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Nostalgic muse

楽器と傷

作者: 春成 源貴

 麗らかな春の一日も終わりに近づき、外は大きくなった月からふわりふわりと舞い落ちる柔らかな光に包まれる時間になった。

 僕はいつものように休日の最後にテレビを付けて、クラッシック音楽の番組にチャンネルを合わせる。ちょうど番組はインタビューの場面で、目当ての音楽はまだ始まっていなかった。小さな画面の中では、男性の司会者がトランペット奏者に話を聞いている。

 どうやらその女性奏者が楽器を始めたきっかけを聞いているようだった。

「吹奏楽部だったんですよ……」

 画面の中の彼女はそう言ってからはにかむ。

 そのまま話は続き、司会者が画面の奥を指さすと、台車に綺麗に並べられた楽器が運ばれてきた。

 どうやら彼女が今まで使ってきた楽器らしい。

 五本あるうちのほとんどが、海外のブランドの楽器で、一本だけ日本のブランドの楽器が混ざっていた。それぞれの楽器の思い出を語り始めた奏者は、最後にその日本製の楽器を取り上げると、嬉しそうに語り始めた。

「これは私が学生時代にお世話になった楽器なんですよ。いつも私を支えてくれてたんです。私の原点ですね。この楽器のおかげで音楽の楽しさに目覚めました」

 そう言って、楽器を構えて音を出す。

 それはいつも聞く彼女の音とは少しだけ違う音色だった。柔らかい音色が売りの彼女だったが、わずかに音が硬い。けれども、彼女は少しメッキの剥げた楽器を、愛おしそうに優しく撫でた。

 それから少ししてインタビューは終わり、僕が目当てにしていた音楽が始まった。

 ロシアの民謡とフランス国歌を使った大曲だった。

 だが、どうも集中できない。

 分かっている。やっぱり僕は気に掛かっているのだ。

 僕はため息をついた。

 それから、立ち上がるとテレビに背を向けて、引越以来しばらくの間、締め切っていた押し入れを開けた。雑然と本や雑貨が積み重なった一番上に、棚に収められてきちんと置かれた黒いケースを見つける。

 僕はゆっくりと慎重にそのケースを降ろし、ソファの上に置いた。

 背後では弦楽器が豊かな音色でロシアの民謡を歌い上げている。

 僕は深呼吸をしてからケースの留め金を外す。蓋を開けると中には銀色に美しく輝くトランペットが収まっていた。うっすらと「8」という数字の刻印が見える。

 先ほど番組の中で、彼女が手にしていた思い出の楽器とまったく同じ型の楽器だった。

 けれども、こちらの楽器は美しい。この蓋を開けたのは何年ぶりだろうか。

 僕も学生時代に吹奏楽部でトランペットを吹いていたのだ。卒業してからも何度か吹く機会はあったが長続きはしなかった。だから、ここしばらくは吹いていない。

 楽器は綺麗に磨かれて、内部もオイルや水気を拭き取られた長期保存用の状態になっている。

 僕は思いを馳せてそっと楽器を撫でる。彼女がそうしていたように。


 卒業前の最後の部活の合奏前。僕がいつものように楽器を構えてチューニングをしていると、隣に座っていた同級生の女の子が僕を肘で突いてきた。

「なに?」

「ねえ、前からお願いがあったんだけど」

 彼女は小声でそう言うと、自分の楽器と僕の握る楽器を指さした。

「その楽器吹かせてもらえない?」

「?……いや、いいけど、同じやつだぜ、それと」

「同じだからよ。買ったのも同時期ぐらいでしょ?」

「ああ。確かそうだね」

「どれだけ違うか試したいのよ。癖がつくっていうじゃない」

「なるほどな」

 僕は少し思案してから、自分の楽器からマウスピースを抜いて本体の方を渡した。

「ありがとう」

 彼女は心底嬉しそうに言うと、笑みをこぼしてから自分の楽器からマウスピースを抜く。そして、僕に自分の楽器本体を押しつけてから、僕が差し出した方の楽器をそっと握った。

