第20話 支部長の実力
二人がいる場所からでは轟音の正体は分からない。
それでも何か尋常ならざる事が起きているのは明らか。
名も知らない他の支部のメンバーならともかく、シエルやシーラ、イレーネといった五-三支部の仲間に危険が及んでいないかと、二人は不安を抱く。
「さっき倒したマッド野郎が敵軍の中で一番強い、って訳じゃ流石にないよな」
「そうね。ディミトリ=アズナヴールなんて名前初めて聞いたわ。少なくとも『ニオファイト』の幹部じゃないと思う」
十人、討伐隊の五分の一をたった一人で殺した実力者であるのにも関わらず、幹部ではない。
つまり、この戦場にはディミトリ以上の強者がいることになる。
この事実に多少の驚愕を覚えつつも、三条は天を仰いでそれから自身の身体へと視線を落とし。
「様子を見に行きたいのはやまやまなんだがこの体じゃなぁ。……なあマリン、今日は前みたいにポーションかなんか持ってきてないのか?」
ミュルの死骸で形成された台地で三条が彼女と初めて出会った時も、エスカの第二地区において新種のミュルと戦った時も、彼女は即効性のヒール・ポーションを携帯していた。
そんな彼女が、事前準備に十分すぎる時間を与えられておきながら今回は偶々忘れてしまったなんてことはないだろうと踏んでの質問だ。
「……マリン?」
あまりにも質問に対する回答が遅いことを訝しんだ三条がマリンの方を見ると、彼女は彼女でポーチに手を突っ込んだままどこに焦点を合わせているのか分からない目で虚空を見つめ、口をポッカリと開けて一人睨めっこを繰り広げていた。
「変顔なんかして一体どうしちまったんだこいつ。 お〜いマリンさーん」
「はっ!」
三条の呼び掛けに呼応するかのように我に帰ったマリンは一度辺りを見回した後、非常に言いづらそうに、目も合わせず、おずおずと口を開いた。
「えーと、あのね。もちろんいつもの特性ヒール・ポーションを持ってくるのを忘れてた、とかいうわけじゃないのよ? でもほら、出発の前日までパトロールとかで忙しかったし、それに買い出しやら馬車の調達やらの面倒ごとも多かったわけだし……。それで多少のミスがあるのは仕方のないことじゃない?」
結局何が言いたいのかよく分からない説明をひたすらに続ける彼女に思わずため息が出る。
「で、つまりは何が言いたいんだ?」
「一応、ポーションの類は持ってきてるのよ? 持ってきてはいるんだけど……」
「いるけど?」
「ごめんっ、回復用のじゃなくて活性化用のを持ってきちゃった!」
両手を額の前で勢いよく合わせて申し訳なさそうな顔をするマリン。
「やっぱお前に過度な期待はしちゃいけないんだな……」
「ひどい言いようだね。……活性化用のでももしかしたら何とかなるかもしれないよ?」
「と言うと?」
「ほら傷こそ治すことは出来ないけど、アドレナリンやらの分泌を促進させることで感じる痛みを和らげる、とか?」
半笑いでそう言う彼女からは確証の無さがありありと滲み出ている。
が、ほんの少しでも可能性があるのならそれに賭けてみることにした三条は、
「マリン、それくれ。気休めでも無いよりはマシだろ」
「はいはい。投げるからちゃんとキャッチしてね」
縦回転しながら宙を舞った小瓶をキャッチ。
蓋を開けて中に入ったドロドロの液体を口の中へと流し込む。
妙に甘ったるい匂いと独特なエグ味が口内に溢れ返る。
お世辞にも美味しいとは言えない液体を一気に飲み干した三条は、顔をしかめながらも、身体が熱を帯びて傷口から発せられる激痛が引いていくのを感じた。
「相変わらずマリンのポーションはゲロ不味いな」
「うぇぇ。本当ね」
三条のように蛍光色の液体を一気飲みしたマリンもまた、舌を出して苦虫を噛み潰したような顔を浮かべる。
「身体は……動くな。てか、マリンが作るポーションって味はともかく効能だけはマジですごいよな。」
「味も一応当たりの時はあるんだよ? ただユウトが外れしか引いてないだけで」
「そうかいそうかい」
手をひらひらと振って彼女の言葉を流す三条にマリンはムッとして。
「適当に流しちゃって。どうせ私が嘘ついてるとか思ってるんでしょ? 確かに美味しいのが作れるのは大体五十回に一回くらいだけど、出来た時は本当に美味しいんだからね」
「二パーセントってまぐれじゃねぇか」
そんな下らない話を続けていると、再び地響きを伴った爆音が聞こえてきた。
それも、一個前に聞こえてきたものよりも明らかに近くから。
「何だかヤバそうだな。そろそろ休憩も終いにして移動するか」
「そうね」
表情を一転、至って真面目な顔で。
