敗北
「はぁ……はぁ…………」
「…………疲れた」
教場の電気をつけると、肩で息をする二人の姿が目に入った。
「お前らまだやってたのか……」
もちろん、二人の息もつかせぬほどの攻防を固唾を飲んで見守っていたわけではない。
決着がつかないと理解した俺は、机をベッドにして仮眠を取っていたのだ。
目を覚ました時には試合は終わっている……というか、起こされるものだと思っていた。
だが、現実は奇怪なもので、目を開くと暗闇。
なんとか手探りで教場の入り口付近にあるスイッチを探し当て、電気をつけてみると……あとは目の前の通りである。
「あ、古庵君……おはよう」
「はぁ、はぁ……先輩、この人おかしいですよ」
二人ともおかしいよ。
そう言いたかったが、なんかもうどうでもよかった。
「それで、結局勝敗は決まらなかったのか?」
「そうですね。悔しいですけどまだ勝負は決まってないです。もう少し待っててもらえれば勝つところを見せますよ」
「いや、それはいいかな……」
七緒がもう少しという言葉の意味を理解しているように見えない。
「私が勝ちそうだったけどね。問題文は私の方が長かったし」
「何言ってるんですか? 問題文が長いんじゃなくて、文章をまとめるのが上手いんです。私より早く生まれた一年を無駄にしましたね」
「問題文の中に引っかけを用意するのも一つの作戦だし、相手を惑わすために短くするだけが正解じゃないよ」
やばいやばい、第二ラウンドが始まってしまいそうだ。
次のインターバルが入るのはきっと深夜。
そうなる前に止めなければならない。
かける言葉を探していると、唐突に教場の扉が開いた。
「瑠凪、いるか? 遅い時間だから帰っているかと思っていたが、部屋に電気がついたものだから来てしまった。今日は――」
白く滑らかで、腰の辺りがキュッと締まって見えるシャツに黒いタイトなスカート。
海外のモデルや女優のような服装だが、彼女を見事にそれを着こなしている。
今日も西堂凛は美しかった。
「凛先輩、こんばんは」
俺が声をかけると表情が柔らかくなったが、またすぐに眉をひそめる。
「あ、あぁ。お前に会えたのは嬉しいんだが、この状況は……?」
「えーっとですね……」
校内きっての有名人が訪ねてきたというのに、七緒と紫はそんなことはお構いなし。
狂ったようにどちらが俺にふさわしいかでバトルを始めてしまった。
「いや、俺は何も言ってないんですけど、二人が……」
「それくらい恋愛経験がない私にもわかるよ。まったく、これじゃあ瑠凪に好かれるなんて無理に――」
「それじゃああなたは、飲み会の帰りに彼と手を繋ぐ幸せが分かりますか? 私は昨日のことのように覚えていますよ。そのあとは……ふふっ」
「――なっ」
俺と凛の話している場所からバトル会場までは数メートルの距離があったが、ヒートアップした戦いの流れ弾が凛の耳に届いた。
冷静さの塊だった彼女の表情は、その一発で粉々に砕かれているように見える。
「……先輩?」
「る、瑠凪? ももももしかして、あの後輩の女子と――」
「そんなわけないじゃないですか!? 普通に解散しましたから!」
急いで否定する。
凛からしたら、俺が誰と付き合っていても関係ないだろう。
だが、めでたいとか言って話を広められたら俺の大学生活は終わってしまう。
「でも……手は繋いだのか?」
「俺からじゃないですけど……はい」
「き、キスもしたんだよな……?」
「そうですね……」
二発、三発と銃弾を喰らったように後退りする凛。
ちょっと前にも同じようなことがあった気がする。
確か以前は、このままヨロヨロと帰ってしまったよな。
今回は流石に引き止めて――。
「お、おかしくないか!?」
だが、心配は必要なかったみたいだ。
凛は震える足を立て直すと、毅然として言い放つ。
「キスと手を繋ぐのって、自慢する順番が逆じゃないか!? いや、そもそも好きでもない相手とキスをするのは――」
好きでもない相手とキスをするのは俺も同じだが、彼女もそれに気づいたように言葉を止める。
「瑠凪は容姿も優れているし異性から人気だ。私はしないが、まだ若いんだからお前が遊ぶことには寛容でいたい! だが、だが……同じ大学の女子に手を出すと後々悪い噂が立ってしまうぞ!」
おっしゃる通りです。
ええ、俺も全く同じ意見を持っているんです。
しかしながら、隙を見計らって行動を起こしてくるのです。
「……くっ。時間切れか」
身体に風穴空いた後の時間は、サッカーでいうところのアディショナルタイムのようなものだったのかもしれない。
凛は、体内の燃料が切れてしまったようで膝を折っている。
「…………私の戦い方は間違っているのか……?」
未だに凛に気付かず言葉を交わしている二人を見つめながら、彼女は何かを呟いている。
「ま、また来るぞ、瑠凪。そろそろ一緒に出かけよう……」
「そうですね。後で空いてる日を送っておきます」
「ありがとう……ここは一つ、あの二人のやり方を真似てみるのも……」
ブツブツと独り言を言いながら凛は出ていった。
「あれ? 誰か来ていたんですか?」
「全然気が付かなかった」
「……知ってるよ」
二人が気付いていないということに、俺は気付いていた。




