勘が外れる日だな
翌日。大学の空き教場。
窓から差し込む夕日に照らされた、机に座って偉そうに脚を組んでいる男子生徒と、それに何度も頭を下げる女子生徒。
「本当にありがとうございました! 古庵先輩がいなかったら、きっと私は告白する勇気すらなかったと思います……」
「いやいや、気にしないでいいよ。人に相談できた時点で偉いと思う。でも、ここからは二人の世界での問題だ。俺は助けられないし、二人で協力しあって良いカップルになりなよ」
「はい、もちろんです! まだ一年なんでできることは少ないですけど、私に恩返しできることがあればいつでも言ってください!」
最後にもう一度深く頭を下げると、女子生徒は教場から出て行った。
「……いやぁ、今日も頑張ったなぁ〜」
瑠凪は大きく伸びをして、机に寝転がる。
彼は、いわゆる「何でも屋」に相当するサークル、通称「KL」に所属している。
と言っても部員は彼を含めて二人しかおらず、設立二年目を迎えた今でも非公式のままだ。
しかし、「カッコよくて応用力のある先輩」がいるということで、公式サークルを差し置いて、学内でも屈指の知名度を誇るサークルになっている。
この日は、かねてより相談を受けていた「三年生の先輩と付き合いたい一年生」の願いを叶えるべく、最後の舞台を整えていた。
一月前より手を替え品を替え、場合によっては季節外れの雪の結晶まで利用して二人の距離を近づけ、そして見事成就させたのだ。
そこまでの努力をすれど、対価として金銭などはもらわず、「困った時に助けてもらう」だけに留めておいているのが、評判の良さを手助けしているのだろう。
と、その時。教場の扉を叩く音がした。
先ほどの一年生が忘れ物でもしたのかと、瑠凪は返事をしない。
「すいませ〜ん! KLってこの教場であってますか〜?」
少し遅れて声が聞こえた。
いかにも大学生というような間伸びした声だったが、芯は通っていると思わせる、そんな声だった。
「あってるよ。入って」
先ほどの生徒とは別人だと理解した瑠凪が声を張ると、数秒後、扉がゆっくりと開いた。
呼びかけてきたのは一人だったが、入ってきたのは二人の女子。
一人は七分丈の黒いシャツとアームカバー、細い脚にピッタリと張り付くような黒いスキニーパンツを履いている。
全身が黒い女子だ、と瑠凪は思う。
髪色も同じく黒いボブカットだが、前髪のサイドの先がそれぞれ赤・青色に染められていた。
奇抜なデザインだが、猫のような吊り目に薄い唇、気の強そうな表情が相まって、むしろ洗練された雰囲気を放っている。
もう一方の女子は、白地に薄いピンクの花柄のワンピースを着ていて、どちらかというと清楚な顔立ちをしていた。
茶髪のロングヘアも、少し下手な髪の巻き方も、いかにも大学生という感じだ。
「KLにようこそ。まぁ、とりあえずそこら辺に座って」
系統の違う二人に多少違和感を覚えた瑠凪だったが、まずは着席を促す。
来訪者はそれぞれ、瑠凪から少し離れた椅子を選び、腰を下ろすと、彼の方へ向き直った。
「……さて、二人はどんな要件でここにきたわけ? KLは、行動する者の手助けを目的としたサークルだ。日常の疑問から対人関係のトラブル、夢を追うサポートまで、俺のやる気が続く限り幅広く対応している。金銭は受け取らず、いつか俺が求めている時に助けてもらうのが対価……っていうのは、ここに来たからには知ってるか」
瑠凪は手をひらひらと振りながら、初めてサークルに訪れた者に対するテンプレートの説明をする。
「もちろんわかってるよ。えっと……まずは自己紹介から始めようかな。私は音羽紫。法学部の二年生」
「へぇ、なら俺と一緒だ。はじめまして、古庵瑠凪だ。瑠凪でも瑠凪君でも、好きなように呼んでくれ」
「……うん、よろしく」
何故か不服そうな紫の表情。
同じ学年・学部であればどこかで見かけている可能性は高いが、今まで眼中になかったような反応をしてしまったのが癪に触ったのかもしれないと、瑠凪はそう考えた。
「それで、こっちの子が逗子静香。経済学部……だったよね?」
「あ、は、はい……。一年生で、音羽先輩とは同じ軽音サークルに入ってます……」
「ふむ、軽音か」
二人のうち、会話の主導権を握っているのは紫の方だったが、弱々しい態度を見るに、解決したい問題があるのは静香のようだった。
