ガイドブックを読みました
大学最寄の出口から外に出ると、雨は止んでいた。
最終的に足が止まったのは、大学近くにあるカフェの前だった。
淡い水色、ところどころ白く、アクセントのある外観。
間取りが広く、席数がそれほど多くないため開放感もある。
二階席も用意されているため、収容人数もなかなか。
天気の良い日は、店前のテラス席に、食べ物を自分の装飾品か何かとしか思っていなさそうなインフルエンサーのような集団、はたまた怪しげな勧誘が我が物顔で座っている。
「ちょっと待って」
店のドアを極めて自然に開けようとする七緒を止める。
「…………」
呼び止められ、不機嫌そうに目を細めた。
俺は二泊おいて、その表情が行動の阻害からでないと気がつく。
「七緒ちゃん。ちょっと待って」
「はい、なんですか?」
声が弾んでいることまで作戦のうちだろうか。
疑問は尽きないが、とりあえずは目の前のことに集中するとしよう。
「何にも言ってないのに、なんでこのカフェに入るってわかった? 俺は入店の素振りどころか通り過ぎようとしたよね」
「あぁ、テストしてたんですね」
「いや……まぁ、それでいいや」
核心をついた一言に、多少なりとも狼狽えるのではないかと考えていたが、予想と反して、彼女の反応は当然と言いたげな、堂々としたものだった。
「大学から近くも遠くもない、一時間以上居座っても怒られなさそうなカフェで一番有名なのはここですから」
「……そもそも、なんでカフェに来たと思う?」
「生徒探しの様子を見ていて、落ち着いた感じの子を探してると思ったからです。食堂なんかは一人で時間を潰すにはうるさ過ぎるし、ゆっくりできる場所が欲しいならカフェがいいかなって」
「…………入るか」
満点の回答だ。
だが、詳しく説明する手間が省けた事への喜びより、自分の思考が全て読まれているかのような気持ち悪さが薄く膜を張っている。
そもそも、一年生の時点で、学校周辺の地理にそこまで詳しいのか不自然。
しかし、それを詰めても「ガイドブックを読みました」とでも言われそうだったので、触れないでおいた。
店内に入ると、俺たちの存在を示すかのように、からんという軽快な音が鳴った。
二度と鳴ったのが残念だ。
「いらっしゃいませ〜! お好きな席にお座りください」
溌剌とした店員さんに促され、俺たちはまっすぐ二階へと向かう。
一階も二階もガラス張りで中の様子は見えるが、どちらかといえば二階の方が落ち着ける。
大人しめだったり人の視線が気になるなら、二階の奥の席を取るのが定石だろう。
前を歩いている七緒が足を止めずに階段を登っているあたり、俺の考えは読まれているようだ。
上階は二十席ほどの広さで、すでに半分くらいが埋まっている。
俺たちは、奥の席が観察出来そうな位置に陣取り、荷物を置いた。
「座っててください。私が買ってきますよ」
「あぁ、なら抹茶――」
「言われなくても分かるので大丈夫です」
「代金は――」
「それも大丈夫です。今日は私の奢りということで」
何もさせてもらえず、彼女は幽霊のように階段を降りて行ってしまった。
別に金欠なわけではないし、後輩に奢ってもらうというのは居心地が悪い気がする。
俺の頼みたいメニューが分かっているのも謎だ。
だが、それを考えていたところで答えは見つからないので、やるべきことに目を向ける。
店内に視線を這わせる。
奥の方の席にいるのは二人。
一人はメガネをかけていて、黒髪ロングの落ち着いた容姿の子だ。
もう一人は髪が青く、ショートカットでピアスをジャラジャラ付けている派手目の子。
第一印象で静香に似合う相手を選ぶなら、間違いなく前者だろう。
「――でも、人の中身はもっと細かいところに出やすいですからね」
「おぉびっくりしたな!?」
数センチ身体が浮いた恥ずかしさを隠すように、元気よく「おかえり」と迎え入れてしまった。
「ただいまです。はいこれ、抹茶ラテのアイスにホイップ増量しときました」
「……マジで満点の注文してんな」
怖い。えっへんと胸を張っているが、一点の減点もないのが怖い。
「ひな……七緒ちゃんは何頼んだの?」
「私ですか? 先輩と同じやつ頼みました。ほら、ドラマとかで『離れていても、同じ空を見てるよな……』的なのあるじゃないですか。あれです」
「へぇ…………」
目の前で同じ空を見られても感動できないのは俺だけだろうか?
「じゃれ合うのはこれくらいにして、観察しましょうか」
「これじゃれ合うって言うの? 夏の先取りホラー特集じゃなくて?」
先取りすぎだ。まだ四月だぞ。
「来月公開される、足が生えたサメのスプラッター映画が面白そうです」
「……なんで俺が観たいやつ知ってんの?」
「ガイドブックを読みました」
「伏線回収しないでくれ」
「本題に戻りましょうか。まず、二人の見た目は対照的ですけど――」
「スルーする感じね。了解」
「見た目だけなら確実にメガネの子ですけど、持ち物はどうですか?」
まずはメガネの子の持ち物をチェックする。
レポートか予習復習かは分からないが、なんらかの勉強をしているようで、参考書にルーズリーフ、茶色いペンケース、ボールペンをテーブルの上に出していた。
「まぁ、大学生と思ってよさそうだな」
「なんでですか?」
「ルーズリーフ使うのなんて、受験シーズンの高校生か大学生のどっちかくらいだろ」
「それ偏見って言うんですよ」
「うるさい。んで、高校生ならシャーペンを使うはずだ。逆に大学生は、試験の時にボールペンを使う場合がほとんどだから、日常的にボールペンを使ってるわけだ」
あとは、文字を書き間違えた時なんかの動作が分かりやすいだろう。
小気味よく二重線を引いているのが大学生だ。
例外はあるって?
そりゃあそうだ。何事にも例外はつきもの。
俺の目の前に座っている女子も例外っぽい。良くない方の。
「次は服装だが……」
服装は、グレーのスウェットに黒いパンツ、同じく黒いスニーカー。
パンツは太すぎず細すぎず、スウェットと合わせて快適さを重視していると分かる。
「バッグはトートですね。言っちゃ悪いですけど、かなりやる気ない格好なんで、住んでるところは大学から近目なんじゃないかと思います」
「大学から近いっていうのはなんでだ?」
「年頃の女の子なら、もう少しお洒落してくると思うんですよね。例えば、大学に気になってる人がいるなら尚更そうです。だから彼女は、家から大学が近くて、めんどくさいなぁって思いながら登校してきた子かなって」
なるほど。言われてみれば、アクセサリーもつけていないし、歩きやすいスニーカーということも相まって、あくまで日常のルーティンとして大学に通っているようだ。
俺的には、別にどんな格好で大学に来ようが人の勝手だと思うが、あくまで客観的に分析するとこうなる。
わざわざ家に帰るのも面倒だからカフェに寄ったのだろう。
「あと、多分あの子は、友達と遊ぶ時はもっとお洒落だと思うんですよね」
「……どうしてだ?」
ここまでの推測は理解できるものだったが、友達とどうこうの時まで分かるとは思えない。
七緒は淡々と、機械のように言葉をつづける。
「よく見ると、メガネの耳にかける部分が少し曲がってるんですよね。日常使いするならかなりストレスになると思うんですけど、特に気にしてる素振りもないので、休みの日とか遊びに行く時はコンタクトを付けてるんじゃないかなと」
「一理あるな……」
彼女は助手になりたいと言っていたが、助手にしては有能すぎて、自分の役目がないような気がする。
「次は、もう一人の子を見てみましょうか」