第19話 激戦に打ち勝つ
鮮やかな血しぶきが舞う。
三条が放った防御不可能の一撃はしかし、彼の狙いを大きく外してディミトリの左腕に突き刺さった。
「惜しかったねぇ。君はさっきの一撃で僕を殺すべきだったんじゃないのかい? 僕の推測通りならどうやら君の能力はごく至近距離でしか効力を持たないみたいだし」
「果たしてどうかな?」
ディミトリの言う通り、三条が使うことのできる唯一の攻撃技不可防の一矢は相手と触れ合えるほどの超至近距離でしか有効打にならない。
というのも、彼の魔魂《盗神の一手》は元来物体を自身の手中に転移させる能力である。
その際、転移された物質は転移先の座標を強制的に更新する──つまりは、移動先に他の物体が存在していた場合にはその物体の硬度を一切合切無視して貫通するようにして手中に収まろうとする。
この性質を利用して攻撃技に転化した一撃は、いかなるガードをも貫く最強の矛と言えよう。
一方でこの技には大きな欠点も存在している。
一つ、転移可能な物は三条自身の手で支えることができる物に限る。
剣や槍が辛うじて攻撃に利用できる範囲であり、鉄骨のように巨大な物はそもそも転移させることすらできない。
また、移動させる物の大きさや質量に応じて魔法の発動に必要な魔素の量も変化するため、剣など重量感のある物体を攻撃に利用するのはできて一日に一回。
そしてもう一つ、転移先の座標は三条の掌に、転移時のベクトルはその向いている方向に依存する。
これが意味することは魔法を発動しきる前に手の位置を変えられると不発に終わるということ。
現に先程、ディミトリは体勢を崩しながらも空いた手で三条の腕を弾くことによって的を心臓から左腕へと変更した。
「まあ、どちらにせよ君みたいな雑魚じゃあこの僕を殺すことはできないけどね! イヒヒヒッ」
血が溢れ出るのも気にせず。
まるで自分の身体には痛覚など存在しないと言うかのごとく。
ディミトリは狂気的な笑いを見せながら自身の左腕に突き刺さった金属製の杭を引き抜く。
そしてその杭の先端からポタポタと滴る鮮血を舐めとると、舌舐めずりを一つ挟んで。
「いいねぇ、それがいい……イヒッ♪ 邪魔者の血を先に頂いてそれからあのカワイイ女の子の血をデザートとして啜ろうか!」
「がっっ!?」
一飛びで三条との距離を詰めたディミトリの強烈な回し蹴りが三条の脇腹を捉えた。
メキメキッと。彼の肋骨が悲鳴を上げただけでなく、蹴られた場所がジワァと熱を浴びて血が滲み出る。
「どうやら僕の分析は図星だったみたいだねぇ」
回し蹴りに対して咄嗟に三条がカウンターとしてディミトリのふくらはぎに打ち込んだ杭を無造作に引っこ抜き、彼は嘲笑う。
(くそっ、もう折り返しか……ちょっとやばいな)
先程転移する物体に応じて必要とする魔素が異なると述べたが、もちろん魔素の量は無尽蔵ではない。
魔法を乱発すれば直ぐに体内の魔素が底をつき、魔法を行使することは疎か体のバランスを保って直立することすら困難となる。
三条がこの事を確認するためにセレナとの訓練の一環で彼が今使っている棒──長さ二十センチメートル程の合金でできた杭を用いた実験を行った際には、彼は十六回目の魔法を使おうとしてぶっ倒れた。
つまり、彼は一日に十五回しか防御無視の一撃を発動することができないのだ。
一方で彼がこの『ニオファイト』討伐作戦において消費した杭の数は八。
すなわち残り七回以内にディミトリを討たなければならない。
「……次は俺から行かしてもらうぞ、ディミトリ」
足に装備したタラリアの全力でもって一息でディミトリの懐にまで潜り込む。
しかし、決して能力は使わない。
圧倒的に不利な体勢でも攻撃を躱された上にタネが割れかけている以上、下手に一撃を当てようとしてかえって大きな隙を晒したり無意味に回数を消費することだけは避けたいのだ。
狙うのは確実に当てれる一瞬の隙。
それが生じるまでは相手の魔魂で自分の皮膚が削られ血が吹き出ようとも肉弾戦を続ける。
「ちょこまかと鬱陶しいなぁっ!」
どれだけ離れようとしても直ぐに距離を詰めてくる三条に苛立ちを露わにするディミトリ。
「これでも食らえ、マッド野郎っ」
「かはっ!」
三条のボディーブローがまともに刺さり、ディミトリは身体をよろつかせる。
その隙をチャンスとして追い討ちをかけるように手を突き出し杭を打ち込もうとするが、ディミトリはその手に指を絡ませて掌同士を合わせることで致命傷を回避した。
「いってぇな……」
そう溢したのは自身の手を貫通している杭をいとも容易く引き抜いたディミトリではなく、右の拳を血塗れにした三条。
「どうだい、超音波カッターのように微細に振動する僕の手によって自分の利き手をズタズタにされた気分は?」
「最悪の気分だよ。……お前をぶち殺したいくらいになっ!」
三条はこれまでよりも数段速く懐に潜り込み、十回目となる防御不可の一撃を相手の胸元目掛けて放つ。
手に確かな手応えが返ってくる。
見ると合金製の杭がディミトリの胸に突き刺ささり、赤い雫がその杭を伝って滴り落ちていた。
しかし。
(くそっ、少し浅い!)
