第3話 エスカと魔法
ニティフォック王国第五の都市エスカ。
内陸に位置するため東西交易で古くから栄えるこの都市は商人や旅人、冒険家が数多く行き交い、様々な商業が発展している。
街の中央には大きな塔状の建物があってそこから東西南北の四方向に商人が行き交うための大きな通りが走っており、それによって街が四つの区画──北東から反時計回りに第一地区、第二地区、第三地区、第四地区──に区切られている。
三条とマリンはその四つの地区の内、ミュルの死骸で形成された台地に最も近い第三地区に着いていた。
建物は基本的に一階建てのものと二階建てのものが多いが、ちらほらと三階建てのものも目に入る。
そのどれもが商いを行っているようで、建物の一階部分は開け放たれており、商品がずらりと陳列されている。
なかには、見せびらかすかのように道にまで商品の入った箱を出し並べているところもある。
時折建物の裏路地を見ると子供たちが遊びに興じる様子が視界に入るが、みすぼらしい服を着ている子が多いことが目立つ。
そんな街の中を三条は、小道の角を右へ左へと曲がって進んでいくマリンの背を追いかけていた。
どれほどたっただろうか、最初のうちは道を覚えるために脳内でマッピングを行っていたがあまりの右左折の多さに頭で処理しきれなくなった三条が、どうやって道を覚えようかと思い始めた頃だった。
マリンがある一軒の建物の前で立ち止まった。
その建物の入口の横には看板が立ててあり、そこには堂々とした黒い文字で《旅の宿・トルマリネ》と書かれている。
「旅の宿……?」
「うん。ユウトがこれからどうしたいのかは分からないけど、いずれにしろ拠点となる場所は必要だからね」
そう言うとマリンは木製の扉を押して宿の中へ入っていった。
三条は見知らぬ場所に入ることに対する多少の抵抗感を覚えつつも、マリンを待たせる訳にもいかないので、彼女の後にそそくさと続いた。
扉をくぐるとすぐ左手に受付用らしきカウンターがあり、ロビーはかなり広々とした印象で、モダンな雰囲気を醸し出している。
「お~い、おばさんいる~?」
マリンはカウンターの上に軽く身を乗り出し、奥の部屋にいると思われる店主を呼んでいた。
「どうしたんだいお客さん。……ってマリンのお嬢ちゃんじゃないの! 久しぶりだねっ!」
奥の部屋から暖簾を掻き分けて出てきた店主はマリンの姿を見ると非常に驚いた様子を見せ、カウンターから出てきた。
でかい。
それが三条が彼女を初めて見た時の感想であった。
身長は軽く百八十センチメートルを超えており、肩幅はマリンの二倍近くもある。
シルエットだけ見せられたら、熊と間違えても何の不思議もない。
「今日は何のようなんだい? あと、その坊やは見ない顔だけどマリンの連れかい?」
熊のような店主は三条のことを上から下まで舐めるように見ると、マリンにそう尋ねた。
「彼はちょっと前に台地で出会ったユウト。それで、今日は一部屋借りたいんだけど、いい?」
「そうかいそうかい。部屋は二階の一番奥の部屋が空いてるからそこを使いな」
「ありがと!」
店主はその太い腕を伸ばし、カウンター越しに一室の鍵を取ってマリンに放り投げた後、ドシドシと三条に近づいてきた。
「あたしゃアンナだ。あと、マリンのお嬢ちゃんに迷惑をかけるんじゃないんだよ坊や」
いくら相手が自分の名前を知っていようとも、相手にだけ名乗らせておいて自分からは名乗らないのは些かおかしいと三条は思い、
「三条悠斗です。今日はお世話になります」
そう言って彼が握手のために手をだすと、なぜかアンナは一瞬怪訝そうな表情を浮かべてからその手を握り、口を開いた。
「おい、嬢ちゃん、この坊やに色々としっかり教えてやんなよ! まったく、今どき変わった奴もいるもんだねぇ」
いきなりで何のことを言われているのか全く分かっていない三条がマリンの方をちらと見ると、彼女はやってしまったと言わんばかりの顔をしている。
「分かったわ、おばさん。任せてちょうだい」
マリンは手を額に当ててアンナにそう返した。
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二階の一番奥の部屋の鍵を開け、中に入ったマリンは腰に携えたレイピアをソファーに放り投げ、部屋のおおよそ三分の一を占めるベッドの上に腰掛けた。
彼女の後に続いてその部屋へと入った三条は、部屋の隅に備え付けてあった椅子に腰掛けることにした。
