第15話 リハビリの鬼
宛もなくジムのようにリハビリできそうなスペースを探し求めて五-三支部の中をさまよい歩いていた三条は、ある広い空間に辿り着いたことでその歩を止めた。
ある程度の広さを持った剣道場と同じか少し小さいかくらいの空間ではあるのだが、そこかしこにジャングルジムと高所工事用の足場を組み合わせた様な金属製の塊を始め、ロープを張り巡らせた地点やトランポリン、マットなどがばら撒かれたかのように雑に置かれているためか本来の四分の一ほども広さを感じられない。
フランスの軍事訓練から着想を得た、動作鍛錬を兼ねたスポーツにパルクールと呼ばれるものがあったような気がする──などと思いながら近くにあった階段状のタラップに腰掛ける三条。
ほんの少し、十分も歩き回っていないというのに、もう既に足腰が悲鳴をあげてしまって慣れない登山を終えた後みたくなっている。
「え~とぉ、あなたがユウトさんですかぁ?」
不意に自分の背後から声が聞こえてきた。
しかし、振り返って声の主を確認しようとしたが、後ろには誰もいない。
もちろん、ジャングルジムと工場用足場を組み合わせた様な構造物があるからといって、人ひとりが隠れられるようなスペースがあるというわけでもない。
にも関わらず、声がした方を見ても人がいた痕跡すらないのだ。
軽く怪奇現象じみた事象に遭遇して思わず首を傾ける三条。
なんとなく上を見てみるが、照明から発せられる光が眩しいだけ。
得体の知れないことに拘泥していても時間の無駄なので、再びリハビリができそうな場所を探そうと視点を元の向きに戻したところで再び声が聞こえてきた。
「どこを見てるんですかぁ? こっちですよぉ」
「うおっ!?」
三条が素っ頓狂な声を上げて体を後方にビクンッと跳ねさせたのも当然。
声がした側である左を見た三条の双眸に飛び込んできたのは鉄パイプと金属板を組み合わせた無機質なアスレチックコースなどではなかったのだから。
一言で言えば顔。
端正な顔立ちの女性が彼の視界を占領したのだ。
「そんな距離をとらないでくださいよぉ……寂しいじゃないですか。ね?」
ずいっと。体を仰け反らせたままの三条に被さるようにしてその女性はさらにその整った顔を近づける。
「折角あなたに用があって来たのに避けられているようじゃ何もできないじゃないですかぁ」
目と鼻の先、口を開いた時に吐く息が顔に当たって擽ったいと感じる程の距離にいるその女性の服から香るケミカルチックな薬品と香水が混じったような、甘ったるくもどこか刺々した刺激臭に三条は思わず顔をしかめる。
そんな彼の反応に目をパチクリさせた彼女は、彼の表情から拒絶を感じ取ったのか、半ば三条の上に被さるようになっていた体勢を戻して彼の隣に座り直した。
そうして初めて、三条の視野に彼女の美顔以外が映り込んだ。
歳は三条と同じ十八歳前後。
ナース服みたいな白い服の上から軍服を模した黒い外套を羽織り、その肩には芽章を示す双葉を形どったエンブレムが縫い付けられてある。
外套と同系統の黒に染められた軍帽で押さえつけられるようにされたのは、薄らと桃色がかった綺麗な白髪を耳の後ろで結んだ短めのツインテール。
華奢、というよりはスレンダーな体つきで容姿端麗という言葉が実に似合う。
色恋沙汰と全くと言っていいほど縁がない三条でなければ一目惚れしていてもおかしくない。
それほどの美女だ。
と、彼女の全身を値踏みするかのようにまじまじと見つめていると、クスクスと控えめに笑う声が聞こえてきた。
「一体どうしたんですかぁ? そんな舐め回すかのように私の体を見回して。……もしかして私のパーフェクトなボディーに惚れちゃいましたかぁ?」
「んなわけあるかっ」
彼女の荒唐無稽な発言に対して咄嗟に突っ込んだ三条であったが、それを受けたナース服の上から軍服の女性がニタァと音が聞こえてきそうなほどの不敵な笑みを浮かべる。
「惚れてないとなるとぉ、つまりはあれですね……」
「??」
「私のグラマラスな体躯に欲情して、抵抗する私を力で無理やり押さえつけてあんなことやこんなことをする姿を脳内で再生していたってことですかぁ。……思春期の想像力はえげつないですもんね」
「ふざけんな。そんなことは断じてねぇし、それとどの口がグラマラスとかほざいてんだっての」
初対面だというのにくだらないだる絡みを仕掛けてくる者には、敬意など一切取り払ったそれ相応の対応をとるのが三条という男。
「なっ、私はれっきとしたグラマラスガールですよぉ!」
「いやいや、グラマラスってのはあれだろ? ボンキュッボンってオノマトペがピッタリな女性、そんな人たちのことだろ? 俺の目にはどうにもあんたがボンキュッボンな体型には見えないんだが。むしろキュッキュッキュッだろ。……特に一番上なんて絶壁、ぺったんこもいいとこじゃねぇかってうぉっ!?」
何が彼女の忌諱に触れたのか、いや、この場合明らかに胸の話であろうが、軍服ナースの女性はどこからか取り出した刃の長さと柄の長さのバランスが歪なハサミ──解剖バサミを三条の顔面スレスレに向かって投げつけた。
ガキンッ!!というやや硬質な音とともに解剖バサミがすぐ近くの鉄パイプを食い破って突き刺さる。
「ふー、ふー、……乙女には絶対に言ってはならないタブーというものが必ず存在するのですよぉ」