「危ない危ない、今のは流石に死んだかと思ったよ。……それじゃあ今度は僕のとっておきと行こうか。イヒィ!」
先の二本と同様に胸に突き刺さった杭をぞんざいに引き抜いたディミトリはそれを強く握りしめる。
すると耳をつんざかんばかしの騒音を鳴らして金属製の杭が削られ、原型を失っていく。
そして最後に手に残った銀色の粉を彼は三条目掛けて振りまき、魔法を唱えた。
「吹き荒れろ、狂乱の剣舞!」
「ぐぁっっ!」
ザッとノイズが走るような音と共に。
宙を漂っていた銀の粉の一粒一粒が激しく振動し、三条の全身をズタボロに切り刻む。
あまりの激痛に、身体中のあらゆる箇所から血を撒き散らした三条は思わず膝をつく。
血みどろとなった彼の姿は、もはやどこが傷口なのかすら分からない。
「くそっ、たれが……」
全身を真っ赤に染めても。
苦痛に顔を歪めても。
それでも三条は勝利をもぎ取る為に立ち上がる。
「どうしてあれを食らっておいてまだ立てるんだよ!?」
困惑と恐怖とが明確に混在した表情を浮かべるディミトリ。
そんな彼を、三条は鼻で笑う。
「さあな。お前の自慢の一撃があまりにも弱かっただけじゃないのか?」
「なっ、」
「それとも単にお前より俺の方が強かっただけか」
「ふざけるな……ふざけるな! 君は圧倒的に弱い。それなのに君が僕よりも強いだと? ふざけたこと言うのも大概にしろよ雑魚が!」
三条のことを細切れにしようと怒髪天を衝く勢いで迫り来るディミトリの単調となった動きを、三条は至って冷静に見極める。
自分の皮膚が多少削り取られるのも気にせず、小刻みな振動を繰り返すディミトリの腕をいなしていく。
「死ねよ雑魚が!」
「そう言われてほいほいと死ぬ奴がいるかっての」
首を狙った大振りの一撃を、下から腕を押し上げて軌道を逸らすことで躱されたディミトリがバランスを崩す。
そして三条はこの隙を逃さない。
「貫入せよ、不可防の一矢!」
瞬時に腰に下げたバッグから銀色の杭を取り出し、視界に収まるように宙に投げる。
「その技はもう喰らわないよ!」
ディミトリに杭を打ち込もうと、姿勢を低くして彼の胸に手を伸ばす三条に対して、ディミトリは体勢を立て直していない状態で無理やりバックステップを踏んで杭がギリギリ届かない距離まで下がろうとする、が。
「ブラフだバーカ」
「なっ」
腰を落として懐に潜り込もうとしてきた三条の後ろで何かが光る。
その正体は一点の曇りもなく透き通る氷の弓矢。
「かかってくれてありがとな。……チェックメイトだクソ野郎!」
「ふざけるなぁぁぁぁぁぁあああっ!!」
「射抜け、氷結の楔!」
強烈な勢いで射出された氷の矢は音の壁を突破し、音速となってディミトリの額に風穴を開けた。
「……俺みたいな雑魚じゃお前を殺せないことぐらい最初から分かってんだよ」
だから彼が選択したのは時間稼ぎ。
マリンが必殺の一撃を放てるようになるほど回復するまでの。
そのためには、傷を負うことを恐れず勝利に執着する姿を見せることでディミトリに自分に対する恐怖心を与えてマリンの存在を意識から外させる必要があった。
だからこその身体中傷まみれになってでも続けた無理な近接戦闘。
「ほんっと無茶するよね」
残っていた力を全て振り絞って最強の一矢を撃ち放ったため壁にもたれて立っているだけの体力も残っていない程疲弊して、身体もボロボロのマリンが崩れるように床に座り込み、苦笑を浮かべる。
「うっせぇ、それでも勝てたんだから良いじゃねぇか。……ってて」
命のやり取りに対する緊張の糸が切れたためか、それとも落ち着いたことでアドレナリン等の脳内物質の分泌が止まったからか。
全身の痛みが急に息を吹き返し、身体中を駆け抜けた。
耐え切れず顔を歪めたまま真っ直ぐ地面に倒れ込む三条。
「ちょっとユウト、大丈夫?」
「全身切り傷まみれな俺のこの有様が大丈夫なように見えるか? もし見えるなら目医者に行った方がいいぞ」
「そんなくだらない冗談が言えるようなら問題なさそうだね」
「……マリンこそ大丈夫なのか? ヤバそうなのを貰ってたけど」
「あばらが何本かと多分内臓も持ってかれたけど、まだ死んでないから大丈夫なんじゃない?」
「適当かよ」
「あはは……」
声に力が篭ってない三条の突っ込みに、同じ様にマリンは力なく笑う。
「どうするユウト。他の皆の応援に行く?」
「いや、ちょっと休憩させてくれ。どうせ今の状態で手助けしに行ったところでかえって邪魔になるだけだろうし。それに他の連中も強い奴らばっかだしな」
「そっか、そうだね。ふあぁ、何だか眠くなってきちゃった」
戦場であるのにも関わらず、激戦で勝利をもぎ取ったことによる極度の疲労感から睡魔に襲われてうつらうつらとする三条とマリン。
しかし、二人の眠気は地を揺するような轟音によって吹き飛ばされた。