二人は気を引き締めて立ち上がった。
ちょうどその時。
廃工場に立ち並ぶ機械群を軒並み跳ね除けて一人の男が二人の元へと飛んできた。
「かはっ」
その男がそのままの勢いでもって壁に背中を打ちつけ、めり込む。
「なんだ、もう終わりか? もっと手応えがありそうだと見込んでいたのだかな。所詮は第三級指名手配組織の幹部か」
ゆったりと。
男が飛んできた方向から姿を現したのは『瑠璃色の魂』六-二支部の支部長にして今作戦において総司令官を務めている壮士なる男、モンテカルロ。
彼が纏っている鎧には至る所に赤い斑点が付いているのに対して彼自身の肌には一切の傷が付いていないところを見るに、どうやら斑点の正体は全て敵の返り血のようだ。
至る所に死体が転がり血で床が赤く染まった空間を見て、それから額に風穴を開けて地に横たわっているディミトリのことを一瞥して、
「むっ、こんなにも大勢の仲間がやられてしまったのか。……すまない、皆。私がもっと速く他の敵を倒せていれば君たちの命を救えたのにと思うと胸が苦しいよ」
それから三条とマリンの方を見て。
「それと、よくやった二人とも。こいつは強敵だっただろう。なにせ幹部にこそ名を連ねていないものの、敵陣営の中では真打の一人としてもてはやされていた隠れた実力者だからな」
「幹部を無傷で倒しといてよく言うぜ……」
三条は圧倒的なまでの実力者を目の当たりにして、思わず微苦笑を浮かべることしかできない。
「しかしシエル君のところのユウト君よ。早計は時に己の身を滅ぼすことになるぞ」
モンテカルロが言い終わるのが先か。
先程まで壁にめり込んでいたはずである幹部の男が彼の死角から姿を現した。
手に握っているのはダガーナイフの様な短剣。
直撃するのが必至な凶刃が振り下ろされる。
「例えば、このようにだ」
しかし、敵の刀剣がモンテカルロの背に突き刺さることはなかった。
彼はダガーナイフが自身に到達する寸前で目にも留まらぬ速さで身を翻し、腰に下げた剣を引き抜く。
そしてそのまま、鞘の中を滑らせて十分に加速させた刀身でもって敵の上半身に逆袈裟斬りを叩きつけた。
確実に彼のことを討ち取ったと思い込んでいた幹部の男が、あまりの衝撃に目をむいたまま地に倒れる。
「完全に死角だったろ今の……。どうやったらあれにカウンターを打てるんだよ」
信じられない出来事に茫然として呻くように呟いた三条に、剣を軽く振って剣身に付着した血液を落としたモンテカルロは、いや何と前置いて、
「こいつがまだ死んでいなかったということが吹き飛ばした時の手応えで分かっていただけだ」
「でもそれだとあの反応速度でカウンターを当てたことの説明になってないぞ」
例え敵が絶命していないことが見て取れたとしてもだ。
いつその敵が再び襲ってくるのかやどこから攻撃してくるのかが分かる訳ではない。
ましてや死角からの一撃など外界からの情報のほとんどを視覚で集めている人類にとっては感知することすら至難の技である。
にも関わらず、モンテカルロは避けるどころかカウンターを当てて敵を切り捨てて見せた。
「こいつ、クルエル=リードワースが所有している魔魂の能力が”誰からも視認されていない場合に他人の死角へと瞬間移動でにる”というものであることが割れていた、ただそれだけだ。……おっと、新たな敵が来たようだぞ」
彼が顎で指し示した方へと視線を移すと、黒い外套で身を包んだ三人組がこちらへと向かって来ている。
「ふむ、中々手応えがありそうな奴らだな」
「ここに突入してから結構時間が経ったのにまだ生き延びてるってことは、雑魚ではなさそうだな」
「うむ、良い観察眼だ。あの三人は左から幹部が二人と首領の右腕だな」
ユウトとマリンが苦戦して辛うじて倒したディミトリよりも強い相手が三人も。
それに二人は薬のお陰で痛みこそ引いてはいるが、体力も魔力も枯渇寸前な満身創痍の状態。
これ以上一体どうしろというのだ。
「ユウト、もう一踏ん張りできそう?」
「できそうも何もできなきゃ殺されるだけだろこりゃ」
そう言って苦笑を浮かべながらも、向かってくる敵に立ち向かうためモンテカルロの横に並ぶ二人であったが。
未だ無傷の総司令官は腕を横に突き出して二人を制止した。
「君たち二人は後ろに下がって休憩していなさい。怪我は心配しなくてももうすぐやってくる私の班の仲間が治してくれるさ」
「でも敵は三人だぞ!?」
「大丈夫さ。あの程度の者が三人集まったところでとるに足らん相手だよ」
片手剣の柄を両手で持ち、頭上へと掲げるモンテカルロ。
明かりに照らされた銀色の刀身が眩い輝きを放つ。
