第26話 回転の女と話す本
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全身が熱い。
少し身体を動かしただけで痛みの奔流が全身を駆け巡る。
「……くそっ、もう切れやがったのか」
ディミトリ=アズナヴールを打ち倒した後マリンから貰った、体の機能を活性化させて痛覚を麻痺させるポーションの効果が切れたのだろう。
煙たく舞う砂埃を吸ってしまい、三条は思わず咳き込む。
気管に入った砂塵を放出するためにひとしきり咳をした後、彼は周囲をみまわした。
まず目前に転がっているのは、象ほどの大きさの岩塊。
シーラのゴーレムによって天井が崩れた際に落ちてきたものだ。
幸いにも壁に引っかかっていて倒れてくる様子は無いものの、もしも倒れてきてしまうと抵抗する余地も無く圧倒的質量で潰されるだろうと考えるとゾッとする。
次に、壁にもたれかかって胡座をかいている三条の膝を枕にして眠っているのはマリン。
彼女はファナシアが召喚した黒いミュルの強烈な前蹴りをまともに食らってしまい、それから意識を手放したままだ。
「マリンは守りきれたけど、ここからどうするべきか……だな」
三条の言葉通り、落ちてきた大小様々な瓦礫によってマリンの肌に付けられた傷は全くのゼロ。
それは良いのだが。
崩れ落ちた瓦礫のせいでろくに身動きが取れない。
地上に上がれそうな場所も見当たらない。
運良く助かった他の仲間に救助を求めようにも、それで大声を出して敵に見つかるのは避けられない。
──状況は絶望的。
いや、脚が潰されたりしなかっただけましか。
「ふとした拍子で更に崩れてきてもおかしくはないからな。取り敢えず移動しねぇと……ん? なんだこの匂い」
何かが焼き焦げた様な匂いがする──と思った直後。
天地をひっくり返すのではないかと思えるほどの爆音が鳴り響いた。
パラパラと亀裂の入った天井から石材の粉が落ちてくる。
轟音によって揺さぶられた頭に手を当てて、三条は顔を顰める。
「一体上で何が起きてるんだ……?」
恐らく今の音は、物が焼ける匂いからしてイレーネの仕業だろう。
つまり彼女は無事。
あくまで”今のところは”の話だが、少なくとも一人の仲間が無事であることを確認でき、少々の安堵を感じた三条の付近に、
「わわわわっ!」
天井を突き破って落ちてきた影が二つ。
片や黒髪ロングの清楚系ゴスロリ。
片や白髪ツインテールのブレザーオンワイシャツ。
二人に共通するのはガーネットのように美しい赤を放つ双眸くらいのものか。
すなわち、影の正体はゲブラーの側近であるファナシアとノルン。
「あっつい熱い! あの人間の攻撃熱すぎるよっ!」
「同感ね。あんなの直撃したらひとたまりもないわ。……ところで、ゲブラー様は大丈夫かしら?」
「大丈夫でしょ、なんたってゲブラー様は最強だもん」
「そうね、杞憂だったわ」
自分達が落ちてきた穴を見上げ、主の心配をしている二人が三条に気づいている様子は無い。
実力の計り知れない二人と戦闘になることだけはどうしても避けたい三条は、意識の糸が切れたままのマリンを抱き上げて近くの大きな瓦礫の陰に隠れる。
「ファナ~、そろそろゲブラー様のところに戻ろう?」
「ええそうね」
ファナシアとノルンが地上に戻ろうと移動を始める。
三条は二人の動きに合わせて、常に自分の身が死角に入るように位置を変えようとするが。
彼は、自分が激痛を伴う全身の傷や、荷物にしかならない眠り姫と化したマリンといった大きなディスアドバンテージを抱えていることを失念していたのだ。
透明人間に膝カックンでもされたかのように、突然膝から力が抜けて折れ曲がった。
何とかギリギリのところで足を前に踏み出して転倒は回避したが、代わりと言わんばかしに踏み出した足の爪先に小石が直撃する。
静寂が占拠する空間に、コンカラと乾いた音が反響する。
そして、彼女たちがその音を聞き逃すわけもなく。
「そこに誰かいるの?」
「いるの? じゃないでしょ……。ネズミか、人間か。どちらにせよ駆除するに越したことはないわね」
気づかれた。
三条の全身穴という穴から嫌な汗が吹き出る。
(くそっ、マリンを庇いながらあいつらを撒けるか!?)
