第8話 腕が再生してもおかしくない世の中
どこか母性を感じる暖かさの正体は至ってシンプル。
三条の右腕、もはや傷口と言うよりは断面と言った方が適切であろう箇所へと無造作に貼り付けられた粘土の塊からであった。
では、その粘土は一体どこから?
「ホント、変わった能力よね。あんたの魔魂って」
そうですか?と小首を傾げて答えたのは、落ち着きがなく甲高い声の少女。
彼女は両の手に魔力を込め発光させると、勢いよく胸の前でパンッッ!と叩き合わせた。
「私からしてみれば、あなたやマリンさんのみたいな能力がどうして術者に影響を与えないのか、ということの方がよっぽど自然の摂理に反している変わっただと思うのですよっと」
ぼとりと。
ゴム製のダンベルをフローリングの床に落としたかのような音と共に、少女の両掌の間から発光する粘土の塊が転げ落ちた。
甲高い声の少女はそれをぞんざいに捏ねることで人間の右腕──正確にはその肘より先の部分を作り上げる。
言わずもがな、まるで小学生が図画工作の授業で制作した義手かのような発光する粘土製の右腕は、三条の右肘より先に取り付けられた。
そして。
甲高い声の少女は先程までのビクビクとして落ち着きがない調子とは打って変わって、非常に落ち着き払った声音で魔術の詠唱を始める。
「我が司るものはあらゆる奔流をも封じ、受け止める神性の粘土なり。クヌムは粘土を捏ねて我らが人間のみならず他神をも創り上げた。原初の人類、アダムは粘土より創られし超常存在なり。よって我は我が神性なる粘土は人体を構成するに最も相応しい物質と定義する。対象者は三条悠斗。彼の者に元来の力を返還せよ。《神より賜りし埴土》!」
彼女の詠唱に合わせて、三条の肘より先に結合された粘土塊の発する光が微弱なものからより眩いものへとシフトされていく。
凹凸まみれの表面は谷に光の粒が入ることで滑らかなものになり、その色を黄緑がかった灰色から薄橙へと変化させる。
ところで、三条は到底知らない話ではあるのだが、現代の魔術戦闘はいかに素早く相手を仕留めるかを重視する風潮があるため、一言二言程度の詠唱を口ずさんでからか、あるいは詠唱を一切合切省略して自分が放つ魔法の名称のみを唱える方式が一般的である。
詠唱を破棄してでも高い威力・効果を発揮する魔魂の使用に関してはその風潮が特に顕著だ。
しかし本来、魔術を自由自在に扱う上で最も重要な要素の内の一つに"詠唱によるイメージ"があると言われている。
それ故に魔術をある程度極めた者たちは皆詠唱を重んじる傾向にあるのだ。
魔術の基礎を教える教育機関ではいかなる魔法の扱い方よりも先に詠唱の技術を教授するほどに。
また、中には詠唱が長ければ長いほど最高の魔法に近付くと大言壮語を述べる学者もいるほどに。
つまりは。
六節もの詠唱を完遂させた少女の放った魔魂にとって、一人の少年の吹き飛んだはずの腕を何事もなかったかのように元通りの形に復元することが造作もないことであっても何ら不思議ではない。
「うっ、ぐ……が……」
途切れるか途切れないかの瀬戸際にあった三条の意識を紡ぐ髪の毛よりも細い糸が太さを増していく。
失ったはずの右腕に感覚が戻った。
自分の思った通りに動く。
先程まで全身を稲妻のように迸っていた激痛が嘘であったみたいに感じられない。
少年が血のプールに沈んだ上半身を起こすと、自分の牢屋へと駆けつけた二人の姿が目に映る。
一人はアホ毛の目立つ栗色の髪をポニーテールにした小柄な少女。
この少女が三条の右腕を治したのであろう。
彼女の両手には三条の体から流れ出たものと思われる鉄錆臭い暗褐色の液体がこびり付いている。
もう一人はルビーのような赤髪を後頭部で纏めあげギブソンロールとした背の高い女性。
背中には大仰な大剣を背負っている。
「……あん、た……らは?」
血を失いすぎたせいか、頭がクラクラして頭痛が酷い。
「私らの名前を尋ねる前にそこの小さなグズに礼を言うのが先だろ? 理由はどうであれ馬鹿みたいに弾け飛んだあんたの右腕を微小の継ぎ目すら残さず治したのは事実なんだから」
「それはすまねぇ、ありがとな。……それにしてもすげぇな。まだ小さいのに無くなった物を復元するなんてそんな途轍もない魔法を使えるなんて」
「いえいえ、ユウトさんの右腕が吹き飛んだのは元はと言えばあなたの目の届く範囲に鍵を掛けっぱなしにしていた我々の過失でもあるのです。まあ、あなたが脱獄しようとか碌でもないことを考えなければよかった話ではあるのですが」
そこまで言うと甲高い声の少女はポケットから白いハンカチを取り出し、両の掌に着いた三条の血液を拭った。
純白が深紅に染まっていく。
「それと私は正真正銘、成人一歩手前の年齢なのです。なんならマリンさんよりも歳上なのです。……つまり私はユウトさん、あなたよりも歳上なのですよ?」
視線だけで思わず萎縮してしまう程の明確な威圧を孕むジト目を浮かべる少女、いや、女性。
彼女はどうやら普段は優しいが、一度怒らせて内側に潜む怪物を呼び起こしてしまうと取り返しのつかないことになるタイプに違いないようだ。
「っと、くだらない話で盛り上がっている所悪いんだけど、あんたら今すぐ支部長室に来るようにとのボスからのお達しよ」
口を挟んできたのは牢屋の入口にもたれ掛かるようにして立っていた赤毛ギブソンロールで高身長の女。
彼女は遠距離でも連絡が取り合えるように魔力を込めた魔結晶が埋め込まれたデバイスを片手に持っている。
ところで、彼女は今、"あんたら今すぐ支部長室に来るように"と言わなかったか?
