いつ崩れるか分からぬ瓦礫の山。

 辛うじて作られた小さな空間に腰を下ろした二人の男女に、もはや生きて帰る術など無い。

 ハンナは改めて自身の置かれた状況を確認し、深い深い溜息をついた。


「早く死ねばいいのに」

「な、何てことを言うんだハンナ!!」


 本音がうっかり口から出ていたらしい。別に悪いとも思っていないが、ハンナは適当に謝っておいた。

 彼女の対応にひどくショックを受けた様子の男の名はトビアス。ハンナと共に数々のダンジョン──古代の宝物が眠ると言われる危険な遺跡や洞窟──を踏破してきた冒険者だ。

 同じギルドに所属する弓使いのハンナと剣士のトビアスは戦闘面での相性が良く、かれこれ五年ほど気の置けない相棒として活動していた。

 もちろん、それほど長く付き合っていられるのはお互いに居心地が良かったからでもある。つまりは性格面でも息ぴったりな二人だったのだが──。


「ハンナ、ぼ、僕は真面目に言ってるんだ。五年も一緒にいたんだから、少しぐらい僕のことも男として信用してくれてる……よね?」

「……」

「いや、分かってる。ハンナが歳下に興味がないってことは承知の上だ。でも歳下って言っても二つしか違わない! あともっと落ち着きのある渋い男がタイプってのも知ってるけど、僕も前と比べたら落ち着いたと思うし」

「…………」

「だからここを出られたら僕のことも真剣に」

「………………トビアス」

「なにっ?」


 ハッとしてこちらの様子を窺うトビアスを見て、ハンナは頭痛を堪えるように額を押さえる。


「それ、もっと早く言えなかったわけ?」


 地を這うような低い声に、トビアスがごくりと唾を飲み込んだ。


 ──ハンナは四年も前からトビアスのことを好ましく思っていた。つまり相棒として活動を続けて、一年ほどが経った頃からだ。


 確かに当初はハンナが十八歳、トビアスが駆け出しの十六歳と、互いにまだ大人と呼ぶには青すぎた。成人して間もなかったトビアスに関しては特に。

 ハンナ自身も初めての後輩が嬉しくてあれこれと世話を焼き、言ってしまえば彼のことは弟のように思っていた。

 しかし、教えたことを貪欲に吸収する様はもちろん、ダンジョンに潜るたびに逞しくなっていく彼に、次第に友情とは別の感情が芽生えるようになったのだ。


「私は何回も、何っ回も言ったわよ。結婚するならトビアスが良いって」

「え……で、でもあれは酒場だったし酔ってたんじゃ」

「酒にでも頼らないと勇気が出なかったのよ、最初は!! でも毎回『酔ってるんだね』って流されるから後の方は素面で言ってたわよ!!」


 だというのにこの男は、段々となりふり構わずに「トビアス結婚しよう!!」と必死に口説き始めたハンナの肩を掴み、「水飲んで寝ないと」などともはや会話が通じていないレベルの宥め方をするばかりだった。

 もしかしてコイツは何か、知らぬ間にモンスターの呪いでも受けて求婚の言葉だけ聞こえないようになってしまったのだろうか。そんな馬鹿げた推理までするようになってしまった頃、ハンナはいよいよ察したのだ。


 ──トビアスは私のことを女として見ていない。


 だがダンジョン攻略にはハンナのように息の合うパートナーは欠かせないし、ここでこっぴどく振ってしまえば新しい相棒を探さなくてはならなくなる。

 ゆえに決定的な亀裂が生じないよう、鈍いフリをして求婚をはぐらかしているのだろう、と。

 ハンナの予想は当たっているように見えた。求婚を控えるようになってから、トビアスはどこかホッとしたように口数が多くなり、以前のように生き生きと笑うようになったから。

