第25話 絶対的強者
身と剣に紫電を纏い雷神の如き様相を帯びたモンテカルロが地を蹴る。
狙いは当然、先程たったの一撃で十人以上の討伐隊員を串刺しにして見せたゴスロリ女、ファナシア。
「まずは黒髪の女、お前からだ!」
眩き閃光を撒き散らす剣に、そこはかとなくファナシアが不愉快の念を滲ませたかのように見えた。
だが、すぐに彼女は表情を冷徹さで塗り固めたようなものに変えて、再び指を鳴らす。
今回のフィンガースナップは止められないと、そう判断したモンテカルロは足下に意識を注ぎつつも身体に纏う電光の量を増やした。
電気の力をもって加速することで、黒い棘が身体に突き刺さる前に回避する算段だ。
「その技はもう喰らわんぞ!」
全身の筋肉に過度な電気信号を無理やり流すことで運動能力を爆発的に増長させたモンテカルロが、ファナシアに詰め寄ろうと大きく一歩を踏み出した。
ファナシアの人形のように整った顔に、雷光を帯びた剣先が迫る。
直撃すれば、対象の体内を超高電力の電撃が流れ内蔵や神経を焼き切る必殺の一撃が。
──にも関わらず。
ゴスロリファッションを纏った清楚という形容がよく似合う美しい女は、回避行動を取ろうとしない。
それだけに留まらず、あろうことか彼女はその爛々と妖しい光を放つ双眸を細めて微笑を浮かべた。
「次の攻撃は趣向を変える、と私がつい先刻申し上げた事をもうお忘れになったのですか?」
モンテカルロの背中に悪寒が走る。
確かに、ずっと注意を払っている足下から漆黒の棘が生えてくる気配はない。
女がスナップを鳴らしたのは確実であるのだが、それが単にモンテカルロの気を削ぐ為だけのブラフであった可能性は否めない。
しかしブラフであった場合、必殺の一撃が迫っている最中に笑っていることの説明がつかないのではないか?
(いや、こんな風に無駄な逡巡を誘って殺しきれなくするのが狙いか? ──いや、)
どちらにしろ、彼の取るべき行動は一つ。
──敵が動く前に切り伏せてしまえば良いのだ。
「まずは一人──轟け、雷霆斬!」
モンテカルロの剣がファナシアの首を捉える。
──いや、捉えたはずだった。
振り下ろした剣に手応えがないのだ。
「なにっ、剣がすり抜けただと!?」
困惑するモンテカルロに、切られたはずのファナシアは手を口に当ててクスクスと笑う。
そして揺らりと佇む彼女はその華奢な手で、ついさっき刃が通過した自身の首元を撫でた。
「ここは、この空間は私のテリトリーです。ここではあなたたちの攻撃の一切が私に届くことはありません。──それと、そろそろ頃合ね。出てきなさい、私の従順な下僕達よ」
突然、二つの殺気がモンテカルロの頬を刺す。
咄嗟に身を翻してファナシアから距離を取ると、直前まで彼が居た場所で水溜まりのような闇が地面で蠢いていた。
「なんだ……これは?」
数秒の時を挟んで、その闇から二体の黒い何かが這い出てくる。
筋骨隆々という言葉が似つかわしい逞しい筋肉と、二本の足でしっかりと地を掴んでの直立歩行。
色こそ違えど、シルエットだけ見ればミュル。
それもかつてエスカ第二地区の防衛戦で三条が奮闘し、マリンがトドメを刺した新種だ。
「なんであの女が新種を使役しているのよ!?」
イレーネが絶叫する。
どこから現れた?
なぜ黒い?
どうして人間を殺すことにしか興味を示さないはずのミュルが人間の命に従っている?
