悪役令嬢が一体何者なのか知りたい王子と、謎の悪役令嬢Xの話
「アレクシア・バートレット公爵令嬢! 君との婚約を破棄させてもらう!」
僕――クリス第一王子は、卒業パーティの席でそう言った。
突然の宣言に固まる観客たち。
だが婚約破棄された当の本人――アレクシアは、ちょっと意外そうに眉を持ち上げただけで、特別な反応を示さない。
どうして、と狼狽えることも、
何故、と慟哭することもない。
それが特別予想外のことではないというように。
彼女は超然と落ち着いていて、静かだった。
彼女は美しい人だ。
豪奢な黒髪に、ふくよかな唇に引かれた真紅のルージュ。
出るところと引き締まるところを全く誤っていない肢体。
紅い瞳に、セクシーな泣きぼくろ。
優雅で、理知的で、妖艶で、そしてミステリアスな彼女。
彼女が妻となってくれる僕は過福者だ。
ついこの間まで、僕は真剣にそう思っていたのだ。
でも、それは間違いだった。
僕は拳を握りしめた。
僕は気づいてしまっていたのだ。
彼女はここにいてはいけない人なのだということを。
今まで見てきた彼女は本当の彼女ではないことを。
彼女は今ここで、全てを明らかにされる必要がある人なのだということを――。
ふう、と、アレクシアはため息をついた。
そして、赤い瞳で僕をまっすぐに見返してきた。
「殿下、貴方様のお気持ちは変わらないのですね?」
その言葉に、思わず僕は息を呑んだ。
アレクシアには思わず背筋がゾクリとするほどに蠱惑的な色香がある。
今まさに婚約破棄されているとは思えない落ち着き方で、アレクシアは訊ねた。
「ですが、一応理由をお聞きしてもいいかしら? 何故突然婚約の破棄を?」
「何故だと……!? しらばっくれるな!」
頑張れ、ここで呑まれたらすべてが終わりだ。
僕は己を奮い立たせた。
「僕は君の正体を知っているんだぞ! 君がひと月前、階段から――!」
僕はそこで言葉を飲み込み、そして言った。
「君がひと月前――階段から落ちたノエルを、空を飛んで助けただろう! 人間が空を飛べるわけあるか!」
◆
ざわっ、と、固唾を飲んで事態を見守っていた観客がざわついた。
え? どういうこと?
僕に集まった観客の視線はそう言っている。
アレクシアは、というと、僕の断罪もどこ吹く風で、優雅に肘を抱いたまま僕を見ていた。
さすがにまだ尻尾は出さないか。
僕は次なるカードを切った。
「言い逃れは出来ないぞ! ここに証人もいるんだ! ――ノエル、ここへ!」
僕が誘うと、ノエル・ハーパーがおずおずと進み出てきた。
彼女こそ、ひと月前に階段から足を滑らせた張本人だった。
ノエルは怯えたようにアレクシアを見た。
「アレクシア様――どうかこのことをお認めになって」
そう言いながら語り始めたノエルの声は震えていた。
「ひと月前――足を滑らせて階段から落ちたときです。私が階段から転げ落ちるなり、アレクシア様が亜音速の速さで空を飛んでやってきて、私を抱きかかえてくださいました。私が驚く間もなく――まるでピーターパンのように空を飛んだアレクシア様は、ふわふわと私を地面に降ろしてくださいました。私、嬉しかったけど、後からよくよく考えたら怖くて……」
ノエルのその先は、涙で言葉にならなかった。
その涙に、どよどよ……と観客同士が顔を見合わせた。
アレクシアは――というと、依然表情に変化はない。
僕は大声で問い質した。
「どうだアレクシア! これでも言い逃れするつもりか!」
「言い逃れ? 何をです?」
私はあくまでシラを切るぞ、という意志を含めながら、アレクシアはノエルを見た後、僕に視線を写した。
「まさか、殿下はその程度のことで私との婚約を破棄される、と?」
「その程度だと!? 君はピーターパンか! どこの世界に亜音速で空を飛んでくる公爵令嬢がいるというんだ! そもそも人は空を飛ばないだろう!」
「コウモリだってトンボだって空ぐらい飛びますわ――地を這うゴキブリだって、追い詰められれば時に空を飛ぶ。その事実をお忘れになって?」
ぐぬぬぬ……と僕は言葉に詰まった。
いや絶対おかしい。
今の一言は絶対に釈明にも弁明にもなっていない。
けれど――アレクシアの声と迫力が、そのおかしな理屈をおかしくないように感じさせてしまうのだった。
僕は次のカードを切った。
「君がそういうものであるという証拠は他にもあるぞ! スコット、ユリアン!」