 そんな想い人の姿を目の当たりにして傷付かない女がいたら是非とも教えてほしい。少なくともハンナはふた月ほど家に引きこもった。


「それなのにあんた──ここから出られたら結婚しようだぁ!?」

「痛い痛い! やめてハンナ! ここで暴れたら瓦礫が!」


 ハンナは息を荒げながらも、弓での殴打を一旦止める。


「出られる保証が無い状況でよくもそんなことが言えるわね。それとも何? 罪悪感を抱えたまま死にたくないから、ここらで適当に受け入れとこうとでも?」

「そ……そんな、そうじゃない、ハンナが本当に僕のことを好いてくれてるなら死物狂いでここから出る! やっと思いが通じたのにこんなところで死にたくない!」

「通じてない!!」

「ええ!? いたぁい!!」


 もう一度だけ弓で殴ってから、ハンナは猛然と立ち上がる。

 そして頬を押さえたまま瞳を潤ませるトビアスに背を向け、瓦礫の隙間に手を突っ込んだ。


「ハンナ?」

「あんたと心中なんて真っ平ごめんだわ。私は絶対にここを出て! 人の好意を無視する歳下のガキじゃなく! 歳上のハンサムなおじさまを捕まえて幸せな結婚をする!!」

「何だって!!!!」

「!?」


 ぐいと肩を引っ張られ、後ろからぎゅうぎゅうに抱き締められる。これが二年ほど前ならば乙女らしく胸をときめかせたことだろうが、今ハンナの中にあるのは激しい怒りのみであった。


「放せぇ〜っ!! いっつも酒場で一人飲みしてるダンディなおじさま〜っ!! ここになかなか便利な弓使いの小娘がいるから引き取ってぇ〜!! 安くするから〜!!」

「嫌だ嫌だ嫌だ駄目だ! ごめんなさいハンナ許して、もっとハンナに頼ってもらえるような男になったら僕からプロポーズするつもりだったんだ! 無視してたわけじゃないんだ信じて!」

「信じられるか!」

「あっ!?」


 ハンナは渾身の蹴りを放ち、目の前の瓦礫を勢いよく踏み崩す。

 そこから淡い光が射し込むのを見たハンナは、すぐさま体にまとわりつくトビアスを足蹴にして駆け出した。


「ハンナ待ってくれ! 一人で動いたら危なワァーッ!?」


 追い掛けてこようとしたトビアスの爪先に矢を放つ。すんでのところで避けられたが、元より足止めのつもりなので構わない。

 ハンナは走りながら二の矢をつがえると、振り向きざまにトビアスの右耳を狙い撃つ。「ひっ」と悲鳴を漏らしながらも彼が横へと避けたなら、すぐさま大きめの瓦礫が元いた場所に落下した。

 彼はすっかり耳を持っていかれると思っていたのか、ハンナの華麗な誘導にいたく感激した様子で顔を上げたが。


「ああ〜〜っ歳上のおじさまなら私のフォローなんて要らないんだろうなぁ〜っ! くぅ〜っ一度で良いから『よそ見はいけないねお嬢さん』とか言われてみてぇ〜!!」

「!! ま、待ってハンナ──」


 やけくそのハンナはおじさまからスマートに助けられたい願望を叫び、再び踵を返して走り出したのだった。



 ◇



 一体何をやっているのか。

 我に返ったハンナは今更ながら後悔した。

 トビアスに自分のボロボロになった恋心を暴露してしまったこと。年上らしからぬ言動で彼を困らせ、傷付けたこと。それからまだ崩落の危険性があるダンジョンで個別行動を取ってしまったこと。

