デート
今日はもう一つやるべきことがある。
全くと言って良いほど乗り気しないんだが、約束してしまったからには仕方がない。
約束を破ることに躊躇はない。
だが、破ったこと、で後々不利な状況に陥る可能性はある。
たとえ正しいのがこちらでも、他人からの評価が悪ければ正しさは逆転してしまうかもしれない。
足取りは重かったが、俺の意思とは関係なしに走る電車のせいで、なんとか待ち合わせの駅へ到着した。
「あ、先輩。この時を指折り数えて待ってましたよ」
「……待たなくていいよ。指折ってやろうか?」
「今日はカフェデートだから可愛さ強めにしてみました。どうです?」
「スルーすんな」
純白のブラウスにブラウンチェックのサロペットスカート。
メガネを外してブラウンのカラコンを入れ、目元に赤いアイシャドウを使っていることで、ふんわりとした印象を受ける。
「正直、一瞬誰かわからなかったよ。やる気出すとここまで変わるんだな」
普段のダウナーな七緒とは全くの別人。
都会の大学生活を満喫しているキラキラ女子大生そのものだった。
「普段もやる気出してますよ? ただ、先輩がどんなのが好みか調べたくて」
「それを調べて何になるんだよ。バイト代出るのか?」
「バイト代は出ないけど、先輩に好きになってもらえる可能性は上がります。千里の道も一歩から、ですね」
「歯の浮くようなセリフをサラリと言えるやつは信用できない」
基本的に、こういうことをさも当然のように言えるのは、日頃から練習しているやつだ。
例として俺が挙げられる。
「……本当なのに」
不機嫌そうに頬をぷくりと膨らませる七緒。
「今日はいつもより感情が読み取りやすいな」
「そりゃあもちろん、デートですからね。わくわくもしますよ」
そういうものか。
見慣れない彼女を一瞥し、カフェへ向かうことにした。
五分ほど人混みを歩き、裏路地に入るとパッと道が広くなったように感じた。
実際のところ、道はむしろ狭くなっていて、人が減ったから広く感じているだけだ。
「……ここの二階がカフェのはずだ。あ、看板あった」
辿り着いたのは、最近ネットでバズっていたカフェ。
お洒落なだけのカフェなんて都内にはごまんとある。
そのため、待ち合わせに向かうまでの電車内でリサーチを済ませることができた。
「てっきり先輩は調べてくれないと思ってたから、私も目星つけておいたんですけど、同じくここが第一候補でした」
「俺は適当に調べた結果ここになった」
「無意識で同じのを選ぶなんて、やっぱり私たち相性いいんじゃないですか?」
「ノーコメントで」
タイミングを合わせたりしない限り、こういうのは相手に合わせられるからな。
俺も普段はそうやって共通点を作って距離を縮めている。
「じゃあ試してみます? 絶対噛み合うと思いますよ」
「……」
「するとしたら、まずは私が乗りますね?」
「…………」
「ギネスのくらいの高さになるの、楽しみだなぁ」
「え、肩車の話?」
後から調べたら、ギネスの世界記録に登録されている身長は二七二cmだそうだ。
紛らわしい言い回しに翻弄されつつ、階段を登り切る。
カフェの扉は黒く、営業中だというのに閉ざされている。
なんとも言えない入りにくさを感じながら扉を開けると、真っ黒な室内が目に入った。
壁や床、テーブルまでもが黒一色。
ところどころにある白い灯りによって足元、手元に視界が確保できるが、かなり攻めたデザインだ。
洗練された店内に合わせてか、店員の挨拶もまた静かで、個人的には心地が良い。
「真っ黒ですね」
「あぁ。内装自体は調べた時に見ていたけど、実際自分が中に入ってみると印象も変わるな」
「そうですね。黒い服で来たら生首に見えそうです」
「…………ちょっとやってみたいな」
首だけが浮いている様は割と気になる。
ハロウィンシーズンとか、そういうキャンペーンやってないだろうか。
店内はあまり混んでおらず、俺たち以外の客は二、三組いるだけだ。
会計を済ませ、他の客や店員から少し見えにくい影のカウンターに並んで座ることにした。
数分ほどして、店員が二人の注文を届けにくる。