僕がそう言うと、二人の令息が僕の隣に立った。
先に口を開いたのはスコットの方だった。
「僕は――アレクシアが目から怪光線を出すところを見ました!」
ざわっ、と、観客たちが揺れた。
アレクシアはあくまでクールに、その視線の集中砲火を無視している。
「あれは半年前、僕が庭で本を読んでいたときです。急に羽音がしたと思ったら巨大なスズメバチで……僕が慌てていると、アレクシアが駆け寄ってきて目からオレンジ色の怪光線を出してハチを撃墜してくれたんです。ハチはまっ黒焦げになってポトリと地面に落ちました。その時の、生き物の焼ける嫌な匂い、それが今も脳裏から離れないんです……」
どよどよ……と観客たちが顔を見合わせた。
スコットの目配せに、僕は大きく頷いて、アレクシアに向き直った。
「どうだアレクシア、これを聞いてもまだ言い逃れする気か! 人間の目から光線が出るところを僕は見たことがないぞ!」
「あら、ドラゴンだって火を吹いたり氷を吐いたりしますわよ? まさか殿下はその程度のことで私との婚約を破棄するおつもりですの?」
「その程度とはなんだ! だいたい人間が火を吹く時点で既におかしいんだ! ドラゴンと人間を同列に語るな! そもそも今は怪光線の話をしてるんだ! 話題をすり替えるな!」
「馬鹿馬鹿しい。そんなもの、スコット様の見間違えではなくって?」
「見間違い、だと……!」
あくまでしらばっくれる気か。
よろしい、ならば更に追い詰めてやる。
僕はユリアンに目配せした。
得たりと頷いたユリアンが、一歩進み出て言った。
「私は――私が荷馬車の下敷きになっていた時、アレクシア君がそれをひょいと担ぎ上げて助けてくれました!」
ええええ、と観客からどよめきが漏れた。
アレクシアは……というと、やはり変化はない。
それがどうした? と、挑戦的な視線で僕を見つめてきていた。
今に見ていろ、と、僕はユリアンに続きを促した。
「あれは一年前――私は通学の途中に事故に巻き込まれ、私の足は大量の荷物を積んだ荷馬車の下敷きになりました。痛みで気を失いかけていた時……アレクシア君がやってきて、荷物ごと馬車をひょいっと軽々持ち上げて私を助けてくれました。その後、アレクシア君が手のひらを光らせて足をひと撫でしたら、たちどころに傷も治ってしまって……」
観客が驚愕の表情でアレクシアを見た。
一体何なんだ、この人は?
そんな疑念の視線にも、アレクシアはちょっと首を傾げただけだ。
「どうだアレクシア! まだ言い逃れするつもりか!」
「言い逃れ? まさか殿下はその程度のことで……」
「さっきから君の『その程度』はおかしいんだよ!」
僕はこめかみに青筋を立てながら言った。
「どこの世界に荷物ごと荷馬車を持ち上げられる公爵令嬢がいるんだ! 貴族は箸より重いものを持ち上げられないと相場が決まっているだろうが! しかもその細腕! 君のそれでどうやったら馬車を持ち上げられると言うんだ!」
「あら、ただただちょっと力が強かったかもしれませんし。それに、もしかしてその荷馬車の中身が真綿で凄く軽かっただけかも知れませんわ」
「あ、いや、荷馬車の中身は穀物で、めちゃくちゃ重くて……」
「ほら、ユリアンはこう言ってるぞ! しかもついでにシレッと足の傷まで治してるし! お前の手はゴッドハンドか! どうなんだ!」
「ふん、ちょっと私の力が強かったぐらいで、ちょっと人の傷を癒やしたぐらいで、殿下は私との婚約を破棄されると、そう仰るんですの?」
なんだかちょっと怖くなってきた。
話が通じているのかいないのか。
そもそも断罪されるつもりがあるのか。
あまりに超然とシラを切り倒すアレクシアに、観客たちもどんどん圧倒されつつある。
だが、負けるもんか。
僕は奥歯を噛み締めた。
「では、とっておきの証拠を僕の口から語ってやろう……」
僕はアレクシアを見つめた。
「僕は二年前、君が奇妙な円盤から降りてきた奇妙な生物と密会しているところを見たんだ!」
観客の中から少なくない量の悲鳴が上がった。
アレクシアは――というと、流石にこれは予想外だったらしい。
一瞬だけ、彼女はおやというように目を瞠ったのだ。
だが、次の瞬間には、アレクシアは内心の動揺をすっと隠してしまったようだった。
僕は言った。