 何から何まで情けない。これのどこが先輩だと、ハンナは顔を覆ってしまった。


「……でも謝るのは癪だわ。トビアスの都合で私の好意はなかったことにされてきたのよ、そう簡単に許せる気がしない……」

「そこにいるのはハンナかな?」

「え?」


 ぶつぶつと恨み言を連ねていたハンナの元に、聞き覚えのある声が掛けられる。

 見てみれば、瓦礫に埋まって頭部だけが露わになった知人がそこにいた。ハンナは「ああショーンか」と普通に挨拶を返してから、改めて彼の姿を確認して驚く。


「ショーン!! 何してんの!?」

「ははは、先程の揺れでうっかり下敷きになってしまって。君は無事なようで何よりだ」

「いや私もさっきまで閉じ込められてたけど……それよりちょっと、手伝うから早く出なよ」

「助かる!」


 幸いなことに重い怪我は負っていなかったようで、ハンナが少しだけ腕を引いてやれば、ショーンはすぐに自由の身となった。


「いやー、誰も通りかからなかったら死んでいたな! ありがとうハンナ!」

「明るく言うことじゃないわよ。パーティーの皆はどうしたの? こういうときのためにも複数で行動してるってのに」


 このお気楽ポジティブな男ショーンは、ハンナやトビアスと同じギルドに所属する槍使いだ。

 何でもどこかの国で騎士として活躍していた過去があるそうで、少なくともここ一帯では馬上戦において彼の右に出るものはいないとか。

 とは言え、構造の入り組んだダンジョン攻略に馬を連れて行くのはよろしくないので、もっぱら地上を走っている。

 それはさておき。元騎士という肩書きのおかげか、彼の周りにはいつも女性の冒険者が集っており、きゃっきゃとはしゃぎながらダンジョンへ向かう姿が頻繁に目撃されていたはずだが──彼女らは一体何処へ消えたのだろう。

 ハンナの疑問を察したのか、ショーンはからりと爽やかに笑った。


「それが私の荷物を持ってみんな逃げたんだ」

「笑ってる場合じゃない」


 ハンナは「しっかりしろ」と彼の頬をぺしっと叩いた。


「あ、あの人たち金目当てだったってこと?」

「そうらしい。困った困った」

「はあ……後でちゃんとギルドに相談しときなさいよ。逃げた奴らの活動資格も剥奪しないと、第二第三のショーンが生まれるわ。名前は覚えてるわよね?」

「ああ、もちろん。戻ったら報告させてもらうよ。いやぁ、相変わらずハンナは頼りになるな」


 ショーンは荷物を全部奪われたことなど気にもしていない顔でへらへら笑った後、「ところで」と首を傾げる。


「トビアスは? 彼も来てるんだろう?」

「知らない。置いてきた」

「彼の荷物を持って?」

「あんたの囲いと一緒にするな!」


 思わずハンナが眉をつりあげると、彼は冗談だと手を振った。


「それなら私と外に出ようか。お互い一人じゃ危険だろう」

「……トビアスも一人だけど」

「じゃあ迎えに行くかい?」


 ショーンの問いに、ハンナはぐっと言葉に詰まる。

 彼は恐らく、ハンナとトビアスの間に何か衝突があったことなどお見通しなのだろう。その上で事情を尋ねずに、こうして気を遣ってくれている。

 いつもへらへらしているが、意外と鋭い男なのだ。さすがハンナより五つも歳上なだけ──。


「ショーン、ちょっと私と付き合ってみない?」

「へ?」


 全く予想だにしていなかった言葉が寄越され、ショーンの目が点になる。

 彼の反応はもっともだが、ハンナはつい先程まで忘れていた怒りを再燃させてしまったので、構わずに彼の胸ぐらを掴む。


「私はあんたが例え隠れ金持ちだったとしても荷物を奪って逃げたりしないわ! 性格はちょっとキツめかもしれないけど嫌なとこがあれば直すし、とりあえずお試しで三ヶ月くらいペア組んでみるとか!」