近くに落ちていた小石を拾って二人の方に投げながら、三条は走り出す。
「私は防御に回るからノルンが仕留めて頂戴」
「え? 私も戦っていいの?」
「良くなかったら言ってないわ。ゲブラー様には後で私から許可を貰うから好きに暴れなさい」
「やったー!!」
ノルンが、三条が投げつけた小石の一つをキャッチし、掌の上に置いたそれを逆の手の人差し指で弾く。
「がっっ!?」
三条の脇腹に鋭い痛みが走り、鮮血が流れ出る。
弾丸のように弾き出された小石が自分の腹を貫通したのだと彼が気付いたのは、今なお猛回転し続ける血塗れの小石が石材でできた壁を抉り取ろうとしているのを、その目に捉えたからであった。
「次、行っくよ~!」
今度は進行方向上に石が投げ込まれる。
目の前で数回バウンドしたそれは、あまりにも突然に回転を始めた。
地を抉らんばかりの猛烈なバックスピンを帯びた小石が三条の眼前に迫る。
「くそっ、あの女の能力は回転か!?」
三条は咄嗟に体を倒して躱すことに成功したが、反応があとほんの僅かでも遅れていたら右眼を持っていかれていたと思うと、心臓が早鐘を打つのを抑えられない。
「ノルン、もっと上手な魔魂の使い方はないの? あなたがあからさまな攻撃をしたせいで、あの人間に能力を感付かれたわよ」
「私の場合ネタがバレても防ぎようがないから別にいいもんっ」
「そういう問題じゃないのだけど……」
「それに、遠距離は私の得意分野じゃないしね」
能力を一切隠そうとしないノルンを、半ば呆れた感じの醸し出されたジト目で見るファナシアは、「ならさっさとその”得意分野”で攻めなさいよ」と言って目を閉じる。
「はぁ~い。……もっと遊びたかったのになぁ!」
ノルンが三条の方へと勢いよく駆け出した。
彼女が走りながらにしてその手で触れた物体が、一つ残らず回転運動を始める。
逆回転や順回転、乱回転など回転の仕方は様々だが、どれも当たればひとたまりもないのは自明だ。
「あなたも一緒に回らせてあげる!」
あっという間に追いついたノルンの手が三条に迫る。
身を捻っても避けられない。──そう感じた三条は、横合いから彼女の腕を弾き、手の着弾地点を逸らした。
ノルンの指先が触れた背後の壁に、螺旋状の亀裂が入る。
結果的に死を免れた三条は、転がるようにして脇にある細い通路へと入り、すぐ近くにあった部屋の中へと滑り込んだ。
書斎か資料庫なのだろうか、部屋の中には大量の本や紙束が適当に積み上げられている。
「腕に触れても効果が無かったってことは、あのノルンとか言う女の能力は掌から指先にかけて触れた物にしか効果を成さない……と言ったところか」
壁を背もたれにして座り込んだ三条は、肩で息をしながら考える。
手にさえ警戒しておけば大丈夫と言えども、少し触れられただけでゲームオーバー確定。
なるほど彼女がファナシアに言った通り、タネが分かったところでどうしようもない能力だ。
「どうしようもねぇな、これ」
三条が溜め息混じりにそう呟いた丁度その時。
ギュルンッと。
部屋の入り口に備え付けられた木製の扉が粉々になりながら回転する。
「もう来やがったか……」
「逃げないでこんな所にいたんだ。あなたって意外と賢いんだね……逃げても無駄ってことが分かっているなんて」
「意外と、は余計だクソアマ」
「はぁ~? あなた余っ程死にたい様ね。……ならお望み通り私が殺してあげるわ、感謝しなさい!」
ノルンが三条に接近する。
そして、彼女の手が自分の身体に触れるか否かの距離まで近付いたのを見計らって、三条もノルンの身体へと手を差し出す。
「くそっ! 貫入せよ、不可防の──ッッ!」
声にならない悲鳴が上がった。
既に使用回数の制限を超えた十六回目の能力使用は、失敗に終わったのだ。
杭が手中に転送されることはなく、代わりに荒れ狂う痛みの波が三条の右腕を襲う。
「何それ? 何か起死回生の一手が来ると思って身構えた私が馬鹿みたいじゃない!」
三条の魔魂を警戒して一歩後ろに退いたノルンが、ブラフに引っかけられたと勘違いして怒りを露わにする。
そんな時。
『神性を持つ魔力を感知しました。製作者のオーダーに従い、当該魔力パターンを我が主として登録します。──完了。続いて主の魔力組成について分析を開始します。──完了。続いて主の魔魂の詳細を解析します。────完了』
プログラミングされた人工音声のように無機質な声音が埃まみれの空間に反響した。
視線を落とすと、地に着いた左手の指先に何かが触れている。
一見するとただの古びた書物。
だが、禍々しくも妖しい光をその奥から放つ代物だ。
「何それ、魔導書? いや、そんな物がこんなとこにあるわけないか。……まあいいや、今度こそ死ね、人間!」
音声を発する本を無視して。
回転エネルギーを操るノルンの手が三条へと迫る。
──が、
『主の危険を察知。主の無事を最優先事項として対抗処置を講じます。壮麗たれ──七色の垣根』
「なっ──」
三条が何か言葉を発するよりも早く。
「きゃぁぁっ!!」
古びた本を中心としてドーム状に展開された七色の障壁が、飛び掛ってきたノルンの身体を吹き飛ばした。
「一体何がどうなってるんだ?」
『勧告。危険因子の行動再開まで残り四十秒と予測。直ちにこの場を離れることを強く推奨します』
何が起きたのか分からず目を白黒させている三条に、喋る本は告げる。
堅苦しい言葉と無機質な人工音声で、つまりは「今すぐ逃げろ」と。
「逃げろって言われてもどうすればいいんだよ!?」
『ナビゲートを開始します。指示に従ってください』
「あ、ああ、分かった」
三条は先程から自分のことを救けてくれる謎の本を拾うと、再びお姫様抱っこしたマリンの腹の上に置いた。
命の危機が迫っている以上、なぜ本が喋れるだけでなく魔法まで使えるのかなど気にしている余裕はないのだ。
『地形把握──完了。部屋の隅、積み上げられた青色の本の裏にレバーがあります、起動してください』
三条は周囲を見回す。
本が言った通り、左手奥の隅に青色の本だけが不自然に積み上げられた箇所がある。
軋む体を無理やり動かしてそこへ向かうと、これまた喋る本が言った通りに埃を被ったレバーが壁のやや下の方に取り付けられてあった。
(……この本は何でここの設備を理解しているんだ?)
疑問に思いながらも、三条はレバーを下ろす。
重厚な音と共に地面が、壁が、振動する。
そして、気がつけば三条の目の前に上へと続く階段が現れていた。