どうやら泣きそうになるほど胸のことで弄られるのを嫌っているようで。
顔を真っ赤に染め、目尻には薄らと涙を溜めた女性はデリカシー欠落ボーイ三条のことをキッと睨めつけた。
(でもそこまで怒るってことは絶望的な程成長の見込みがないんだろうな……可哀想に」
ビュンッッッ!と。
途中からデリカシーの欠けらも無い心の声が漏れまくっていた三条の眼前を再び何かが突き抜けて、鉄パイプにまた一つ穴を増やした。
今度のはカッターナイフや彫刻刀の親戚みたいな刃物でもって医療用具と言えばこれと皆が口を揃えて言うような代物、つまりはメスだ。
「もういいわぁ……珍しくシエルに頼まれたからあなたのリハビリの手助けをしてあげようと思ってたのに、あなたがそんな態度をとるっていうのならこっちだってそれに応じたメニューにしてあげますねぇ。……そう、もう二度と受けたくない、悪夢として出てくる、そんなベリーハードなメニューにねっ!」
そう言いながらいきなり立ち上がった少女がその左の拳を後ろに引く。
素人でも人目見ただけで分かる、明らかなパンチのモーションだ。
「おいお前、解剖バサミにペンチの次はパンチかよっ!?」
避けるために急いで立ち上がろうとしたところで彼は一つの事実を思い出す。
なにゆえ自分はさっきまでイレーネから渡された腕に装着するタイプの杖であるロフストランドクラッチを突いていたのだ。
脚が言うことを聞いてくれず、彼はバランスを崩す。
これでは少女のパンチを避けることは疎か、受け止めることすらままならない。
こればかりは配慮に欠ける事柄を言って彼女を怒らせてしまった自分に非があるのも事実と考えた三条は、どうせ防ぎようがないのならいっそ素直に殴られようという結論に至る。
しかし彼の予想を外れて、打擲による鈍い痛みは腹からでもましてや顔からも感じられず、代わりと言わんばかりにふくらはぎの辺りから鋭い痛みが迸った。
意表を突かれた三条が数秒遅れて鋭痛の発信源を見ると、ふくらはぎに小さな針のようなものが刺さっている。
「なんだこれ……?」
「あなたにとってとぉ~ってもイイ物ですよぉ~。あとこれ、お預かりしますね」
三条が謎の小針に気を取られている間にコスプレ少女は彼の腕から杖を抜き取った。
現在進行形で三条の脚の代わりを為している杖をだ。
「おいコラ、その杖を返せっ!」
「キャ~怖いぃ犯されちゃう~✩」
杖を取り返そうと腕を伸ばすが、女はふざけたことを言いながら手が届きそうでギリギリ届かない距離にまでその身体を退ける。
三条は一歩踏み出して女との距離を詰め、再び腕を伸ばすが、結果はさっきと全く同じで彼の手が宙を掴むだけ。
この攻防──というよりは一方的に三条が買わされ続けているだけなのだが──を何度か繰り返している内に、彼は大きな変化に気づいた。
彼はさっきから奪われた杖を取り戻そうとして、杖を使うことなく一歩ずつ前に進むという当たり前のことをしている。……当たり前のことができるようになってしまっているのだ。
一方で、動揺している三条を見てクスクスと控えめに笑っていた軍服ナースのコスプレ女は独特な間延びした声音でもって、
「やっと気づいた様ですねぇ~。私がさっきあなたに突き刺した小針にはある薬品を塗布してあったんですよぉ。言っても分からないとは思いますが、一応言っておきますとぉ、ベンゾオキサゾール系筋弛緩剤の一種ですぅ。それであなたの凝り固まった筋肉を無理やり解させてもらいましたぁ」
「ほんとだ……脚が思った通りに動くうにもどってやがる!」
腿上げ、ジャンプ、屈伸、サイドステップまでもができるほどまで脚が元に戻っていることに狂喜乱舞している三条。
そんな彼の姿を見て、マッドサイエンティスト顔負けの狂気に満ちた薄ら笑いを浮かべたのは軍服ナースの少女。
「何を一々喜んでいるんですかぁ。まだリハビリテーションの頭文字の”リ”にすら到達していませんよ? なんたってこれから二週間であなたの身体パフォーマンスを怪我以前よりも素晴らしいものにまで育て上げるんですからぁ」
そこまで言うと、少女は軽く助走をつけてから近くの壁を蹴って、鉄パイプを乱雑に組み合わせただけのジャングルジムの上に軽々と登った。
……簡単そうに聞こえるが、その高さは目算で四メートル弱。
一般人にこなせる技では到底ない。
なんだかんだで彼女もまた、マリンやイレーネ、シエルといった化け物揃いの魔法結社、『瑠璃色の魂』のメンバーなのだ。
「まずは自己紹介から始めましょうかぁ。……私の名前はセレナ。見ての通り芽章なので非戦闘員なんですが、皆からは『リハビリの鬼』だとか『医務室の悪魔』だとか不名誉な名で呼ばれていますぅ。あと、ちなみになんですがぁ、私は身体強化の付与魔法とか一切使えないんで悪しからず」
「は? じゃあそこに登ったのは……?」
「魔法なんか使わなくてもぉ、これくらいの高さなら全身の骨や筋肉、力の流れを上手く使うだけで簡単に登れますよぉ」
つまりは壁を一回蹴ったとはいえ、素の身体能力だけで四メートル弱の高さに跳び乗ったことになる。
(この支部には化け物しかいねぇな……ほんと)
「まぁ他愛のない話はここら辺にして、そろそろ始めましょうかぁ。地獄のリハビリテーションを」




