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ポスティングおばさん

 私は鷲見すみ智美ともみ。60代の子持ちの主婦。

 何人目かの旦那とは死別して、一番下の娘と母子家庭。

 一応子供は他の旦那との子を合わせて四人いるが、他の三人の子供たちとは、孫の顔を見せてくれた一人を除き、連絡がつきづらい。

 離婚とか、親権とか、色々あって疎遠になってしまった。

 だけどまあ。

 どこかで元気にやっているだろうと楽観的に考えている。

 結婚でもしてくれてるといいな。

 種違いなのもあって、娘も、それが分かってからはあんまり言及しなくなった。

 複雑なお年頃なのだろう。

 ところで、私は今、とある有名不動産のチラシ配りをしている。勤続十数年目のベテランだ。

 稼げるお金は微々たるもので、生活が成り立つほどではないから、やむなく生活保護を受給すらしているのだけれど、長く続いている。運動になるからいい仕事だと思う。

 歳を考えると、コンビニとかで働ける気はしない。だからこれからも続けていくだろう。

 あからさまに嫌悪けんおされたり、変に声を掛けられたりすることもあるが、言ってしまえば、地図を覚えて、ポストにチラシを投函とうかんするだけのお仕事だし。

 ただ、自転車の駐輪場所と投函禁止のところに気を付ければいいだけだ。

 もちろん私有地への立ち入りや、常識外の時間での配布は厳禁である。

 そして私はごみ捨ての時間もなるべく避けている。配っているときに、人と遭遇そうぐうするのが嫌だからだ。

 そんな私の担当は若い男性で、名前は大森おおもりさん。

 本人に訊いたら、なんと30代で私の上の子供と同い年。

 私からすると、子供みたいな歳だけど、優しくて、いつも気持ちのいい言葉を言ってくれるから、好きだ。

 大森おおもりさんは昭和のスターのようにイケメンというわけではなく、どこにでも居そうなごく普通のお兄さんだ。チラシに描かれている本人のイラストは結構美化されているように感じる。

 だけど、大森おおもりさんはとてもいい人で、死んだ旦那とは大違い、好きになってしまうのも仕方がない。

 娘には「いい歳して馬鹿みたい」って呆れられてしまっているが、女はいくつになろうと、若い男にかれるものなのだ。

 昔、アイドルの追っかけやっていた女が言うと説得力があるでしょう?

 そういうわけで、今日も仕事を終え、配布報告をしようと不動産に電話を掛ける。

 大森おおもりさんが出てくれないかという淡い期待もあった。

 すぐに電話がつながる。


「――不動産の桃谷ももたにです」


 出たのは、桃谷ももたにだった。


「お世話になっています。モニターの鷲見すみです」


 ――なんだ、桃谷ももたにか……。

 私はがっかりしてしまう。

 女性の事務員で、私の嫌いな相手だ。キツイ声で神経質な感じがする。少し早口なのもよろしくない。

 桃谷ももたにさんってなんか偉いんですか? って今度、大森おおもりさんに訊いてみたい。

 そもそも、桃谷ももたには、年下のくせに偉そうでしゃくさわる。

 私は上下の関係よりも前にどうしても年齢を気にしてしまう。年下に、あれこれ指図さしずされるのが嫌いだった。

 桃谷ももたにはやたらと電話に出る。だから、大森おおもりさんとの仲を疑っている。

 電話に出る度に、桃谷ももたにって大森おおもりさんと何か関係があるんじゃないかと、かんぐってしまって気が気じゃない。

 私は大森おおもりさんの近くに居れる桃谷ももたに嫉妬しっとしていた。

 私が大森おおもりさんに直接会ったのは面接の1回だけなのに、桃谷ももたには毎日のように大森おおもりさんと会っている。正直言って、悔しかった。

 私も大森おおもりさんと同じ職場で働けたら……と考えてしまうことが最近増えている。

 ともあれ配布報告を始める。


「配布報告です」


 私は淡々(たんたん)と報告を続けて、終わったらすぐに電話を切った。

 嫌な相手と長々と電話を続けることはないだろう。ストレスだ。

 桃谷ももたにと話をすると、ついつい嫌味をいいたくなってしまう。


「はあ……」


 ため息をついた。

 ただ報告しただけなのに、やたらと疲れた。年下かつ嫌いな相手と話すのは神経を使う。

 ――大森おおもりさんが相手だったら色々話がはずむのに……。

 大森おおもりさんが出てくれずに、桃谷ももたにが出たからがっくりした。今日は一日不機嫌だ。




 また別の日。


「チラシ全て配り終わりました」


 チラシを全て配布し終えたので、そう報告をする。

 電話が終わる前に、


「次のチラシいつですか?」


 とくと、


「もう送りましたので明日には届きますよ」


 大森おおもりさんはそう答えた。

 電話を切って、暫くパソコンの画面で今は引退してしまっているらしい最近お気に入りの若い女優とどこぞの男優の縺れ合う様を食い入るように眺めていると、


「ただいまー」


 娘が帰ってきた。


「お母さん嬉しそうだね? そんなにAVが面白かったの?」


 一言余計だ。と思いながらも私は娘に答えてやった。


「チラシが明日に届くそうよ」


「ふ~ん」


 興味なさそうな娘に私は、


「あんたはまだ高校生で録な仕事をしたことがないからそういう態度なんだろうけど、働くって大変なのよ」


 そう言ってやると、小癪にも娘が憤慨してきた。


「私だって真面目にバイトしているわ! 大した高校行けなかったからってすぐそうやって見下してくるのやめてよ。……というか、ポスティングのどこが大変なのよ。ただ街中を練り歩いてポストに紙切れを入れているだけでしょ」


