出会いの記憶
「やっぱり恋愛の基本といえば相手の情報取集だな。入試に傾向と対策が必要なように、恋愛においても備えが必要だ」
「なるほど。さすが校内有数のモテ男は言うことが違うぜ」
誰が言ったんだそれ。
俺は基本的に大学内の生徒には手を出さないようにしているんだよ。
灯台下暗しという言葉があるが、恋愛においては身近な場所が1番危険。
……たとえば、深くつながった後に二人の関係が悪化したとする。
不幸なことに相手が個人情報を軽んじるタイプだったら?
無数の人が行き交う「街」に比べて、大学は人数が多いと言っても所詮「箱」だ。
俺の悪評はたちまち構内に広がり、弾けるような青春を送るという目標は手の届かない星になる。
いや、お前が蒔いた種だから仕方ないんじゃないか?
そう思う人もいるかもしれないが、そんな簡単な問題ではない。
その「悪評」が、客観的視点に基づいて事実だけを言っているのであれば俺も受け入れる。
しかし、人間はどんなに客観的に話していると思っていても、必ず主観的な意見が入ってしまう生き物。
自分の視点でものを見て考えるのだから、むしろ客観視する方が難しい。
それ自体は悪いことではない。
だが、俺について話す際に主観が入るとどうだろう。
一過性のイライラが話を無駄に盛り、余計な尾鰭が付く。
だからこそ、俺は大学内ではできるだけリスクを取りたくない。
その人間がキレた時にどんな反応をするかは、外面からは判別不可能だ。
だから俺は、どれだけ好みの女性がいたとしても、サークル所属なしで学部も違い、友達もいない超絶ぼっち案件でなければ思いとどまる。
俺は理性の超人なのだ。
……て、なんの話だったか。
「そうだ。まずは相手の情報収集をしようぜって話だ。今知っている情報、全部話してもらおうか」
「なんだか尋問されてるみたいだな」
「普段からやってる人みたいに手慣れてますね」
七緒はスルーして、蓮の言葉を待つ。
「えっと、なんていうか優しい子なんだよ。見た目は近づき難い感じで、壁を張ってるみたいなんだ」
「……ゆるふわ系ってよりは、白黒でカッコいい服装の子なのか?」
「そうそう! で、俺とその子の出会いは先週なんだけど……」
その目には、50年前の青春時代を思い返す老人のような、過ぎ去った時間を懐かしむような優しさが。
蓮は、自分とその女子の出会いを事細かに語ってくれた――。
「あの日は確か、まだ桜が散っていたかな」
一週間前に桜が散ってるわけないだろ。5月後半だぞ。
早くも記憶が美化されている。これだから恋愛は。
「俺はサークルに向かう途中で……あ、歴史研究サークルに入ってるんだけど」
歴史研究サークル!?
バリバリの文化系サークルだった。
てっきり、フットサルとかインカレ系の胡散臭いサークル所属だと……。
「その途中でさ、ナンパされてる子がいたんだよ。声をかけられてたのはこう……古庵の言葉を借りるならちょっとゆるふわ系の子で」
校内で声をかけるなんて愚かしい。
教場で自然に話しかけるならともかく、彼の口ぶりからして道端。
校舎と校舎の間で声をかけているのだろう。
軽はずみな行動で校内の風紀を見出さないでほしいものだ。
一人の無神経な行動によって、マナーを守っている他の人間まで割を食う。
若干の怒りを覚えつつも、話の続きに集中することにした。
「その子、嫌がってるのがバレバレだったんだけど、相手の男がチャラチャラしてて、そういうの気にしないタイプなんだろうな。お構いなしに一人で話続けてた」
「迷惑だな。それで?」
「俺はそいつを止めようと思ったんだよ。体格は俺の方が良いし、相手がイケメンだと思うと闘志が湧いてきた。なにより、嫌がっている女の子を放っておけないしな」
おいおい、こいつめちゃくちゃいいやつじゃないか?
友達にしたい男だな。
「そうして一歩踏み出した時、俺のものでもナンパ男のものでもない、第3の声が聞こえたんだ」
「ほう?」
話の流れから言って、ここで蓮の想い人が登場するのだろう。
「『待ちなよ』。シンプルに彼女はそう言ったんだ。その声は身体の底が冷え切るほどに冷たくて、ぞっとした。でも、彼女の姿を見た時、一気に身体がカーッと熱くなったんだ」
それは恋だよ。一目惚れだ。
「そして、彼女は男の元へ堂々と歩いて行って、女の子を解放させたんだ。俺の場所からはよく声が聞こえなかったけど、彼の顔が歪んでいたから、結構キツイこと言ったんだろうな」
現れた女子が見事ナンパ男を撃退したようだ。
「でな、ここからが大切なんだよ。男が去った後、彼女は女の子の手を引いて去っていこうとしたんだ。でも、一度俺の方を振り返ると『ありがと』って……」
その子は蓮が助けようとしていたことに気付いていたようだ。
「それで?」
「その瞬間だよ。俺は初めて、自分が恋に落ちたと確信することができたんだ」
恋をしたのが初めてなのではなく、自分がこの相手のことを好きだと確信できたのが初めてなのだ。
大抵の場合、相手と関わって、友情のようなものがだんだん好意に変わっていく。
しかし蓮は、一瞬でその場所を振り切って好意を持ったのだ。
「一言言って彼女は去っていったよ。俺はしばらく馬鹿みたいにその場に立ち尽くしててさ。それで……」
「それで?」
「…………その時、俺の顔に何かがついたんだ。それを手に取ってみたら……桜だったんだよ」
また記憶を美化してるぞ。
「い、いや、待ってくれ! 言いたいことはわかるけど、本当に桜だったんだよ!」
俺が呆れたような、疑っているような目を向けていたことに気づき、蓮が必死に言葉を紡ぐ。
「……本当にぃ?」
「マジなんだって! あれは確かに桜だった! 信じてくれよぉ〜」




