お二人とも、お似合いですよ
エレベーターは、その計算された加速・減速によってGを感じにくくなっているという。
にも関わらず、ガラス越しの景色がどんどん小さくなっていくのと比例して、自分の身体が重くなっているような気がした。
チン、という音と共に身体が軽くなったもの束の間、ホームドアが空いた瞬間、消えたはずの重力が一気に足に溜まりだす。
「うわぁ……」
思わず口からは、感嘆とも引いているとも言える声が漏れてしまった。
人生で初めて口にする言葉だが、まさに絢爛とはこのことなのだろう。
レストランの入口は煌めくような金色で、同じく金色に輝くシャンデリアが天井から吊るされている。
しかし、実際に食事を楽しむ奥のフロアは落ち着いていて、海中にいるような青さで照らされていた。
「……お待ちしておりました。こちらへどうぞ」
二十年もののワインのような、熟成された風格のある老紳士に促されて席へ案内されるが、ちょっと待て。
レストランって予約してても名前とか伝えるよな?
あのイケおじは、凛の顔を見てそのまま通していた。
つまり、彼女は顔を覚えられるくらいここへ通っているのか、西堂家の息がかかっているのか……。
どちらにせよ、顔パスという桁違いの対応に驚いてしまった。
案内された席からは、夜の都内が一望できる。
一大学生が雑談しに来るところというよりは、一世一代のプロポーズをするための場所というイメージだ。
まさか、彼女も要らない身で来ることになるとは……。
老紳士がひいた、くすんだ赤色の椅子に座ると、眼前には東京の眩しい夜景が広がっていた。
「どうだ? 気に入らなければ別の席……いや、別の店にするが……」
「気にいるとか以前に、圧倒されてました。東京タワーとかスカイツリーから見るのとは、また違った印象になりますね」
「そうだろう。今日はコース料理だが、何か食べたいものがあれば言ってくれ。袴田に言って用意させるよ」
袴田とは、さっきの老紳士のことだろうか。
呼び捨てにするほどだし、やはり彼女の顔馴染みの店のようだ。どちらかと言うと配下だな。
「……お待たせいたしました」
二人が席について一息ついたタイミングで、袴田が、無駄に洒落た容器に入った水を持ってきた。
そして、テーブルの上のグラスの向きを変えると、まずは俺の分を注いでくれる。
「ありがとうございます」
もしかしたら、こういう場所では何も言わずに澄まし顔をしておくのがマナーなのかもしれないと思い直したが、やってしまったものはしょうがない。
袴田はにこやかな笑みを浮かべているし、きっと大丈夫だ。
「凛様はいかがいたしますか?」
「任せる。私よりお前の方が詳しいだろう」
「そうですね。それでは、本日のお気持ちに相応しいものを」
お互いあまり感情を出してはいないが、既知の雰囲気が見て取れる。
袴田は一礼し、静かに去っていった。
「すまないな。瑠凪の好みが分からなかったから、とりあえず水にしてしまった。本当なら同じワインを飲みたかったんだが、誕生日はまだ先だろう?」
「そうですね。八月です」
事前に、レストランに俺のことを伝えていたから、先に水が出てきたのか。
誕生日を覚えられていたのも嬉しいし、彼女の記憶力の良さ、マメさに感心する。
「覚えててくれて嬉しいです。誕生日」
「そ、それはな。大切な友人の誕生日くらい覚えるに決まっているだろう」
当たり前なことを聞いてしまったからか、彼女は少し居心地が悪そうな表情をしていた。
ややあって、凛のグラスに真珠のように白いワインが注がれる。
「乾杯しようか」
「あ、はい」
てっきりグラスを鳴らすものだと思っていたが、彼女はそれを軽く持ち上げ、少し微笑むと口に運んだ。
今の俺の心の中は「やばい、マナーとか全然わからん」という一点に支配されている。
テーブルの上に置かれているメニューを見ても、違う言語としか思えない料理名が書いてあるし、この一瞬で異世界転生したと言われても納得してしまう。
マジでナイフとフォークを使う順番くらいしか分からない。
近くの席からは「ははは」と軽快な笑い声が聞こえるが、どんな人生を送ればここで余裕をかましていられるんだ?
あぁ、その答えは目の前にいたな。
「ん、どうした?」
「いえ、東京の夜景より輝く先輩が眩しくて」
動揺に気付かれないよう、普段の癖でキザな褒め方をしてしまった。
事実ではあるが、あまりにも当然のことを伝えてしまい、気を悪くさせたかもしれないが……。
「あ、ありがとう。瑠凪にそう言われるのは嬉しいな。……本当に」
どうやら、ギリギリセーフだったらしい。
連れてきてもらっている身だし、彼女に恥をかかせたくない。
場所が場所なため、スマホを取り出して調べるのも悪手。
お手洗いに行くふりをして調べようとも思ったが、料理が出始めてからはマナー違反なことくらいは知っている。
だが、このタイミングはどうだ?
確証はないものの、行くのは今しかない。
しかし、足に力を入れた瞬間、俺は詰みを理解した。
「お待たせしました。こちら本日の前菜になります。今朝採れたばかりの――」
もうだめだ。
トイレに行くはずが、俺は再び異世界に足を踏み入れてしまったようだし、ここから持ち堪えられる気がしない。
最後の手段として、捨てられた子犬のような目を意識して袴田を見つめる。
彼ほど、深い人生経験が滲み出ている人間はそうはいない。
きっと俺の目を見て「こいつはクソ庶民だからマナーも分からんのだろう。しょうがない。助けてやるか」と思ってくれることだ。
自分で言ってて悲しくなるが。
異性に詰められた時、ブチギレられた時のために身につけた数ある必殺技の内の一つ「子犬視線」。
さぁ、見てくれ――!
「………………」
視線に気付いた袴田は、アルカイックスマイルもかくやというような微笑みを讃えている。
凛に恥をかかせたくないという俺の心情を察してくれたに違いない。
もう自分にできることは全てやった。
後は彼のアクションに全てを任せ、俺は静かにその時を待つことにする。
「……凛様のお連れ様は、大変整ったお顔立ちをされてますねぇ。お二人とも、お似合いですよ」
「は、袴田!? ……こほん。まったく、面白いことを言うな、なぁ瑠凪!?」
もしかして二人は結託しているのか?
庶民に恥をかかせて内心で大爆笑しようの会なの?
「…………はい、そうですね」
背後では紳士たちの談笑。
目の前には格式高い男とお嬢様。
ただ一人、庶民の乾いた声だけが、何故か反響して聞こえた。
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