「あれは二年前、公爵家にいるアレクシアにお忍びで会いに行った時――突如東の空が輝いて、巨大なオレンジ色の光の玉がジグザグに空を飛んできた。とても不規則な動きだった……」
僕の語りに、会場は水を打ったように静まり返った。
「僕は直感的にその後を追いかけた。するとあろうことか、そのオレンジ色の光は公爵家の屋敷に降りていった。僕が物陰から観察すると、徐々に光は治まって――銀色の、鍋の蓋を上下に合わせたような円盤が現れた」
そう、僕は見てしまった。
見てしまったのだ。
決定的な証拠を。
アレクシアがただの人間ではないという、その事実を示す光景を。
「しばらくすると、中から奇妙な二足歩行の生物が数体現れた。毛髪が一本もない頭はとても大きく、アーモンド状の巨大な目は真っ黒で瞳が存在しなかった。肌が銀色に輝くそれはゆっくりと地面に降り立ち……そして、そこにアレクシアがやってきた」
ごくり、と、観客たちの喉が鳴る音が聞こえるようだった。
観客の視線が、一斉にアレクシアに集まった。
「アレクシアはその奇妙な生物と握手を交わした。僕は――それが夢ではないかと思った。アレクシアは実に親しそうにその生物たちと談笑していたが、使っている言葉が地上のどの言語とも異なっていた。それはとても奇妙な言語――いや、言語というよりは、規則的に発せられるノイズのようだった。それがアレクシアの口から発せられているとは信じられなかった……」
そう、あの耳を聾するような、脳に直接語りかけられているような、不快で不思議なノイズ音。
アレクシアは明らかに、あの奇妙な生物たちと完全に意思疎通をしていたのだった。
「しばらくすると、その奇妙な生物は再び円盤に乗り込んでいった。そして次の瞬間、辺りが強烈な光に包まれ――気がつくと僕は……遠い王都の宮殿に帰っていた」
アレクシアは無言だった。
僕は恐怖の視線とともにアレクシアを見た。
「アレクシア……君は、君は一体、何者なんだ?」
観客の視線が。
ノエルの視線が。
スコットの、ユリアンの視線が。
そして僕の視線が。
一斉にアレクシアを見た。
「僕は確信したんだ。彼らはこの世のものではない。そして、おそらく君もそうだ。――アレクシア、頼む。本当のことを言ってくれ」
それは断罪する王子の声ではなく、彼女の婚約者としての声であるつもりだった。
「婚約者として君に頼む。君の正体を教えてくれ。僕は――君の正体を知ることが出来なければ、君への想いは――真実の愛と呼べない、そう思うんだ」
そう、彼女が何者であっても。
空を飛ぼうが。
目から光線を出そうが。
異常な怪力であろうが。
親戚一同が奇妙な生物だろうが。
僕は――アレクシアを心の底から愛してしまっていた。
だから僕は婚約を破棄したい。
彼女の正体を知らずに彼女の側に立つなど。
惚れて惚れて惚れ抜いた彼女の全てを知らないまま、夫婦になる約束を取り交わすことなど――。
そんなことは、到底僕には耐えられなかった。
僕の懇願に、ふう、とアレクシアがため息をついた。
「そう――そこまで調べられていましたのね……」
どこか他人事のように言い、アレクシアは顔を上げた。
「殿下のお気持ちはわかりました。ですが生憎、皆様が私の正体を受け入れることはできないでしょう。私が何者であり、何をしにここへ来ているのか。それはあなた方……いえ、人類にはまだ早い事実ですわ」
「アレクシア……!」
「申し訳ございません、殿下。貴方がそこまで思いつめていたとも知らずに――私は全く貴方様の婚約者として失格ですわね……」
「アレクシア、頼む、僕は君のことを……!」
「わかっています、今聞きましたから……でも」
アレクシアは瞬時目を伏せてから、顔を上げた。
その顔にあったのは――実に幸せそうな微笑みだった。
「殿下にそこまで慕われていると知って……正直、ちょっと嬉しいですわね」
はっ――と、観客が息を呑んだ。
アレクシアの浮かべた表情の、その艶やかさに、ここに居並ぶ全員が魂を奪われてしまったようだった。
観客が蕩けている間に、アレクシアがドレスの裾から何かを取り出した。
レンズが真っ黒に燻されたメガネ、としか言いようのないもの。
それを手慣れた様子でかけたアレクシアは、同時に何か銀色の筒のようなものを取り出した。
そこの先端には、緑色に輝く何かが埋め込まれている。
「さぁ皆様、ここに注目してくださいませ!」
なんだ、アレクシアは今から何をやろうとしている?
