デート3
人々の視線から逃げるようにしてやってきたのは、爬虫類やピラルク、カピバラが飼育されている、さながらジャングルのようなエリア。
「ついに来たぞ! ここにやばい色のカエルがいるんだよ!」
「なんですかやばい色のカエルって……うわ、やば」
お目当てのカエルの名はヤドクガエル。
種類は様々だが、どのヤドクガエルも毒々しい色をしている。
その中でも俺が気に入っているのは、澄み切った海のような青い身体に黒いマダラ模様を持つ個体だ。
ちなみに、自分よりはるかに巨大な生き物を倒すことのできる毒を持っているが、その力の源となっているのは餌らしい。
毒のあるアリなんかを捕食し、そこから毒を得るのだそうだ。
つまり、水族館で飼育されているものは無毒である。
是非とも触ってみたい。なんなら飼いたい。
「自分に毒がある、危険だって見た目で教えてくれるって優しいですよね。生きる上で必要なことなのは分かりますけど」
「全くだよな。七緒も肌が緑とかだったら良いのに」
「そうですね。頭から触覚生やして指からビーム撃ちますね」
最終的に俺を庇ってやられそうだな。
カエルのあとはカピバラを見て、他のエリアを回ることにした。
有名なイルカショーもやっていたのだが、俺たちが行った時にはちょうど終盤で、次を待つのも面倒だったため通り過ぎる。
「もう大体見終わったし、そろそろ飲み会行くかぁ」
「残念ですけど、遅れちゃいますしね」
館内は円のようにエリアが配置されているため、同じ場所を通らずとも退館することが可能だ。
「最後にショップだけ見てくか」
「いいですね。口の中に腕を入れられるぬいぐるみとか可愛いですよね」
「可愛いか、あれ……」
感性の違いを感じつつ、階段を降りていく。
階段を降りる途中、七緒の顔は少し強張っていた。
これから自分が傷つくのを理解していて、だけど進まずにはいられない。痛みに備えているような表情。
階段の折り返しの踊り場に降りたとき、彼女は表面上は悟られないように、しかし意を決して口を開いた。
「楽しかったですね」
十中八九、瑠凪の返事はネガティブなものだろう。
今までの傾向から、それは分かっていた。
しかし、彼の心を掴むためにはアプローチし続けなければならない。
それゆえに、七緒はダメージを受けながら茨の道を進むことにしたのだ。
……少なくとも、彼女はそう思っていた。
「あぁ、結構楽しかったな」
「…………えっ?」
しばしの思考の後、再び階段に足を踏み出したタイミングで、瑠凪は思わぬ返答をした。
七緒のことも以前より理解できて、怪しさも多少は薄れている。
それに、今日は自分のために場所を選んでくれたというのだから、彼としては当然の答えだった。
だが、七緒にとっては違う。
いくら瑠凪のことを見ていても、予想できず動揺してしまうことはある。
――階段から足を踏み外してしまうほどに。
「……あっ」
「……っ! 七緒!」
二人の影が重なる。
骨が打ち付けられる音が何度かし、やがて止んだ。
「……怪我はないか?」
二人は、瑠凪が下敷きになる形で着地していた。
顔の距離は数センチほど。
「だ、大丈夫です。先輩こそ大丈夫ですか?」
七緒はパッと跳ね起きると、瑠凪を助け起こそうとする。
「ごめんなさい。びっくりしちゃって、それで……」
「いいってことよ……いてっ」
「大丈夫ですか!? もしかして――」
「いや、ちょっとぶつけただけだから平気だよ」
幸い、段数はあまりなかった。
素早く七緒を抱きかかえる形で転んだために、怪我と呼べるものは瑠凪の右手首くらい。
それも重度のものではなく、数日安静にしておけば治っている程度のものだ。
「今すぐ病院行きましょう? タクシー呼ぶから待っててください」
「俺てるとかそんな痛みじゃないから平気だよ。ありがとう」
「ありがとうって、私のせいで怪我しちゃったのに……」
「まぁまぁ、とりあえず飲み会向かおうよ。ヤバかったら大学サボってちゃんと病院行くからさ」
「はい……」
タクシー会社に電話をかけようとする七緒をなんとか説得して、二人は依頼人達との待ち合わせ場所に向かうことに決める。
無機質な建物から二人が外に出ると、既に空はオレンジ色になっていた。
「……本当に、ごめんなさい。先輩が楽しいって言ってくれるとは思わなくて、びっくりしちゃって……」
ずっと続いていた無言を破ったのは、七緒の謝罪の言葉だった。
普段のように余裕そうな態度は鳴りをひそめ、心から後悔しているのが身体全体から滲み出ている。
「……楽しかったのは本当だし、部下を守るのがボスの仕事ってもんよ」
右手で七緒の頭を優しく撫でる。
彼女がいたく落ち込んでいるのが、彼にも理解できたからだ。
頭に手が置かれた瞬間、その目が大きく開かれる。
しかし、少し後ろを歩く瑠凪には見えない。
「だから気にしないでいいよ」
手のひらの動きに合わせて髪が波のように揺れる。
二、三往復ほどそれは続いていたが、痛みを払うように、手首を軽く振りながら引っ込められた。
「……ふふっ。ありがとう……ございます。でも、先輩も平社員ですよね」
「あれ、いいセリフで締められたと思ったんだけどなぁ」
七緒は前を向いたまま、顔を隠すかのように、さらに瑠凪の数歩先を歩く。
燃えるような夕焼けが、彼女の笑顔に化粧をしていた。