仮に紫が相談者だとしたら、自分でしっかりと会話ができるのに、後輩を連れてくる意味がないように思えたからだ。
顎に手を当てながら、瑠凪は考えた。
――新入生歓迎コンパは先週だったか。まだ関係性が薄い段階で相談し、同行してもらっていると考えると……どっちの子も奥手ではなさそうだな。
しかし、これ以上思索に耽っても意味はないと、会話に戻る。
「軽音サークルは毎年どこかしらでトラブルがあるからな。誰と誰が破局したとか、飲み会でイッキを強要されたとか。今回はどうした?」
「私たちのサークルは女子部員だけで、おとなしい子ばっかりだからそういうのはないよ」
「ならあれか、バンドメンバーが足りないとか? ちょうど良い人材が――」
「人数も足りてる。部員は少ないけどね」
「そうなのか。今日は勘が外れる日だな」
一口に軽音サークルと言っても、公式から非公式まで二桁ほどの数がある。
もちろん規模も大小で、最も有名なものだと百人近い在籍、逆に少ないものだと三〜四人、単体のバンドがサークルのテイをとっているだけのものもある。
瑠凪は自分の知っているバンドサークルをいくつか思い出してみるが、その中で女子だけで構成されるものはない。
つまり最近できたものか、非公式に準ずるものなのだろう。
であれば、紫はあくまで先輩として静香に付き添っているだけであって、相談内容はサークルに関係ないものの可能性が高い。
自分達を見て思案していることに気がついたのか、紫は後輩にアイコンタクトを取り、話すように促した。
「あの……相談内容なんですけど……私、友達が出来なくて……。新入生用の講義で挨拶するようになった子はいるけど、挨拶だけっていうか……」
静香の言葉を半分ほど聞いて、瑠凪はすぐに頷いた。
「個人的な話は全然しないってことね」
「そうなんです。私はもっと、休みの日に一緒に遊んだりできるのかなって思ってて……でも、連絡先すらろくに知らないし……」
「あれだな、よっともが嫌なんだろ?」
「よっとも……?」
首を傾げる静香を見て、自分の使っている言葉が時代遅れなのかと焦るが、それを表には出さずに言葉を続ける。
「大学で見かけたら挨拶するくらいで、あとは試験範囲聞くとか、都合のいい時しか話さない友達。そういう表面的なのじゃなくて、しっかり友達って言える関係性がいいんだよな」
それです、と何度も頭を縦に振る。
「確かに、大学には新入生用やクラス制の講義もあるにはあるけど、積極的にいけない子にとっては、友達作りは厳しいかもしれない」
「が、頑張って話しかけようとしたんですけど、できなくて。やっぱりキラキラした子が人気で……」
「わざわざ日陰にいる人間に話しかける物好きは、そうそういないからな」
その言葉を聞いて伏し目がちになった静香を見て、慌てて言葉を訂正する。
「ごめんごめん。静香ちゃんのことを言ったわけじゃないんだよ」
「ねぇ、あんまり後輩のこといじめないでくれる?」
キッと睨まれると、瑠凪は肩をすくめた。
「悪かったよ音羽さん。そんなに怖い顔しないでくれ。人間は第一印象が大切っていうけど、その反応だと、俺の印象は最悪だろうね」
「…………」
そこまで気に触るようなことを言ったつもりはないものの、明らかに機嫌が悪い紫の様子を見て、とりあえず放っておくことにした。
彼女は今回の依頼には直接的に関係しないだろうし、わざわざ機嫌を取ってやる必要もない。
瑠凪は立ち上がり、静香の方へゆっくり歩き出すと、彼女へ右手を差し出す。
「なら、まずは一人……友達、作ってみるか? できるかどうかは分からないけど、チャレンジしたっていう事実を作っておくに越したことはないからな。陳腐だけど、やらない後悔よりやった後悔だ」
「は、はい! お願いします……」
半分は反射的な勢いだったが、差し出された手を、静香は両手で握り返した。
「依頼を受けてもらえるってことだよね。それじゃあ、私はライブの練習があるからここらへんで。静香、あとは古庵君と頑張ってね」
「は、はい! またサークルで……!」
紫は瑠凪を睨むように一瞥したあと、厚底のスニーカーで器用に歩いて教場から出て行った。
床に響く靴音が段々と小さくなっていくのを二人で呆然と聞いていた。