「台地で会った時に言わなかった私が悪いんだけど、このニティフォック王国の領土内では基本的に自分の名字を名乗ってはいけないの。もちろん、公的な場面では名乗ってもいいんだけど、私的な場面で名字を名乗るのは国のマナーに反するわ。だからほとんどの人は偽名を使うようにしているのよ」
「だからさっきアンナさんはあんなにもおかしな物を見るような目で俺のことを見てたのか……でも、どうして名乗っちゃならないんだ?」
「ニティフォック王国は元々いろんな身分や民族、宗教が入り乱れた国だったらしいのよ。それでね、国家が成立してから二百数十年は差別とか身分特権とかが酷かったんだって。そりゃあもう目も当てられないくらいにね」
三条の問いに対して、ベッドの上に上半身を沈ませ仰向けになったマリンは天井を見つめてそう答えた。
「……それでその差別やら特権やらを無くすために名字を名乗らないようになった、と」
「そゆこと。……まあ、それでも一部の地域では未だにその名残があるんだけどね」
「てことは、マリンやアンナさんも偽名だったりするのか?」
「うん、おばさんの本名はさすがに分からないけど、私の公的な名前は真鈴よ」
「覚えておくよ」
「覚えていても何の得も使い道もないと思うけどね」
そう言うとマリンは上半身を起こし大きな伸びをした後、微笑を浮かべて三条の目を見つめ、口を開いた。
「それじゃあ本題、魔法──私がミュルと戦った時に使った力の説明に入るわ」
「……魔法?」
「そうよ。全ての人間は例外なく、心臓の辺りに導魔器官と呼ばれる臓器を持っているの。その導魔器官では常に魔素──魔法の素となる物質が生成されていて、それを行使することで引き起される力が、魔法ってわけ」
「なるほど、難しい話だな」
「あはは、正直ここら辺はフィーリングよね」
「ところで、その魔法とやらは誰でも使えるようなものなのか?」
「基本属性を少々組み合わせた程度の魔法なら努力次第で誰でも使えるよ」
マリンはそう言うと、自身の人差し指を前に出し、
「ほら──照らせ、小火」
すると突然、彼女の指先が明るく光り、小さな火が灯った。
「こういう単純魔法は導魔器官の機能に左右されやすいから、出力できる力の最大値は個人差が大きいのよ」
だから単純魔法で災害レベルの出力を持つ人も世の中にはいるわけ。と最後に付け加えたマリンは息を吹きかけることで指先に灯った火を消した。
「それじゃあ、俺も努力次第ではあの氷の槍みたいな魔法も使えるようになるってことか」
そう言った三条に対して、マリンは首を横に振った。
「ううん、残念ながらそれは無理よ」
「...どうしてだ?」
「あれは単純魔法じゃなくて”魔魂”なのよ」
「魔魂?」
「一つの導魔器官に対して一つだけ飛び抜けて得意な魔法があるの。それが魔魂よ。……言わばユニークスキルってやつね」
「マリンの場合はそれが氷を操る能力ってわけか」
「正確には”冷気を操る”だけどね。」
そう言うと彼女は右手を頭上に掲げた。
「いったい何を……っ!?」
何をしているんだと。三条が彼女にそう尋ねようとした時、彼は異変に気づいた。
自分の吐いた息が白く染っていたのだ。
それだけではない。
ありとあらゆる身体の部位が鳥肌立っている。
よくよく見れば、窓の外側が結露していた。
つまりは。
三条とマリンが居るこの部屋の内側だけが急激に冷え込んでいたのだ。
「どう、便利でしょ? 私の魔魂──《雪の女王》は」
寒さにガタガタと震えている三条に対して寒そうな素振りを一切見せないマリンはそう言って挙げていた腕を下ろした。
途端、室温が元の常温へと戻っていく。
「マリンは寒く無さそうだったな」
「魔魂の術者は、基本的に自分の魔魂で害を受けないのよ」
「そうなのか」
「うん。……ってもうこんな時間か」
マリンが窓の外を見たのに釣られて三条も窓に目をやると、外は既に日が暮れており、街灯の明かりが点在している。
「じゃあ、私はこれからちょっとした野暮用があるから。……この部屋は自由に使ってもいいけど、くれぐれも物を壊したりしないようにね」
「へいへい、分かってるよ」
三条がそう返事すると、マリンは軽く頷き、それから自分のレイピアを腰に携えて部屋の外へと出ていった。
「魔法かぁ……」
部屋に取り残された三条は一人、今日あった出来事やマリンの話を反芻するのであった。