そして腕の筋肉を隆起させた彼は勢いよくその剣を振り下ろした。
「先手必勝! 轟け、雷霆斬!」
彼の一振りの延長線上を、床のタイルを捲り上げながら雷撃が駆け抜ける。
マリンと三条が何度か耳にした地響きを伴う轟音と共に、雷撃を避けきれず直撃した幹部の一人が断末魔をあげる暇もなく消し墨と化す。
二三歩退いた所からその様子を見ていた三条とマリンは、あまりにも一瞬の内に三人いたはずの敵が二人になったことに開いた口が塞がらない。
まさに一騎当千。
これが支部長クラスの実力だ。
「死ね、モンテカルロ=サイアーズ!!」
墨となった仲間のことなど気にも留めていない様子のもう片方の幹部が大きく振りかぶった手斧でモンテカルロのことを斬り伏せようとするが、
「照らせ、小火」
明確な殺意と共に振り下ろされた凶器を前に少しも焦った様子を見せない彼は、あまりにもぞんざいに一つの単純魔法を唱えた。
最も詠唱が短く、それゆえに規模も小さい、ただ明かりを灯すためだけの魔法。
もちろん殺傷力は皆無に等しい。
だが、一つの支部の長を務める程の実力者である彼はそれすらも戦闘の中に組み込む。
「ぐぁあっ!?」
ポッと。
ハンドアックスを握る幹部の目に火が灯った。
指で摘めそうな程小さい火ではあるが、目を潰すには十分すぎる。
──先述の通り、人間が外界から得る情報の大部分は視界からのもの。そんな重要な器官を急に失うこととなった者がどうなるかなど言うまでもない。
その幹部は急に激痛と共に視界が奪われたことでパニックを起こし、握っていた手斧を落とす。
そうして敵が晒した隙を六-二支部の支部長は決して見逃さない。
敵の腹に握った拳を突きつけて、
「駆け巡れ、金剛杵撃」
ドクンッと、身体中を何か得体の知れない物の奔流が通り過ぎたかのように敵の身体が跳ねた。
そして幹部が全身の穴という穴から鮮血を垂れ流して崩れ落ちる。
モンテカルロの放った技の正体はありふれた表現で表すならば電気ショック。
しかし、一般的な電気ショック装置の電圧が千五百ボルト程度であるのに対して、彼の一撃は自然発生した雷をも凌駕する十億ボルト強。
この超高電圧を相手の体内で暴発させ、血管や内臓をぐちゃぐちゃに焼き切るのだ、まともに食らった敵が絶命しないことなどまず有り得ない。
「くそ、これが『雷電の先導者』モンテカルロ=サイアーズか!」
最後に一人残された『ニオファイト』のナンバーツーはそう吐き捨て、腰から変わった形の剣を抜いた。
一般にシャーテルと呼ばれるその剣は、相手のガードを交わしながらも薙ぎ払うように強烈な一撃を与えることを利点とした曲剣の一種。
「お前となら良い勝負ができると期待しても良いのか?」
「そんな事言ってられるのも今のうちだ。……吠え面をかかせて殺してやる。 地に臥せろ、不抗の睡魔!」
曲剣に禍々しくも不安定なオーラを纏わせたナンバーツーは、モンテカルロのことを切ろうと一歩踏み込む。
横から斜めからと空間を薙ぐような連撃はしかし、全てモンテカルロに当たる直前で彼の片手剣によって防がれた。
「君の魔魂の能力は確か、”一撃を与えた者を強制的に眠らせる”だったかな? その能力を活かすためにガードしにくい曲剣を手に取った訳か……良いチョイスだ。が、タイミングや距離感が通常の剣と異なることを念頭においておけば脅威にはならないな」
文字通り切っ先が身体に触れる直前、僅かな隙間に自身の剣を通して止める。
上、斜め、横、下、どの方向から襲っても結果は全て同じ。
「くそったれが!」
苛立った敵の、太腿の辺りを狙った雑な薙ぎ払いを跳んで躱したモンテカルロは、着地するや否や自身の剣に紫電を纏わせる。
「そろそろ終わりにしようか、青二才」
「くそっ、化け物が!」
「化け物でも怪物でも結構。いかんせん支部長の身分にもなると、魑魅魍魎の類と肩を並べられるくらいでないと部下を守ることができないものでな」
紫電を纏ったままの剣を一度鞘に納めるモンテカルロ。
しかしそれは決してナンバーツーを務める男を見逃すためでも、捕らえて有益な情報を吐かせるためでもない。
必殺の一撃で確実に殺しきるためだ。
「うぉぉぉぉぉお死ねぇぇ! 地に臥せろ、不抗の睡魔!!」
敵もそのことに気付いたのか、曲剣の本来の姿が見えなくなるほどのオーラを纏った全身全霊の一撃を放とうとする。
「良い一撃だが、遅い。迸れ、雷鳴の迅撃!」
しかし、その一撃がモンテカルロに届くよりも早く。
鞘の中での加速の上からさらに電磁力による加速を与え、音を置き去りにした居合切りが炸裂した。