現在牢屋の中にいるのは、彼女を除けば三条と甲高い声の女性のみ。
要するに、だ。
彼女が指す"あんたら"には必然的に三条も含まれるのだ。
「……は? 俺もなのか!?」
「いちいち騒いでんじゃないわようっさいわね。そもそもボスは私らに大した用なんてないのよ。逆に言えばあんたにしか用はないの。分かった? 分かったのならさっさと行くよ!」
「はわわ、待ってくださいなのではぶ!」
置いていかれないように小走りで赤毛の後を追った栗毛は、
急に歩を止めた赤毛の背中に勢い良く鼻をぶつけ頓狂な声を出した。
赤毛はぶつかられたことなど全く持って気にも留めないといった様子で振り返り、胸の高さにある栗色のアホ毛を弄びつつ三条へ忠告の矢を放つ。
「そうそう。言うのを忘れてたけど、あんたが何か不審な動きをしたら多少強引な手を使ってでも即刻無力化するからね。それと、もしもこいつに少しでも危害を加えようとしたら私は迷わずあんたの首を飛ばすからね」
「おっかねぇな……。第一、こちとら単純魔法はそもそも使えねぇし唯一使える魔魂もさっきのブレスレットのせいで使うのがちょっとしたトラウマになってんだよ! 一々脅さなくても無抵抗バカ正直に着いて行きますよっ」
若くして咎人となった男三条悠斗、自分の右腕を派手に破裂させたブレスレット──彼は魔力を感知することで作動するトラップのようなものと分析している──の存在だけでも怖いのに、加えて物理的に首を飛ばすぞと脅しの追い討ちを受けて正直泣きそうである。
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「そういや、どうしてあんたらは俺の名前や年齢を知ってんだ?」
牢屋が立ち並ぶ地下から地上階へと続く長い螺旋状の階段を登りつつ三条が素朴な疑問を口にした。
「どうしてと言われても……年齢はともかく名前は我々の業界では有名なのですよ?なんと言ったって灰色の無章なんて代物、過去の文献を漁ってみてもどこにも記載されてないほどの激レア品なのです。加えてエンブレム獲得から小一時間で魔法を行使して牢獄送りと来たもんなのですから噂になって当たり前なのです……まあ、私たちの場合あなたを監理する上で必要な情報として一通りの書類に目を通しているのですが」
栗毛の女性がそこまで言ったところで、足場が大きく揺れた。
三条達が今いる建物を外から眺めている人がいたのならその揺れが地震によるものではなく、建物だけがひとりでにガタガタと振動しているのが視認できたことだろう。
「はわわわ……っ!?」
一番後ろを歩いていた栗毛が揺れによって階段から足を踏み外し、その体重を後ろへと傾げる。
「危ないっ!」
それに気付いた三条が手を伸ばし両足が段差から浮く一歩手前の少女の腕を掴む。
しかしただでさえ揺れで足下がおぼつかない中、三条は自分よりも低所にある腕を前屈みになってでも掴んだのだ。
体幹を極限まで鍛え上げたアスリートでもない彼がバランスを崩して栗毛と同様に足を踏み外すのは自明の理。
(くそっ、片足で二人分の体重を支えるのは流石にキツい……!)
灼熱の塊が三条の頬を掠ったのはその時だった。
橙色のものとは比べ物にならないくらい莫大な熱量を孕む真っ青な炎。
極熱に晒された空気が急速に膨張し、クッションのように優しく後ろから栗毛の女性を押し返す。
結果的に二段下へ降りただけに留まった三条が後ろを、つまりは自分よりも上段に立つ赤髪の方を見ると、
「ったく、内部構造を組み替える時は施設内の全職員に事前通告しろってあれほど言ったのに……あの衒妻だけはホントにボスの言うこと以外は一切聞く耳を持たない畜生なんだから」
と愚痴を零しつつ、持ち主の髪に似た紅色の炎を纏い栗色の髪の女性の背丈程の大きさを持つ大剣を背中に背負った鞘へと納めたところであった。
「助かったよ、ありがとな」
「別に私は罪人、あんたを助けたわけじゃない。そのグズに借りっぱなしだった数多ある貸しの内の一つを返させてもらっただけだ」
「うふふふ、素直じゃない人なのですって熱い熱い!照れ隠しかどうか知らないけど私の近くに火の玉を浮かべるのを止めてほしいのですっ!」
そんな風にわちゃわちゃしている内に先頭を歩く赤髪が一つの踊り場で足を止めた。
壁には古びた鉄製の扉が取り付けてあり、その上には"支部長室"と書かれた錆び付いたプレートが埋め込まれてある。
「着いたわよ──いや、この場合は向こうから迎えに来たと言った方が適切かしら」