「うーん、恫喝の姿勢で言われることじゃない気がするけど、とても魅力的なお誘いだね」

「え、ほんと!?」


 ハンナが喜色を露わにすると、胸ぐらを掴まれたままのショーンは困ったように微笑んだ。


「そりゃあ、君みたいに周りをよく見てくれる弓使いとペアを組めるのは有り難いことさ。おまけにそれが素敵なレディなら尚更ね」

「れ、れれれレディっ?」


 パッと手を離したハンナは、みるみる火照っていく頬を隠して俯く。

 昔から気が強いせいで歴戦の射手のような扱いを受けているハンナは、突然の「素敵なレディ」に驚くほど動揺してしまった。

 素敵なんて、レディなんて、そんなの初めて言われた、いやいやコイツ普段から誰にでもレディって言ってるって──などともごもごしているハンナを見下ろし、ショーンは何とも言えない顔で呟く。


「……一体トビアスは五年も何をしていたのか……」

「えっ、何か言った?」

「いやいや何も」


 そのとき、遠くない距離で轟音が鳴り響いた。

 ぴたりと会話を止めたハンナとショーンは、その瞳を頭上──先ほど崩落したせいで吹き抜けとなった上階を見上げる。


「今の……」

「我々を瓦礫の下敷きにした張本人かな?」

「ええ、多分ね」


 この轟音は決して地響きなどではなく、ダンジョンに棲みつく巨大なモンスターの咆哮だった。

 ダンジョンには大抵、ヌシと呼ばれる規格外のモンスターが居座っている。地上ではまず見ないような巨躯を持っていたり、厄介な固有魔法を放ってきたり、人語を解したりなど非常に危険な個体ゆえに、熟練の冒険者たちが協力して討伐に当たらねばならなかった。

 今回ハンナたちをダンジョンの底へ突き落としたヌシは、遺跡の奥で静かに眠っているような大人しいタイプではなく、広い空間を縦横無尽に駆け回る暴れん坊のようだった。


「縄張りに私達が入ってきたことに怒ってるのよ。……こんだけ派手に大暴れするようなヌシがいるなんて、報告にはなかったけどね」

「一度ギルドに戻らないことにはどうしようもないな。まぁ、戻るのも骨が折れそうだが……」


 ショーンはそこで言葉を区切ると、気持ちを切り替えるように口角を上げて微笑んだ。


「動くたびにこうして咆哮を上げてくれるなら、わざわざ向こうが位置を知らせてくれるようなものさ。この私がハンナを無事に地上まで送り届けようじゃないか」

「はは、そうね。よろしく頼むわ元騎士様」


 そうして軽口を叩いた直後、二人のすぐ傍に巨大な物体が猛スピードで落下した。

 とんでもない速度と重さによって生じた強風に、二人の髪がぶわりと舞い上がる。笑みを浮かべたまま固まっていた彼らは、冒険者になりたての頃、先輩から口を酸っぱくして言い聞かせられた「教えその一、ヤバいと思ったらさっさと逃げる」を実行すべく踵を返した。

 土埃が収まるより前に無言で走り出した二人の後を、のそりと起き上がったヌシがまたもや強烈な咆哮を上げて追いかけた。


「ちょ、ちょちょちょちょマズくない? マズくないコレ? もしかしてあいつめちゃくちゃ耳いいの!? すっ飛んできたわよ!?」

「かもしれないね! そうなると静かに移動したいところだけどもう既に見付かってしまったしな! お、そうだ、ここは私が囮になってハンナを先に逃がすのはどうかな? うんうんそれが良さそうだ、さっそく二手に別れよう」

「え…………え? ショーンが?」


 どちらかがヌシの気を引いて、残った方が息をひそめてやり過ごしつつ上階へ向かう──それはまぁ良いとして、囮になるべきは自分ではないのかとハンナは首をかしげる。


「さぁヌシよこっちだ!!」

「ま、待ってショーン! あんた」


 ショーンが颯爽と別方向へと走り出し、大声でヌシを呼び寄せる。彼だって立派な冒険者、大型モンスターを相手にするときに役立つ煙幕や閃光を放つ実などは常に携帯していることだろう。