銀色のトレイにゆっくり皿を置くと、浅く一礼してさっていった。
「食べ物までおしゃれなんだな」
「どうやって作ってるんですかね、これ」
スマホで二人分の注文の写真を撮りながら、七緒が不思議そうに言った。
俺が頼んだのは胡麻のプリンと抹茶ラテだ。
抹茶ラテはいわゆる「普通」のもので、緑と白に綺麗に分かれたグラス内にマドラーを入れ、かき混ぜてから飲む。
胡麻のプリンは米枡のような容器に入っていて、色自体はグレーだが、表面に店名のプリントが入っている。
食べ物まで店の雰囲気に合わせるとはさすがだ。
「……ん、美味しい」
一足先にティラミスを口にした七緒が、感動したような声を出す。
続いて俺もプリンを食べてみたが、こちらも美味だった。
「かなり当たりのカフェだな。静かだし、美味しいし」
「そうですね。インフルエンサーがネットで滑稽なくらいおすすめしてたのも納得です」
「お、おお……」
インフルエンサーへのあたり強いな。
言わんとしていることはなんとなく分かるけど。
「そういえば今日、静香ちゃんに経過報告してきた。ついに明日お見合いだよ」
「良い結果になると良いですね。目指せカップル成立」
てっきり「一緒にいるのに他の女の子の話しないでほしいんですけど」なんて言われると思ったが、七緒は特段気にする様子もない。
「先輩が何考えてるか分かりますよ。確かに話はしないでほしいですけど、先輩が活躍するのは嬉しいですから。もちろん、何もしてなくても見てますけど」
「……そうか」
思考が読めない七緒だが、この言葉に嘘がないことくらいは俺にもわかる。
彼女が俺に向けている気持ちは、本当に好意なのだろうか。
考えを察してか、七緒はこちらへ顔をむけて口を開く。
「前にも言ったと思うんですけど、私、先輩のことが世界中の誰よりも好きな自信があります。まだ分かりませんか?」
「…………」
何も言うことができなかった。
たとえ、本当に彼女が俺のことを好きだとして、だから何になる?
俺の目的は、大学生としての青春を謳歌することだ。
楽人は恋人がいることこそが青春だと言っていたが、俺はそうは思わない。
思い返した時に懐かしく、愛しく思うのが青春だ。
片時も嫌な思い出にならないのが青春であるべきだ。
友達と馬鹿騒ぎして笑い合う記憶は、現在から未来まで美しいまま。
だが、恋愛はどうだろう。
人と人とはいつかは別れるもの。
大学生のような軽い恋愛じゃあ添い遂げることなんてまずないし、円満な別れになる可能性も低い。
だから、苦い思い出になるはずだ。残るのは後悔のはずだ。
しかし、人はいつしか、その記憶を美しいものに改竄する。
俺にはそれが許せない。
自然に美しく感じてしまうのか、自分が望んで美しくしているのか。
どちらかは分からないが、俺はそれが気持ち悪くて仕方がない。
成功の結果、得られるものが美しいのは当然だが、失敗は苦いものでなければならない。
でも、自分がいくら気持ちを強く持っても、おそらく最終的には過去を慈しんでしまうのもわかっている。
だからこそ、俺の青春に恋人は必要ない。
だからこそ、友情ではなく、愛情に準ずる想いを持った彼女に心を許してはならない。
一時の感情に支配されるのが、怖いからだ。
「……わかってますよ、先輩が何考えてるか。今は一緒に入れるだけで満足です」
はぁ、と七緒のため息が聞こえる。
呆れているのかと思ったが、その矛先は俺ではなく自分に向いているかのようだった。
「せっかくのデートなのに、嫌な気持ちにしてごめんなさい。気分を変えたいので、一回外に……あっ」
カウンターの上に置いていたスマホをカバンにしまおうとした七緒だが、手が滑り、スマホが宙を舞う。
しかし、俺が無計画に出した手が、偶然にもスマホをつかむ。
「おぉ、良かった。……俺も悪かったよ。とりあえず出るか――」
手に力が入っていたからだろう、意図せずスマホの電源がついてしまう。
つい、視線が画面に引き寄せられる。
「……え?」
直後に七緒の手によってスマホの画面が隠されたが、俺は見逃さなかった。
――そのロック画面が、俺の写真だったのを。