次々と疑問や不可解な点が浮かび上がるが、今はそれどころでは無い。
このままではモンテカルロが一人で三の敵を相手取らなければならなくなる。今は赤眼の三人組の内、ファナシアしか戦闘に参加する様子は見られないが、それでも形勢が相手に傾くことは避けられない。
「気になることがあってもそれは後、今はあいつらを倒すことだけに集中しなさい。モンテカルロがあの女と一騎打ちできるように道を開けるわよ!」
「分かったわシエル。まずは先手必勝──射抜け、氷結の楔!」
マリンの放った、白銀の矢と化したレイピアが黒い新種目掛けて一直線に突き進む。
「……嘘、だろ!?」
三条の口から驚愕の声が漏れる。
初見にして新種の頭をぶち抜いた過去を持つ鎧袖一触の一撃はしかし、黒い新種の前には効果を成さなかった。
頭部に直撃したはずの純白のレイピアが突き刺さることもなく、乾いた音を鳴らして地面に落ちる。
「この前の新種は余裕で貫通したのに……今回のは硬すぎるよっ!」
嘆くマリンに、ファナシアはお淑やかな笑い声をあげて、
「ふふふ、そこら辺の個体と私の下僕とを一緒にしないでくださいな。私特製のミュルがそのような貧弱極まりない攻撃で倒されると思っていたら大間違いですよ?」
黒いミュルの片方がたった一歩でマリンとの距離をゼロにする。
「くっっ!?」
強烈な前蹴りが腹に突き刺さり、地面にバウンドすること無くマリンが後ろに吹き飛ぶ。
勢いを殺すことすら出来ずに背中を壁に打ち付けた彼女は、脳震盪を起こしたのか、その場に倒れ込んだ。
「マリンッ!?」
助けに行こうと動いたイレーネの前にもう片方黒い体躯が立ち塞がる。
彼女は大きく振り抜かれた右の拳を大剣の腹で受け流して横に跳ぶことで回避しようとするが、新種は逆の手で大剣の剣先を掴んで、それを払うように放り投げた。
戦闘中に武器を手放す訳にもいかないと、柄を握った手を緩めなかったイレーネの身体が、拳を避けることも叶わず宙を舞う。
「イレちゃんを救けて、粘土の柔壁!」
シーラの甲高い声が響くと同時に、地面から植物のように生えてきた粘土で作られた壁がイレーネの身体を受け止める。
低反発なその壁は、そのまま彼女のことを包み込んで淡い輝きを放ち始めた。
「肩骨の脱臼と全身数カ所の骨折……。イレちゃん、直ぐに治してあげますから──彼の者のに元来の力を変換せよ《神より賜りし埴土》」
かつて拘束用の魔道具によって吹き飛んだ三条の右腕を再生して見せたシーラの魔魂が、彼女にとって唯一無二の同期の仲間を治療するためにその本領を発揮する。
パチパチパチ、と。
忽然と、窮屈この上ない地下空間に乾いた拍手が響き渡る。
余裕と感嘆、歓喜やその他様々な感情が入り交じった不気味な笑みを浮かべた音の主──ゲブラーが二人の側近を差し置いて、シーラが生み出した粘土の壁に近づく。
そして、その一部を千切り取ると。
「はははははっ、ついてるなぁ、今日の僕はついてるぞ!」
突然奇行をとり始めた自分たちの主の傍に、ファナシアとノルンは近づいて首を傾げる。
「ゲブラー様、どうかなされたのですか?」
「ゲブラー様ゲブラー様、この怪しく光るへんてこりんな粘土に何かあるのですか?」
まじまじと粘土の欠片を見つめるゲブラーは、二人の方を見ることなく、歓喜に歪めたその口を開けた。
「思わぬ収穫だよ二人とも。この人間は僕の同類だ!」
側近たる二人の美女の赤眼が見開かれる。
思わず厭らしいニヤケ顔を晒しそうになった二人は、既のとこで込み上げる喜びを押し止めて、
「これでようやく、あの忌々しい代理の塵芥を第七の王の御席から引きずり下ろすことが出来ますね」
「ゲブラー様の天下がすぐそこまで迫ってますね!
……ところで、どの人間が七番目の”王”の後継者候補なんですか?」
ノルンは、意気揚々と両手を大きく広げて己とその主の喜びを表現したかと思うと、不意に我に戻って再び首を傾げた。
それを聞いて「まったくあなただけは……」と溜め息を吐くファナシアと、「ははは、ノルンは相変わらずだね」と笑ってノルンの頭を撫でたゲブラー。
その二人が同時に「候補者は当然──」と、イレーネの入った粘土の塊へと視線を落とした丁度その時。
「イレちゃんに触れるなっ!!」
三人組がイレーネに何かしようと企んでいると悟ったシーラが咆えた。
彼女は自分の一番大切な人を傷つけようとしている三人への怒りをそのままぶつけるかのように、両の手のひらを地面に押し当てる。
「シーラここでそれは駄目よ、天井が──」
黒い新種のミュルをモンテカルロと共に相手取りながら、シーラの異変に気づいて声を張り上げたシエルの制止を、彼女は微量たりとも聞こうとはしない。
