vs”大人”と”男”2
少女の心情描写的なのが入ります。
「きっかけがなんだったのかは、私にはわかりません。最初は嫌な偶然だと思っていました」
今でもはっきりと覚えている。
4月27日。新しい学年、クラスになって1ヶ月も経たないうちに、私は突然日常から足を踏み外すことになった。
「図書室が閉じるまで勉強をして、帰ろうとしていた時でした。暗くなった教室で襲われたんです。混乱しましたし。ひたすらに怖かった。抵抗したけど、敵いませんでした」
はっきりと覚えている。
何度繰り返させられても、あの日の記憶を上塗りしてはくれない。
いや、それは仕方ないのかもな。ただただ積みあがっていくのだから。
「耐えて、でもそれで終わらなかった。男が翌日も同じ時間に来るように、と言ったんです。無視したかったけど……たくさん写真を撮られていることもわかっていました」
言うことを聞くしかなかった。
そんなことが何度も繰り返された。休日に、日中に呼び出されたこともあった。
けれど、恐ろしくて、混乱していた私だったけれど。時間を置けば冷静にもなってくる。
「私は今、お母さんと二人暮らしで、お母さんはちょっとだけ、その、心が弱いんです。だから心配をかけたくなかった。先生に相談しても、親に伝わることはわかってました」
けどそう、例えば警察なら?
もしかしたらなんとか、問題を解決できるかもしれない。
母に伝わるとしても、全て解決してからであれば少しは負担が減るんじゃないだろうか。
「私は警察に頼ろうとして……外で、襲われました」
よりによって交番のすぐ手前。口を塞がれた私は路地裏に連れ込まれた。
そこには男が沢山いた。いつもの男だけ
じゃなかった。
私は、大勢にずっと監視されていた。
「誰にも相談できませんでした。友達に頼っても巻き込むだけで意味が無い、親や先生にも心配をかけるだけ、警察は監視されている。有名な探偵事務所をネットで調べたことが、何故かバレていたこともありました。私が行動を起こすたびに、男の人が増えていきました」
もう怖い、なんてものじゃない。
気持ち悪い、耐えがたい痛みばかりの時間。だがそれ以上に、心が悲しみに捉われていく。
そしてそれが、いつの間にか既に、日常のような――
「もう駄目でした」
もう無理だった。
「限界だと思いました。でも、最後に何かしなければと思いました。この相談所のことは、通学路なので知っていました……けど、何もわからなかった。学校で全然話題にならないし、私から話を振ったりネットで調べることはできない。きっとどうにもならないけど……どうせどうにもできないのなら、と思いました。今日、家に帰るふりをして、ここに来ました」
ごめんなさい。
「ごめんなさい。こんなに綺麗な人たちがいるなんて……きっと、目を付けられてしまった。今ではもう、私を襲う人がどれだけいるのかもよくわからないんです。どんどん増えて……皆さんも襲われてしまうかもしれないのに、私は、なんてことを」
「千秋さん」
頭にそっと乗せられた手に言葉が止まる。温かい……人との触れ合いに安心したのは、いつ以来だったろう。
芙蓉さんが、優しく撫でてくれた。
「もう一度。気にしないで、いいです。私たちは『相談所』。貴女が、こうして相談してくれたことをとても嬉しく思っています。迷惑なんかじゃありませんよ」
「そうだな」
所長さんも頷いて声をかけてくれる。
「ネットでも街でも話題になってる様子が無くてなあ。どうしたもんかと思ってたんだが……だからこそ、マークを受けてなかったってわけか。とはいえ、よく分かんないとこに賭けるのは恐ろしかったろうに、よく勇気を出したな」
偉いぞ、と話す様子を見ながら、男の人なのに私は恐ろしいと殆ど感じていないことに気づく。なんでだろうと考え……そうか。所長さんは私をじっと見ないようにしてくれているんだ。距離を取り、こっちを向きながらも視線を外して、少しでも感じる恐怖を少なくしようとしてくれているんだろう。
そう考えてもう一つ気付く。私は今、随分と冷静に物事を考えている。ここに来るまではそうじゃなかった。絶望感と諦観、それとは逆に何かをしなければという焦り。まともな思考をしていなかったのだと、今になって思う。そう、まともな思考をしていたならば、きっと……そもそもここに来ることもなかったろうに。
恐怖に捉われた私をこんなにも安心させてくれる。絶望に染まった私に光を見せてくれる、この人たちを巻き込まずにすんだろうに。
何故か、涙が出てきた。
「君は何も間違っていないよ」
所長さんが、そう口にした。
「ここに来たのは間違いなんかじゃない。もっと早く来ていれば、なんてのもウチの営業努力不足だしな、君が悪いことは何一つ無い」
「唯一の正解、と言ってもいいわ。私たち、結構やり手なのよ?」
見えないでしょうけど、と茉莉さんが笑う。私はまだ泣いている……けれど何故か、少し信じたくなるような言葉。それは……自信。
ここにいる人たちはみんな私を心配してくれていて、そして、それだけだ。誰ひとり不安な様子が無い。
「思い返すのも嫌だろうが、もう少しだけ詳しい話を聞かせてくれ」
頷いた。確かに嫌だが、もう今更だ。思い返すのは毎日のこと。既に私は捉われている。
この人たちをもう巻き込んでしまったのだ、今更何を言っても取り消せない。どうにもならないと思っていたのだ、今更どうなっても変わらない。私は少しでもこの人たちの言うことを聞こう。ほんの一瞬、安らぎを思い出させてくれた人たちに応えよう。それが少しでも、贖罪になってくれないだろうかと思う。
私のそんな卑屈な考えを笑い飛ばすように、所長さんは強く言った。
「俺たちに任せろ」