その場にいた全員が、思わずアレクシアの手元を凝視した瞬間だった。
バシュッ! という鋭い音がして、そこから緑色の閃光が発した――。
◆
「今回の婚約破棄は、卒業パーティの余興として、私とクリス殿下が秘密裏に計画した即興劇です。当然ここで語られた内容は全てが冗談、根も葉もない事実無根の与太話です。どうか本気になさらないで――いいですわね?」
私――アレクシア・バートレットは、呆けたような顔のまま固まっている全員にそう説明した。
先程の光は記憶を消去する光――であるから、今の断罪劇の内容は、今この場にいる全員の頭から消え去ってしまっているだろう。
ふと――私はクリス王子を見た。
クリス王子も、端整に整った顔を極限まで弛緩させて私を見ている。
その顔を見て、私はもう一度、記憶抹消デバイスのダイヤルを調整した。
バシュッ! と音がして、再び緑色の光が辺りを包み込んだ。
「ええ……繰り返しになりますが、今回の婚約破棄は、卒業パーティの余興として、私とクリス殿下が秘密裏に計画した即興劇です。当然ここで語られた内容は全てが冗談、根も葉もない事実無根の与太話です。どうか本気になさらないで――それと」
私は余計なことを付け加えた。
「クリス王子は私、アレクシア・バートレット公爵令嬢を心から愛しておられます。もしこの中に殿下に片思い、ないし下劣な思いを抱いている令嬢令息がおられましたら、どうぞ潔くお諦めなさいませ。クリス王子は生涯アレクシア・バートレット以外の女性と恋仲になることはございませんし、その可能性もございません。……よろしいですか?」
まぁ――それは彼の本心であろうから、これぐらいの付け足しは問題ないだろう。
あーあ、と私はひとつ伸びをした。
まさか自分の正体を曲がりなりにも見破られるなんて。
そして、どちらかといえばシャイな彼の口から、まさかあんな情熱的な言葉が聞けるなんて。
私がこの惑星にやってきた時は、なんて愚かな生物なんだろうと思っていた。
いまだに馬に乗って走り回り、魔法とかいう科学以前の自然現象を使って。
同じ種族同士で傷つけ合い、争い、いがみ合い憎み合う、文明以前の下級生物。
彼らをそう侮っていた時期も、正直に言えばかなり長くあった。
だが、文明的にも知能的にも遥かに劣る彼らには、私たちにはないものがあった。
いがみ合い、憎み合うくせに、彼らは反対に他者を慈しみ、守ろうとする感情。
それはこの惑星では「真実の愛」と呼ばれる感情だった。
そしてその真実の愛のために、彼らは時に自分の身を犠牲にしてまで他者を庇護しようとする。
愛――それは私たちの種族には存在しない概念。
この惑星で数万年の時を過ごすうち、私はすっかりとその概念にほだされてしまっていたのだった。
「真実の愛、ね――」
私はそう呟きながら、階段を上がった。
いまだに呆けたままのクリス王子。
私はその背後に近づき、耳元に囁いた。
「その言葉が嘘でないことを願いますわ、私の旦那様――」
クスリと笑ってから、私はそっとその首元に口づけた。
◆
この惑星の住人たちは、とかく「真実の愛」とやらに振り回されている。
時にはそのために他者を傷つけ、なじり、憎み合いさえする。
まったく理解できない感情としか言いようがない。
だが、その「真実の愛」とやらを一度知ってしまった後は――。
――なかなかそこから抜け出せない。
はい、ここまでお読みいただいてありがとうございました。
「あの短編の後がこれ!?」とガッカリされる方もおられるでしょう。
でも私書きたかったんです。
こんなくだらないネタで書いてみたかったんです。
面白かった!
そう思っていただけましたらブックマーク、
下記のフォームより★★★★★で評価等よろしくお願い致します。
【VS】
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