 全くもって的を射ていない娘に、嘆息する。


「それが大変なのよ。私は昔母親の花売りの手伝いをしていたから足を使って稼ぐのがいかに大変なのか知っているのよ」


 そうやって世渡りする苦労を教えてやったというのに、娘は即座に噛みついてきた。


「ポスティングと花売りとは話が違うんじゃないの? てか、花売りって、まるでマッチ売りみたいだけど、大昔の仕事だよね? 花屋と何が違うのよ? そんな昔のことを言われても全然ピンと来ないわ」


 いくら昭和の話とはいえ、ものを知らなすぎる娘に、呆れてものも言えなかった。

 年長者としてしっかり教えてやらなければ、という使命感すら沸いてくる。


「あんたは知らないだろうけど、花屋と花売りとは全然仕事のレベルが違うのよ」


「それ花屋馬鹿にしてるよね? 花屋だって大変なはずよ」


「それこそ、どこがよ? 外で汗水垂らして働くことに比べればなんてことないでしょう。私だって、婆が、リヤカーで引っ張って一生懸命売り歩いていたのを手伝ってきたから知ってるの」


「へえー」


 生返事具合をみるに、娘は全然解ってくれていないのだろう。


「婆は大正の頃に風鈴売りの手伝いをしていたから勝手が分かっていたのよね。風鈴売りは夏に特化した仕事だから余計に大変だっただろうし」そこまで言ったら急にむしゃくしゃしてきた。「……年取って喧しかったから死んで清々したけれど、そこだけは尊敬するわ」


 嫌なババアに落ちぶれたもんだからボロクソに言ってやるとスカッとした。

 すると娘がいつものように言ってくる。


「会うたびに喧嘩ばっかりしていたからっておばあちゃんの悪口はやめて」


「嘘は言ってないから悪口じゃないわ」


 そんな娘との言い合いは置いといて。

 チラシは、きっと明日には届くはずだ。




 その次の日。

 私は、いつくるのか、いつくるのか、と待ち遠しく、配送業者にまで電話を掛けてしまった。

 けれども結局、届かなかった。

 配送業者の方にも着いていないらしい。

 いつになっても来ないことに腹が立ってしまう。

 ――大森おおもりさん、本当に送ったのかしら……?

 いつ来るのかはっきりさせるためにも、また不動産に電話を掛ける。


「もしもし、モニターの鷲見すみです。チラシのことなんですけど……。いつ頃に届きますか?」


 すると娘が横から口を出す。


「毎回毎回、クレーマーみたいじゃん。チラシのこともだけど、社員でもないのに不動産のこと口出ししたりさあ。あの土地が、違う不動産に売れちゃったーとか、状況を逐一ちくいち報告したりして。馬鹿みたい。たかがチラシ配りなのにさあ。もうやめてよ」


「黙ってて。――あっ、もしもし」


 またしても回答は「明日には届きますよ」だった。

 ――明日にはって言うけれど、本当かしら?