そして、怒りの力を魔力に変えて魔法を唱える。
「契約を承諾せよ、泥の胎児!」
地下空間全体が大きく振動し、内部を崩しながら床が盛り上がる。
盛り上がった床はあらゆる建材を取り込みながら肥大化し、やがて人型を形成し始めた。
「あんた達天井が崩れるわ、気をつけなさい!」
シエルの忠告通りに。
天井に到達してもなお成長が止まる気配のないゴーレムによってそのまま押し上げられた天井にヒビが入り、崩壊を始める。
「おいマリン、起きろ!」
三条が未だ気絶して地に横たわっているままのマリンの下に駆け寄り、目覚めさせようと身体を揺するが、全く持って起きる気配はない。
絶体絶命な状況下でも、大切な仲間であり一応命の恩人でもある彼女を見捨てることは出来ないと、そう考えた三条は、マリンの軽い体を抱えて天井を仰ぎ見る。
「くそっ、こいつを庇いながら瓦礫を躱せるか……?」
いや、躱せるか否かではなく躱すしかないのだと意を決した三条が、いわゆるお姫様抱っこでマリンを抱き上げて立ち上がった頃。
「これはちょっとヤバいかな?」
と言ったゲブラーの声をかき消して、爆音と共に天井が一気に崩れ落ちた。
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砂塵が舞って視界が不良の中、瓦礫を押し退けて地上へと顔を出したのはモンテカルロとシエル。
「──くそっ、一体何がどうなった?」
「分からないけど、取り敢えずあたしたちが助かったことは確かね。他のみんなも無事だといいんだけど……」
魔法を使って天井の崩落を避けながら見えた光景が確かなら、ファナシアと呼ばれていた女が召喚した二体の黒い新種のミュルは瓦礫に埋もれて身動きが取れなくたっていたはず。
しかし、赤目の三人組がどうなったかまでは見ていない。
生きて地上へと出てくるかもしれないのを考慮して辺りを見回していたシエルは、そこで一つの異変に気がついた。
「シーラの出したゴーレムが消えた……?」
泥の胎児は圧倒的スピードで成長をし、天井を突き破った。
そのはずなのに、周囲どこを見てもゴーレムの影はどこにもない。
シーラのゴーレムは彼女が解除するか、意識を失うまで半永久的に活動を続ける。
その事実を知っているからこそ、シエルは焦燥感に駆られていた。
(まさか……瓦礫に埋もれて!?)
ガラガラと、すぐ傍から音が聞こえてくる。
瓦礫を押し退けて出てきたのは、その紅い髪を砂埃で汚したイレーネ。
シーラの魔法のお陰で彼、女が新種の攻撃を食らって負った怪我はその一切が跡すら残っていない。
「ったく、私が治療されてる間に何があったのよ……」
そう呟く彼女の視界の端に、揺れる栗色のポニーテールが写る。
それがかつて自分が似合っていると言ってから今まで、他の髪型を見せることは無かった最愛の友、シーラの髪であることに気付くまでそう時間はかからなかった。
「あいつら……シーラをどうするつもり!?」
天井が崩れてから今に至るまでの間、一体彼女に何があったというのか。
地下空間と地上との境界を破壊した張本人であるシーラは、気を失って敵の元にあったのだ。
意識を手放してぐったりとしたシーラの身体を肩に担いだ無傷のゲブラーが、誰に言うでもなく呟く。
「魔魂に”神”の文言を冠する者にしか、十一ある王の席に就く資格は与えられない。……まさか久々に本気の殺し合いをしようと思って寄った場所で偶然にも資格を持つ者に会えるとはね」
「流石はゲブラー様。王の器に相応しい強運ですね」
彼の独り言に返事をしたのは、こちらもまた傷一つ付いていないファナシア。
「ゲブラー様もファナも簡単に回避できてズルいですぅぅ」
三人組の中で唯一被害が見受けられるノルンが不平を漏らす。
しかし何だかんだ言いつつも、傷を負ったのは彼女が身に纏う黒いブレザーとその下のワイシャツくらいなもので、ノルン本体にはかすり傷一つ付いていない。
「救けないと……」
「待ちなさいイレーネ」
シーラを敵の手から救い出そうと走り出すイレーネのことを、シエルは腕を水平に挙げて制止する。
「止めないで! あいつは、シーラは事あるごとに私を助けてくれた。だからあいつがピンチの時は私が救けると心に決めているのよ!」
「あなたが行っても何もできない、死ぬだけよ。あいつらは格が違いすぎるわ」
嘆願する彼女に対して、シエルは頑なに首を横に振る。
「あいつのことを救えるのなら死んでも構わないわ。だから行かせて頂戴」