「私の楽器も吹いていいわよ」

 それからひと呼吸すると、高らかに謳うように伸びのある音を飛ばした。いつもより少しだけ硬く、けれども明るく遠くへ響き渡るような音だった。それからいくつかのフレーズを吹き鳴らす。

 いつも横で聞いている音とは、少しだけ趣の違う音に聞こえる。

 僕も息を大きく吸い込んでから、楽器を鳴らしてみる。あえて、彼女の音とは正反対のような、少し柔らかなふんわりとした旋律を歌ってみる。

 いつもと違う音がする。

 僕らは一瞬目を合わせると、そのまま楽しくなって気ままに吹き続けた。

 コンクールで演奏した曲の一節や、練習曲からポップスまでも、なんでも吹いた。

 やがて、先生が教室に入ってきて合奏が始まったが、僕らは楽器を交換したまま合奏に臨む。いつもと微妙に違う二人の音色に、指揮をする先生は一瞬なにか言いたそうだったが、一度首を傾げただけだった。そして、笑顔をこちらに向けると、結局楽器の交換については何も言わず、そのまま合奏が続いた。

 最後に忙しそうな演奏者の休日を題材にした曲を演奏した。

 僕と彼女と後輩と、三人が全編でソロを吹く曲だ。

 彼女がトップを担当し、僕がセカンドに付ける。歯切れよくベルトーンを続け、三人の音色と旋律が混ざり合う音楽はただひたすら楽しかった。学生時代最後の合奏で、僕はいままで出せなかった音色で演奏をし、彼女もまた、いつもと違う音色で演奏を盛り立てる。

 盛り上がった音楽と時間は、しかし、すぐに終盤を迎え、最高音を響かせながら終わった。

 とにかく笑いそうになるのを堪えながら、彼女を見てみると、彼女も笑いを堪えているのが分かった。

「なんだか混ざり合って楽しかったわ」

 彼女はそう言った。

 それから、楽器の輪っかのようになった部分に手を通すと彼女は手を合わせて拝むようにして言った。

「ねえ、記念にさ、楽器交換しない?」


 今思えば、サッカーのユニフォーム交換みたいなものなのだろうか。いや、違うのだろう。

 僕はその時は一瞬戸惑ったが、結局彼女のそのお願いを聞くことにした。

 お互いの身体の一部を交換するような感じがして、気恥ずかしさもあったが、けれどもなんだか嬉しかったことを覚えている。

 僕は体質のせいか、握るところのメッキが剥げやすかった。実際彼女の楽器に比べると、僕の楽器の方がぼろぼろに見えたので、何度か確認をしたが、別に構わないと言い切られてしまった。

 彼女とは卒業してから何回かだけOBバンドで一緒になったが、もう随分と長い間会っていない。

 ふと気が付くと、曲はクライマックスを迎えていた。

 ホールの屋外に設置されていた大砲の空砲が打ち鳴らされ、先ほどの女性の奏者が高音のファンファーレ部分を吹き鳴らしていた。僕はその一音で、音楽に引き込まれてしまう。打ち鳴らされる打楽器の音にも負けず、高らかに鳴り響くトランペットに、他の楽器が追従し曲は終わった。

 会場は万雷の拍手に包まれる。

 僕はその奏者が少し羨ましくなった。と同時に、久しぶりにとても楽器を吹きたくなってしまった。といっても田舎の一軒家というわけでもなく、夜の遅い時間に大きい音を出すことはできない。僕は楽器を口に当てるとそっと息を入れてみた。

 久しぶりすぎて、まったく音が出ない。

 微かに唇の震える音が管の中を通り、ため息のような音が洩れただけだった。

 少し悔しくなる。そして、僕は心に決める。来週は山にでも登って人気のないところで思う存分楽器を鳴らそう。

 画面の中ではオーケストラの面々が、観客からの拍手を受けている。

 ちょうどあのトランペット奏者が映される。満面の笑みに、僕は嬉しさと寂しさを感じて、自分にびっくりする。けれどもすぐに納得した。そして、ひたすら懐かしさを覚えるのだった。

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