 大森おおもりさんはいつもこうやって誤魔化す。

 明日には、明日には、とは言うが、すぐに来た試しがない。

 おそらく、チラシの配布間隔のためとかで引き伸ばしているのだろう。

 それとも単に仕事がルーズなのか。

 それならば、思いきって言ってみよう。


「なら受け取りに行きますよ」


 こう言えば、断れないはず。


「え!」


 娘が驚く。電話口の向こうの大森おおもりさんも驚いているようだ。

 気にせず、電話を続ける。

 大森おおもりさんは難色を示していた。

 私は、どうしても早く配り始めたいのだと伝えたり、母子家庭だから生活保護を貰っていても生活費が苦しくて……と切り札まで使い、辛抱しんぼうづよく交渉する。

 すると。

 根負こんまけしたのか、


「本当は駄目なんですけど、鷲見すみさんは特別ですよ。他の人にはくれぐれも言わないでくださいね」


 受け取りに来てもいい、という趣旨しゅしの返事をもらえた。


「ありがとうございます。それではすぐに受け取りに参ります!」


 満足して私は電話を切る。

 そして娘に伝える。


「チラシを受け取りに行くわ。向こうから配送されるよりも早いし、その方がいいでしょ。大森おおもりさんの顔も見たいし」


 最後のが一番の目的だ。本音と言ってもいい。

 大森おおもりさんに会いたかった。


「ふーん」


 娘は唇を尖らせていた。不満そうだ。

 私の女心を知ってか知らずか、


「でもバス代とか、かかるけどね」


 と呆れた様子の娘に言われる。


「いいじゃない別に。働いているんだし」


 そう私が答えると、急に娘が激昂げきこうした。


「1枚たかが5円でしょ! ほとんどボランティアみたいなものじゃない! そんなんで威張いばらないでよ!」


 1枚5円。

 その通りといえばその通りなのだが、人に言われると、むっとする。


「1枚5円でも立派な仕事よ。私これでも勤続十数年のベテランなの。馬鹿にしないで」


 そう言い返してやると、娘は頭を抱えた。

 そして吐き捨てるように言う。


「所詮、お母さんはポスティングおばさんなの」


「ポスティングおばさんか」


 私は復唱する。

 面白いあだ名でちょっと笑ってしまう。

 すると娘がとがめるような目で見てきた。


「笑い事じゃない。そんなに大森おおもりさんが好きなの? 神奈川にいるお姉ちゃんの子供に会いに行くときより全然嬉しそうじゃない! 桃谷ももたにさんに露骨ろこつ喧嘩けんか売ったりとか、ぐちぐちと桃谷ももたにさんの悪口言ったりとかちょっとおかしいんじゃないの?」


 なんでそこで桃谷ももたにが出てくると思いながらも、大森おおもりさんについてわかってない娘に何度でも教えてやる。


大森おおもりさんは若いのに営業やっていて、しっかりしているいい人よ。あんたにも見習ってほしいくらいのね。それにお父さんみたいに頭ごなしに大声で怒鳴ったりもしないし、すごく優しい人よ」


 すると娘がキッとにらんできて、


「それは仕事の関係だからでしょ。まさかだけど、大森おおもりさんと再婚でもしたいの?」


 娘にそう問われると、ちょっと考えてしまう。

 大森おおもりさんと再婚するのも悪くない。

 けどまあ、


大森おおもりさんはどうせ彼女いるわよ。若いし。まあ、彼女はいないとしても、桃谷ももたにといい仲かもしれないし」


 それが現実だろう。

 私はそれほど夢見てない。

 どうあっても、大森おおもりさんとはうまくいかないだろうなあ、と頭では理解できている。

 腹は立つが、私よりも桃谷ももたにの方がまだお似合いだろう。

 大森おおもりさんは好きだけど、歳が違いすぎる。

 それに、


大森おおもりさんは私のことを母親みたいだと思ってくれているそうよ」


 そういうわけだ。

 母親みたく思われているのなら、天地がひっくり返ったとしても私との結婚は成立しないだろう。

 すると娘、


「母親……? そんなの社交辞令に決まっているわ! 本気にしちゃって、馬鹿じゃないの! 大森おおもりさん、大森おおもりさんって、もういい加減にして! 大森おおもりさんだってきっと迷惑だと思っているわ! いい歳して恥ずかしい!」


 いい歳しているからこそ、若い男の話をしたくなるものだ。

 それを娘は分かっていない。

 娘も年頃なので、時にきゃあきゃあとアイドルに黄色い声をあげることもあるが、所詮は未成年の子供だ。歴戦の猛者もさである私とは年季が違う。好きならば、一度は追っかけくらいするべきだ。

 娘はさらに言った。


「冗談は玄関に貼ってあるチラシ投函禁止のステッカーと、AV鑑賞だけにして!」


 私がAVを見ているのを、娘はとても気にしている。

 けど、


「大人だからいいでしょう」


 私はそう答える。大人だしいいじゃないか。

 しかし娘はそうは思わないらしい。


「大人だからってAVを1日に何時間も見ていていいってわけじゃないわよ」


 そう怒る娘に、すぐさま言い返す。


「ちゃんと毎日弁当作ってあげてるんだから、いいじゃない」


 すると娘、


「弁当って……、面倒くさがって冷凍ばっかの手抜きじゃん」


「それのどこが悪いのよ。皆だってきっとそうよ」


 生意気な娘にそう言い返してやると、


「それなら私が作った方が絶対美味しい」


 などとほざく。


「なら自分で作りなさいよ」


 私はそう言ってやった。


「……」


 むっとしかめる娘に対し、


「お母さんだって忙しいのよ」


 説いてやる。

 最近じゃあ炊事すいじ・洗濯・掃除のどれもが億劫おっくうだ。

 しかし娘はまだ反抗的で、


「どこが? チラシ配った後は、AV見てるだけじゃん。いい加減に飽きないの? ほとんど朝から晩まで見ていて」


 すごく不機嫌になってしまった。

 私がAVを見るのが、そんなに嫌なのか。


「AVを見ようと私の勝手でしょ」


 私が言うと、


「何よそれ……」


 うつむいてしまった娘が呟いた。


「身内の恥よ……。そんなんだから他のお姉ちゃんたちが会ってくれないの」


 そして娘は顔を両手でおおってしぼり出すように言った。


「少しは亡くなったお父さんのこと思い出してよお……」


 娘はいよいよ泣き出してしまった。涙声で「この男好き」と毒づいてくる。

 今日も娘は口うるさい。

 反抗期だろうか? 迷惑だ。

娘による母親評:必要ならお弁当作ってくれたり、母親としてする事はしっかりやってくれるけれど、男好きがすぎるところがマイナス。お父さんを忘れてほしくない。

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