愛が重いだけじゃ、信用できませんか?
爆速タイトル回収
緑色の芝生が、まだ少し先の夏を感じさせる。
瑠凪と七緒はグラウンドのベンチに座っていた。
そこは観戦用のそれではなく、選手や監督といった、チームに近しい者が座るはずの場所だ。
「パスだせパス! ディフェンス甘いぞ!」
コート内の選手に厳しく指示を出す白髪の男。
相手チームにとってはさぞ奇妙に見えただろう。
だが、彼はそんなことも気にせず声を上げ続ける。
「いけるいける! そこで打てぇぇぇ!」
その叫びに呼応するように、コート内でボールを保持していた選手がシュートを放つ。
渾身の力で放たれたシュートはゴールから大きく外れたように見えたが、急激に軌道を変え、キーパーの肩を掠めて枠内に入る。
それと同時に審判が笛を鳴らし、試合が終わった。
「うおおおおおお! やったぁぁぁぁあ!」
勝利したのは瑠凪が応援していたチームだった。
彼はコート内の選手たちに駆け寄っていき、皆で喜びを分かち合う。
「古庵、本当にありがとう! お前のアドバイスがなかったら俺たちは……俺たちは……!」
「俺の力なんてちっぽけなものさ。みんなが毎日練習して、今日だって、最高のシュートを放てたから勝てたのさ!」
「お、お前ってやつは……」
笑顔でサムズアップする瑠凪を見て、得点した選手が涙を流す。
「おい、みんなで胴上げしてやろうぜ! 古庵コーチに感謝の胴上げだ!」
十一人のみならず控えの選手も合流し、瑠凪の身体を宙へ放り投げる。
「ははは! おめでとう、みんな!」
明らかに、漫画で言えば最終回のシーンであるが、これは全国大会の決勝でもなければ、そもそも大会ですらない。
近くの大学とのただの練習試合だ。
だが、万年負け続けていたチームにとって、この一勝は大いに価値のあるものだった。
「やったな! これが青春だ!」
涙を流す選手たちを見ながら、瑠凪は満面の笑みを浮かべていた。
・
それから一時間、瑠凪と七緒は都心の駅を歩いていた
いきなり激しい雨が降ってきたのだ。
「予報では晴れだったんですけどね」
「あぁ、全くついてないな。この世はクソだ」
雨天特有の湿気に不機嫌な彼は、片腕に先ほど購入したビニール傘を引っ掛けている。
「さっきのサッカーの試合はなんだったんですか?」
「なにって……うちの大学のサッカーサークルだよ。どこから話が伝わったかは忘れたけど、俺を頼ってくれたんだ」
「……なんでも屋って、本当になんでもやるんですか?」
「あぁ。それが青春足りえるなら、俺はなんだってやるさ」
「青春? そもそも、先輩が人のために行動するのが意外なんですけど……理由があるんですか?」
「理由ね。俺はさ――」
質問に答えようとした瑠凪は、ふと、氾濫した川のように流れる人の中に取り残された老婆を見つけた。
腰が曲がり、軽くつついただけで倒れてしまいそうな老婆だ。
「あの……あの……」
彼女は通り過ぎる人に声をかけているが、ことごとく無視されてしまっていた。
片手に地図を持っていることから、おそらく道を聞きたいのだろう。
そう考えた瑠凪は、老婆の元へ歩いて行き、柔らかい、少し高いトーンで声をかけた。
「おばーちゃん、どしたの?」
「あぁ、孫と待ち合わせをしているんだけど、どこに行けば良いかわからなくてね……」
三歩進んで二歩下がるような会話を聞き、彼はなんとか、老婆の孫が待っている場所を突き止めた。
そして、彼女を優しくエスコートし、遠目に孫が見えるところまで案内する。
老婆は傘を持っていなかった。
最後に瑠凪は、自分の腕にかけていた傘を渡してやり、老婆を送り出した。
こちらへ何度も振り返ってお辞儀をする老婆の顔には感謝の念が浮かんでいた。
・
「俺は、青春っていうのが好きなんだ」
七緒の元に戻った瑠凪は、先程の会話を再開させる。
「人間は永遠の愛を誓うけど、それを死ぬまで継続できるかは微妙なところだろ?」
幸い、駅の構内は傘がなくとも濡れることがない。
「愛は素晴らしいけど、後に残るのは後悔と不幸だけ。――ありがとうございます」
彼は近くの売店で新しいビニール傘を購入し、再び腕にかけた。
「でも、青春は別だ。努力して目標を掴み取った達成感は、何年経っても美しい思い出として残り続ける。もちろん、恋愛の依頼は受け付けるけどな。俺には愛は信じられないが、他人にそれを押し付ける気はない」
あてもなく歩いていると、地下の広い空間にたどり着く。
空間の安全性を保証しているように、数十本の太い柱が立っていた。
「恋に邁進することも青春と言えるってことですか?」
「もちろん」
瑠凪は深く頷く。
「俺は努力を笑わない。弱小だけど勝利を求めて練習するチームだって、孫と会うために、都会でめげずに道を聞こうとする婆さんだって立派なんだ」
彼は、柱のうち一本の前で、醜く言い合いをしているカップルを見つけた。
人目も憚らずに言葉のドッジボールをしていたが、瑠凪が近づいて行くうちに喧嘩は尻すぼみになっていき、やがて男が去っていった。
残された女はしゃがみ込み、みっともなく泣いている。
「待って……待ってよぉ……」
瑠凪はその女を心底軽蔑した目で見つめ、鼻で笑いながら通り過ぎる。
手を握り、親指だけを立てて背後の女性を指差す。
「逆に、追いかけることすらできないやつは嫌いだ。追えば何か変わるかもしれないのに」
駅の改札を抜けて、地下のホームへ続く階段を降りる。
「――お、ちょうど電車が来るぞ。あくまで、俺には愛も恋もいらないって話だな。つまり、七緒ちゃんのことも信用できない」
電車が到着し、ドアが開く。
「私は先輩を裏切りませんよ、絶対に」
瑠凪が車両に乗った時、背後からそう聞こえた。
「……愛が重いだけじゃ、信用できませんか?」
「できないね」
間髪入れず、瑠凪は振り返らずに答えた。