 しかし、ハンナの思った通り、ショーンは腰の辺りを探っては「あっ」と間抜けな声を上げた。


「そういえば丸腰だったな」

「ショーーーーーーン!!」


 ドゴォッ、と凄まじいヌシの右ストレートを食らったショーンが吹っ飛び、瞬く間に瓦礫の山へと突っ込んだ。

 まさか彼がこの短時間で自分が丸腰どころか一文無しである事実を忘れてしまっていたとは露にも思わず、ハンナは愕然と立ち尽くす。


「ショ、ショーン、そんな……! はっ」


 そこへ、残った獲物を始末せんとヌシが振り返る。長く強靭な腕が振りかぶられた瞬間、ハンナは弾かれたように右へ転がった。

 ヌシの拳が石畳を容易く打ち砕く様を横目に、彼女は素早く矢をつがえて放つ。

 立て続けに二度、眼球とおぼしき二つの光を狙ってみたが、如何せん視界が悪く思惑通りには行かない。

 硬質な表皮に二本の矢が弾かれ、ハンナは舌を打つ。


「くそ、鎧でも付けてんのって、うっ!?」


 悪態をつく暇もなく、ハンナの脇腹を拳が掠めた。そして間髪入れず振られた長い尾は、遺跡を破壊しながら瓦礫と共にハンナを襲う。

 咄嗟に背負っていた盾でいくつかの瓦礫は凌いだものの、尾そのものを受け止められるはずもなく、彼女はあえなく吹っ飛ばされた。


「くっ……!」


 まさしくヌシに相応しい暴れっぷりに、ハンナは既に戦意を喪失しつつあった。

 死にかけの羽虫を殺す止めの一撃が頭上へと迫ったとき、彼女の頭に浮かんだのは──この五年間、いつも一緒に戦ってきた青年の笑顔。


「最悪……もう少しマシな別れ方しときゃ良かった」


 今更後悔したってもう遅いのに。

 ハンナは結局、膝立ちの状態から持ち直すことが出来ず、一瞬の後に訪れるであろう死を待つのみと思われたが。



「ハンナ!!」



 はっと開けた視界には、手首から下を切り落とされ絶叫するヌシの姿と、見慣れた背中があった。


「ト、トビアス……!」


 名を呼ばれたトビアスは、控えめな笑みでこちらを一瞥すると、すぐさま臨戦態勢へと戻る。


「あいつ、手足が柔らかいみたいだね。頭はもう試した?」

「……ええ。でも頭は矢が通らなかった。それに目よりも耳が良いみたいだから、潰すならそっちね」

「了解、あ、これ持ってきたよ」


 トビアスが後ろ手に渡してきたのは、ハンナがいつも鏃に取り付けて使用する様々な木の実だった。

 これを用いることで音を出したり光を放ったりが可能な──自分もショーンのことを言えないなと、ハンナは反省しつつ袋を受け取る。


「私がヌシの意識を惑わすから、その隙に手足を落として……いや、先に尻尾を頼むわ。あれを振り回されると厄介なの」

「分かった!」


 トビアスが地を蹴ると同時に、ハンナも反対側へと走り出した。

 衝撃を与えることで破裂する木の実を装填し、ヌシの足元へ放つ。石畳に命中した矢が大きな音を立てたなら、気を引かれたヌシが下を向いた。

 その動きに併せて、頭にもう一発同じ矢を撃ち込む。するとちょうどそこが聴覚器官の近くだったのか、ヌシが一際嫌そうに身を捩った。


「トビアス!」


 ハンナが呼び掛けた頃には、既にトビアスの大剣が尻尾を捉えていた。

 彼は難なく尻尾を切断すると、その勢いのままに足首を打つ。バランスを崩したヌシの膝裏にも一撃お見舞し、軽やかな足取りで巨躯を駆け上った。

 彼の意図を汲んだハンナは、すかさず新たな矢を放つ。頭よりも少し下、真っ赤な木の身がびちゃりと表皮を汚す。


「そこが耳よ!」


 目立つ赤を印にして、トビアスが大剣をそこに叩き込んだ。

 そうして絶叫が再び響き渡ると──ヌシはもがきながら倒れ伏した。


