決戦4
「どうしてお前がここにいるんだよ」
紫の首を掴みながら、櫂は問いかけた。
「どうしてお前がって、ここが俺の家だからに決まってるじゃないですか」
あっけらかんとして瑠凪は答える。
「お前の家だと……? じゃあなんでこいつが……」
「あぁ、あともう一つ間違えを訂正しておきますね。お前じゃなくて、お前たちです」
瑠凪は廊下の電気をつけ、わずかに開いていた扉を開けた。
「……なっ!? 香帆!? 夕莉!?」
扉の向こうから、蓮や安田、夕莉が入ってくる。
「なぁ櫂先輩よぉ、先輩たち悲しませて、音羽さんに乱暴してどんな気分だ?」
瑠凪が部屋へ進んでいくと、後ろから蓮が続く。
「ねぇ、あんたの声、外まではっきり聞こえてたんだけど? 私のこと、ミスコンの呼ばわりはありえないんじゃない?」
安田は心底軽蔑した顔で、しかし落ち着いた口調で問い詰める。
「…………」
夕莉は今にも泣きそうになっていた。
しかし、その足は止まらない。
「……どういうことだよ! おい、意味わかんねぇよ!」
櫂が声を荒げると、鼻で笑いながら白髪の男が返答する。
「お前が股かけてるのはとっくにバレてたんだよ。他でもない、紫ちゃんのタレコミでな」
「こ、こいつが……!?」
「そして、俺は安田先輩と夕莉の二人からも依頼を受けた。思った以上に簡単に教えてくれてびっくりしたよ。誰がお前に憧れてるって?」
事態が飲み込めないという風に呆けた顔をする櫂に向かって、さらに言葉をぶつける。
「で、こいつがお前の友達に色々聞いてくれたんだ。人に自慢して気持ち良くなるのはいいけど、それで自分が危機に陥ったら世話ないぜ」
「……チッ、クソがぁ!」
櫂は紫を盾にする形で壁際に後ずさる。
「ねぇ、ヤスくん……。本当に、私たちは二人とも遊びだったの?」
堪えきれず涙を流す夕莉。
絞り出された悲痛な言葉は彼の胸には届かない。
「遊びに決まってんだろ! お前ら如きが俺に釣り合うわけねぇんだよ! それに夕莉、なんだお前のそのメイク。身体は良いけど、そんな濃い化粧されてりゃあ隣を――」
「もうやめろ」
夕莉が悲しみでうずくまるのと同時に、瑠凪が冷たく静止した。
「そこらへんでやめとけ」
「うるせぇ! ちょっとでも近づいてみろ、この女の顔に一生消えない傷をつけてやる!」
櫂はポケットからバタフライナイフを取り出し、それを紫に突きつける。
「今どきバタフライナイフって……どこで買ったんだ? 届いた時、刃を舌で舐めるフリしたか?」
「黙れ! 舐めてんのか、俺は本当にやるぞ! 女は顔に傷がついたら終わりだぞ、お前に人の人生を台無しにする覚悟があんのか、山本!」
実際には瑠凪に向けられた言葉だったが、不意に矛先を向けられたと思った蓮の顔が強張る。
「お、俺は……」
「はぁ? なんだお前、俺は今、山本に聞いてんだよ!」
「はぁ? なんだお前、俺は今、山本に聞いてんだよ!」
お前なんて眼中にないという言葉。
なぜかそれを聞いて、俺は少し安心していた。
櫂が呼んでいるのは俺の名前なのに、視線は古庵の方へ向いている。
きっと、櫂が俺の名前を間違えているんだと。
そう思うと、はち切れんばかりに動く鼓動が和らいでいく。
「…………っ」
首元にナイフを突きつけられている音羽さんが、苦しそうに古庵を見ている。
彼女はきっと、古庵に助けを求めている。
古庵は今まで俺を助けてくれたし、今日だって櫂の元へみんなを導いてくれた。
今も古庵の頭の中には、櫂に対抗する方法が入っているのだろう。
この場で俺にしかできないことなんてなくて、その事実にもっと安心してしまった。
……それでいいのか?
「なんとか言ってみろ山本!」
……どうしてあいつは俺の名前を呼んでいるんだ?
言い間違えているからとか、そういう意味じゃない。
……たとえ古庵と勘違いしていたからって、俺の名前を呼ぶことに意味があるんじゃないか?
そうだ、古庵だけじゃなくて俺だって音羽さんを助けようとするべきなんだ。
……どうして古庵に全てを任せようとする?
安心できるからだ。
足が動かない自分が情けなくなる、そんな現実と離れられるからだ。
「動けねぇのか? ここまできてビビってんのか?」
そうだ、俺はビビってる。
好きだった女の子を追いかけられなかったあの日。
声をかけられている静香ちゃんを助けられなかったあの日。
三度、時間が俺の決意を押し流そうとしている。
あの時と同じように、俺が動けなくても誰かがなんとかしてくれる。
なら、良いじゃないか。
「結局、俺が勝つってことなんだよ! お前らなんて――」
……それじゃダメだ。
俺は変わりたいんだ。
踏み出せなかったあの時の自分と決別したいんだ。
だから俺は、自分の足で歩いていける音羽さんを好きに……。
好きに……?
「……ははっ」
不意に笑みが溢れた。
「何笑ってんだよ! ぶっ殺すぞ!」
櫂が必死に何かを叫んでいるけど、俺には聞こえない。
大切なことに気付いてしまってそれどころじゃない。
そうか、俺は音羽さんに――。
――憧れていたんだ。
気付いたら、身体がふっと軽くなった気がした。
今ならできる。
もう、大丈夫だ。




