アカウント
「この間、頼んでおいた件、どうなった?」
夜の東京は美しく汚れている。
何も知らずになだらかな暮らしをすることも、欲望の渦巻く人間の本質を見続けることも、どちらも良い人生だ。
しかし、俺は後者の、都会の闇から逃れることはできない。
多くの人がいて、刺激があって、それもまた青春の一ページになるからだ。
ということで、俺は今、協力者の一人と居酒屋に来ていた。
半個室というふうに仕切られた各席は、オレンジ色の電球に照らされている。
大衆居酒屋は客が多く、話し声が喧しいが、逆に自分たちの会話も隠してくれる。
木を隠すには森の中、というやつだ。
「もちろん、古庵の兄貴から頼られるなんてそうそうないですからね。しっかり探しておきましたとも」
瓶底眼鏡の奥からは、親愛の眼差しがのぞいている。
おかっぱ頭を揺らしながら熱心に報告してくれる彼は、二宮吾郎。
同学年・学部の男子生徒だ。
俺は浪人も留年もしていないから、彼とは同い年なのだが、何故か「兄貴」と呼ばれている。
しかし、理由が謎というわけでもなく、彼は過去の依頼者の一人だった。
自分は田舎から出てきて、大学デビューすることも頭の中になく、気付いた頃には同年代に追いつけなくなっていたと。
そして、学内の陽キャからはオタクと馬鹿にされ、パシリのように使われる毎日。
彼は、そんな地獄の日々から抜け出したいと依頼を持ちかけてきた。
依頼は依頼だし、彼の目は努力を否定するように見えなかったため、それを引き受けた俺は、二宮を徹底的に鍛え上げた。
鍛え上げた、というのはファンションセンスや会話術なんていうテクニックのことではなく、もっと単純に、肉体面の話だ。
もちろん、他人に暴力で訴えかけるのはよくない。
だが、中には力でなければ解決できない事柄もある。
それを積極的に行えと言っているのではなく、つまり二宮に足りなかったのは、絶対的な力がもたらす自信だったのだ。
見てみると良い、今日の二宮の服装は、チェックシャツにダボダボのデニム、そして漫画でしか見たことのないようなまん丸のメガネ。
どこからどう見ても典型的なオタク……もはやテンプレすぎてコスプレにしか見えない。
しかし、その目には怯えはなく、確固たる信念、確立された自己があった。
詳細は省くが、鍛えられた二宮の前には、陽キャたちは太刀打ちできなかった。
「とりあえず、兄貴のスマホを貸してもらっても良いでござるか? こちらからスクショを送るという手もあるのですが、やはり証拠は残さない方が得策かと思いまして。あ、もちろん中身は覗きませんので」
「あぁ、信用してるから大丈夫だよ」
ポケットからスマホを取り出し、パスコードを打ち、ロックを外して二宮に渡す。
彼は礼を言うと、スマホを操作し出した。
二宮はさまざまな分野のオタクであるが、その一環に「機械いじり」がある。
パソコンの組み立てや修理といった物理的なものから、他人のSNSアカウントを探すといった情報的なものまで何でもできる。
現在の二宮は、元依頼者、俺の弟子という関係性のほかに、調べ物を頼む協力者という間柄なのだ。
そして、今回、どんな情報を得てもらったかというと――。
「これでござる。このアカウントが、日向七緒殿の裏垢の可能性が高いアカウントとなっております」
「ありがとう」
二宮からスマホを返してもらい、アカウントを確認する。
アカウント名は「ひまわり」か……彼女との関連性はなさそうに思えたが、日向を逆にして向日葵ということか?
「開設日は今年の四月、つまり入学の時期になりますな」
「時期的にはおかしいところはないわけか……」
頷く二宮。
約束は約束ということで、七緒をKLに加入させることは了承したが、いまだに信じることはできない。
だから、SNSのアカウントから何か情報が引き出せないかと思っていたのだが――。
「……なんと言いますか、惚気、アカウントですな……」
投稿数は25ほどで、その全てが、なんの役にも立たなさそうな情報だった。
『今日は先輩と一緒にご飯を食べました。私も食べられたいな』
『先輩の横顔がカッコ良すぎて直視できない。白髪も似合ってる』
『先輩好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き』
うん、惚気……というか、これはこれで怖いぞ。
「いただいた情報的に、このアカウントは間違いないと思いますが……なんですかね、これ」
「あぁ、なんなんだろうな、これ……」
俺はてっきり、何か七緒の行動理由になりそうなものや、彼女の裏の顔が知れると思ったのだが、無駄足になってしまったようだ。
ひとまず裏垢のことは忘れて、二宮と最近の情報交換や雑談を楽しむことにした。
二宮と別れ、電車に揺られている頃。
俺は、もう一度、七緒のアカウントをチェックしてみることにした。
特に理由はなく、暇な時にSNSを開いては消してを繰り返すのと同じ温度感だ。
もしかしたら、七緒は本当に、ただ俺に好意を向けているだけなのかもしれない。
だからこの裏垢にも狙いがあるわけではなく、シンプルに心情を吐き出すだけのメモ帳のように――。
『見てますよね?』
すぐにスマホを、アプリではなく電源ごと落とした。
彼女は一体、何を考えているのか?
その行動理由は、目的はなんなのか。
ただ、一筋縄では行かない存在を懐に入れてしまったのは確か。
手のひらで価値をなくしているスマホの電源を入れ、もう一度、彼女のアカウントを確認すると、「このアカウントは削除されました」という事実だけが書き残されていた。
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