 ハンナとトビアスは呼吸を整えつつヌシから距離を取り、ちらりと互いに目配せをする。


「……ショーンを助けて離脱するわよ」

「ショーン? 来てたの?」

「ええ、その辺に埋まってると思う。ヌシに思いっ切り殴られてたけど……」

「………………多分生きてるよ」


 あの人頑丈だし、というトビアスのよく分からない確信の元、二人は急いで瓦礫に突っ込んだショーンの救出に当たった。

 ハンナと出くわしたときと同じように、今度は尻だけ出した状態で瓦礫に埋もれていたショーンを引っ張り出し、彼らはようやくダンジョンの外へと脱出したのだった。



 ◇



 ダンジョンに出没したヌシはあの後、ギルドが選りすぐった老練の冒険者たちによって始末された。

 彼らが突入したとき、ダンジョンは既にボロボロで、ハンナたちが立ち去ったあともヌシが暴れ続けていたことが察せられた。しかしその割には古代遺物が一つも出土せず、危険なだけで利益なしと判断したギルドは早々に入口を封じたとか。

 ハンナとトビアスは、討伐対象の中でも上位に位置付けられた件のヌシを一時戦闘不能にまで持ち込んだことで、ギルドから特別報酬──昇格の証を貰うこととなった。

 つまり、まだまだ下っ端として扱われていたハンナたちも、中堅の冒険者と肩を並べるようになったのである。


「おめでたい日なのに浮かない顔だね、ハンナ」


 酒場のカウンターでジョッキを握っていたハンナの元に、脇腹に全治二ヶ月の重傷を負ったショーンがやってきた。

 心配する気持ちと、あのヌシの右ストレートを食らって全治二ヶ月で済んだのかという気持ちが混在するハンナは、何とも言えない顔で隣席を勧める。


「歩いて大丈夫なの?」

「女盗賊を報告したらすぐ帰るさ」

「ああそうだったわね……」

「で? トビアスとちゃんと仲直りはしたのかい?」


 ショーンは飲酒を禁じられたのか、オレンジジュースの入った盃を傾けながら問う。


「……ダンジョンのことでバタバタしてたから、ゆっくり話す時間はなかったわね」

「そうか。でも早めに話すことをオススメするよ。君もトビアスも、昇格してからいろんな奴に声を掛けられてるそうじゃないか」


 ショーンの言う通りだ。ハンナはカウンターに突っ伏した。

 昇格の証を受けてからというものの、「トビアスなんか止めて俺とペアを組まないか」と申し出る男の多いこと多いこと。それはトビアスの方も同じで、今まで彼を子供扱いばかりしていた女冒険者がペアを組もうと誘っているらしい。

 それは元踊り子の艶やかな美女だったり、元神官の優しくて包容力のある淑女だったりと選り取りみどりである。気が強ければ言葉も強いハンナとは大違いの、魅力的な女性たち。


「トビアスは満更でもないのかなって思ったら何か話し掛けるのが億劫で」

「……。君たちよく似てるね、トビアスも同じこと言ってたよ」

「へ?」

「ハンナは歳上が好きだから、やっぱりペア解消されちゃうかもって一人でヤケ酒してるよ、向こうで」

「は?」


 ショーンが指差した方向には、酒場の隅でしくしくと泣き伏せるトビアスの姿があった。先日ハンナの窮地を救い、ヌシ相手に果敢に立ち向かった彼は一体どこへと消えたのか。

 ハンナがあんぐりと口を開ける傍ら、哄笑を上げたショーンは「じゃあね」とジュース片手に退席する。

 ハンナは暫し呆けた後、「ああもう」と自身も席を立つ。

 そして大股にトビアスの元へと向かったのだった。


 ──その数分後、ハンナを抱きしめ号泣しながら喜ぶという器用な真似をするトビアスの姿が目撃されたという。



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