「シエル君。彼女は命を賭してでも最愛の友を救おうと言うのだ、行かせてやろう」
モンテカルロが、挙げられたシエルの腕を下ろさせる。
「正気なの!?」と食いつくシエルに彼は「但し、」と付け加え、
「奴らの相手をするのは私だ。イレーネ君にはシーラ君の救出に専念して貰う」
そう言って再びその身に紫電を通わせた。
そして雷光が空気中を伝導するが如き勢いで、三人組の方へと詰め寄る。
「あれあれぇ~ゲブラー様ゲブラー様ぁ、何か眩しいのが向かって来てますけどどうします?」
「ゲブラー様、私が迎え撃ちましょうか?」
「駄目だ」
ゲブラーは、一歩前に出て指を鳴らそうとしたファナシアの肩を持って後ろへ下がるように指示する。
不思議そうに首を傾げて下がろうとしない彼女に、ゲブラーは微笑を浮かべたまま天を指差す。
──戦いの最中に亀裂が入ったのか、日が漏れてきていて眩しい天井を。
「もうここは君のテリトリーじゃない。それにファナシア、君は既に良くやってくれた。あの人間は僕が相手しよう」
そして、徐ろに二歩三歩と、向かってくるモンテカルロの方に歩を進めた彼は、
「一撃で決めさせてもらうぞ。迸れ──雷鳴の迅撃!」
「まったく、欠伸が出るような遅さだよ」
電磁力による加速によって音速を遥かに通り越した必殺の居合切りをいとも容易く、しかも素手で受け止めた。
自身における最速最強の一撃を羽虫でも掴むかのようにして止められたことに、驚愕の余り顔を歪めるモンテカルロ。
彼は身を捻ってゲブラーの懐に潜り込むと、握り拳を腹に押し当てて敵を体内から焼き切る技、金剛杵撃を撃ち込む。
しかし──
「最近の人間はこの程度の力しか持っていないのかい?」
ファナシアの時とは打って変わって確かな手応えがあったものの、ゲブラーにはダメージを負った様子がない。
圧倒的なまでの力の差を見せつけた彼は明確な呆れを浮かべてファナシアの方へと向き直る。
「弱者と殺り合っても何の楽しみもないな。ファナシア、僕の剣を」
「はい、ゲブラー様」
ファナシアがその手を地に翳すと、足下から一振りの剣が現れた。
金色に輝く柄と薔薇を思わせる赤黒い刃を持つその剣をゲブラーに手渡す。
「それじゃあ次は僕から行かせてもらうよ」
ゲブラーが、逆手で受け取った剣を手中で回して順手に持ち替え下から上に切り上げる。
咄嗟にバックステップを踏んでモンテカルロは攻撃を躱した──はずだった。
ドバァッッ!と。
彼の左脇から肩にかけて大きな切創が生じ、血が溢れ出る。
「なん……だと?」
ゲブラーの持つ奇妙な色合いの剣の間合いを見切って、確かにその外まで出たはず。
剣身が伸びた様子も無かった。
それにも関わらず切られたことを訝しんだ彼はやがて一つの仮定に至る。
「斬撃を操る……それがお前の魔魂か」
彼の仮定が正しければ、回避したはずの剣撃を食らったことにも納得がいく。
しかし、無情にもゲブラーはかぶりを振った。
「残念ながら君の推測は大ハズレだ。今の攻撃にはタネも仕掛けもない──ただの剣圧だよ」
そして──
「今の攻撃すら見切れないようだと君に勝ち目は無いわけだ。ここら辺で遊びは終わりにしようか」
ゲブラーが剣を上段に構える。
赤黒い剣身が陽の光を浴びて艶めかしい輝きを放つ。
モンテカルロは身の危険を感じて瞬時にその身に電光を纏い、今にも振り下ろされそうな剣から逃れるために地面を蹴った。
「さっきよりは速くなったけど、それでもまだまだだ」
次の瞬間、文字通り目にも留まらぬ速さで回避行動を取るモンテカルロにたった一歩の踏み込みで追いついたゲブラーが何の変哲もないただの袈裟斬りを放った。
噴水のように鮮血が舞う。
鈍い音と共に、両断されたモンテカルロが崩れ落ちる。
「モンテカルロッ!」
旧友の無残な姿にシエルが悲鳴をあげる。
逃げなければ。
あいつが手も足も出なかった相手に敵うわけがない。
頭ではそう分かってはいるのだが、脚が竦んでしまって動けない。
「シエルは他の皆を連れて逃げて!」
あまりの恐怖を前にして目元に大粒の涙を浮かべた少女は、イレーネの言葉を受けてやっとの事で我に返った。
自分には有事の際に他の討伐隊員を逃がすという責務が残っている。こんな事で泣き出すわけにはいかないのだ。
「イレーネ、あなたはどうするつもりなの!」
重症を負って待機している仲間を逃がすために彼らの下へと走り出そうとして、ふと立ち止まって問いかけるシエルに。
イレーネは清々しくも美しい微笑を浮かべ。
「これまで長い間色々と世話になったわ。──ありがとね支部長」
ゴウッッッッッ!!と。
二人の間を爆炎の障壁が隔つ。




