第14話 騒々しい医務室
勇んで立ち上がろうとした三条であったが、すぐにその腰を再びベッドの上に下ろすこととなった。
何が起こったのか全く持って理解が追いついていない彼は再度腰を浮かし、立ち上がるが、結果は先程と同じでいっそデジャヴすら感じられる見事な再着席。
というのも、起立しようとやや前傾姿勢になって膝周りの筋肉に力を入れると、膝が笑ってしまい、脚を伸ばすことすらろくにできないのだ。
やっとの思いで立ち上がることができても足元がおぼつかず、一歩を踏み出すことがままならない。
いっそ無様という形容すら似合ってしまうような、そんな三条の姿を見かね口を開いたシーラが諭すように衝撃の事実を告げる。
「あまり無理をして動かない方がいいのです。……なにせユウくんはかれこれ一ヶ月弱も眠っていたのですよ?」
「……は? 嘘だろ、一ヶ月?」
「肋骨及び上腕骨含めた計七箇所の骨折、数箇所の筋断裂に内臓損傷、その他内出血多数。今私が言った傷痍は全てあの新種との戦いでユウくん、あなたが負ったものなのです。いくら回復系統の単純魔法を使ったとはいえ、完治するまで四週間前後というのは結構妥当な期間だと思うのですが……。なんにせよ、ずっと動かしていなかった筋肉が硬直していて当たり前なのです」
「くそっ。……そういえばシーラ、あんたは大丈夫だったのか? 俺の記憶が正しければ、あの新種に半殺しにさせられていたはずだけど」
「ええ。マリンちゃんの応急処置が適切だったお陰で、一週間程度の療養で事済んだのです」
二人とも同じようにボコられたというのに、シーラと三条で完治するのにかかった時間は約四倍の差。
この差ははたして個人が初めからもつ回復力によるものなのか、それとも戦闘経験が豊富すぎるせいで身体が怪我に慣れてしまったがために回復速度が自然と上昇したことによるものなのか。と、そう頭に疑問符を浮かべていた三条であったが、
「……でも、やっぱり一週間はかけすぎなのです。もしこれがあの戦闘狂のイレちゃんだったら三日もかけずに治してしまいそうなものなのですが……。むむむ、もっと場馴れが必要なのでしょうか?」
シーラの呻くような呟きによると、どうやらその答えは後者だったようで。
しかしまぁ、それが分かったところで逆に、どうして非戦闘員であるはずの彼女が戦闘未経験であった三条の約四分の一の期間で傷を癒せるようになるまで回復速度が上がっているのかが些か疑問ではあるのだが。
とこんな風にうだうだとしていると、医務室のような内装をした部屋の隅に設けられた横スライド式の扉がほんの僅かに開かれた。
隙間からスカイブルーの瞳が中の様子を覗いている。
その様子に気付いた三条はあろうことかその瞳と目を合わせてしまったのだ。
彼の第六感がシグナルを鳴らす。
その色はイエロー。つまりは警告を表す色調。
(しまった……!)
そう思ったところで時すでに遅しなわけで。
──ふとした拍子にケーブルで足を引っ掛けてバランスを崩してしまい、体を支えるために辛うじて手をついたのが自爆スイッチの上だった!──とかそんな感じの感覚に陥る。
ガラガラガラズバァァン!と。
勢いよく、というよりも誰がどう聞いても医務室には不似合いな騒音を奏でて数センチだけ開かれていた扉が開け放たれた。
一度開いた扉があまりにも強い勢いのせいで反作用を受けて再び閉まらなかったのが不思議ではあるが、ここにも何らかの魔法の力が働いているということにしておこう。
喧騒と同時に部屋の中へと文字通り飛び込んできたのは、彩やかなシアンの髪をたなびかせた少女。つまりはマリン。
彼女はその身に纏った白を基調としている制服のスカートが風に煽られて捲れることなど一切気にしていないといった様子で華麗なまでの飛び蹴りを放つ。
「やっほー、ユウト! やっと治ったんだね!」
「おいばかやめろっ!」
ユウトの制止虚しく、元気ハツラツ少女の靴裏が迫ってくる。
ターゲットは案の定のこと、寝台の上に腰を下ろした直後のユウトだ。
一方の数秒後被害者系男子、三条はいっそ無限にすら感じられる時間の中、思わず目を瞑る。
しかし、いつまで経ってもマリンの足が到達しない。
不思議に思った三条が恐る恐る薄目を開けると、入ってきたのはハツラツガールの足などではなく、サラサラに整えられた栗毛であった。
「……は?」
何が起きているのかを理解するよりも速く、下腹部に鈍い衝撃が走り、傷に響いたのか、キリキリとした痛みが身体中を駆け巡る。
「わわわっ、ごめん、シーラ! 別に悪気があったわけじゃないのよ? ただちょっと面白半分でユウトに飛び蹴りをかまそうとしただけであなたを狙いたかったわけじゃないの。扉越しに覗いた時に丁度死角に入っちゃってたシーラに気付かなくて……それでユウトしかいないんだったらちょっとくらいいいかなぁって。本当の本当にわざとじゃないのっ! だから許してっ!ね?ね?」
そう早口で捲し立てたのは音もなく見事な着地を決めたマリン。
青ざめ、”やってしまった!”とデカデカと書かれていてもおかしくないような顔を浮かべている。
一方で、
「そもそもユウくんに飛び蹴りをぶちかまそうとした時点で訳がわからないのですが……」
と、モゴモゴとした口調で彼女の早口な謝罪に答えた甲高い声が聞こえてきたのは、三条のへその辺りからであった。
「なんだか腹がこそばゆいし、やけにポカポカとして暖かいし、加えてなんか柔らかいものがあるし、とか思ってたらこれシーラじゃねぇかっ。」
何がどうなったらこうなるのか。
どうやら飛び蹴りヤンキーガールことマリンの一撃が不幸にもその頼りなく小さな背中にクリーンヒットしたようで。
栗毛に独特なアホ毛を生やしたシーラの頭が三条の下腹部に埋まっていた。
傍から見ると、ベッドの端に腰掛けた三条がシーラに膝枕してあげているようにすら見える。
ただし、彼女の顔が下を向いてさえいなかったらの話だが。
「ユウくんのお腹……温々としていて心地よいのです。……あぁぁ離れたくないよぉ」
「くすぐったいから喋るんじゃねぇっ。ってか早く離れてくれ!」
というのも男三条悠斗は成人手前の青年。
終わりをむかえる頃とは言えども、なんだかんだでいろいろ困った思春期の最中なのだ。下腹部への過度な刺激はやめて頂きたいっ。
「シーラだけズルい! 私にもヌクヌクのお腹に抱きつかせてよっ」
そう言ったのにも関わらず、何故かマリンは三条の方へと近付くことはしなかった。
代わりに彼女は踵を返して部屋から出ていく。
廊下の壁に突き当たったところで再び部屋の中が見えるように九十度反転する。
そして、上体を逸らして利き足である右足を軽く浮かせた。
その姿は少しでもプロの陸上競技を見たことがある人が見れば、走り幅跳びの選手が助走を始める直前にとる姿勢を思わせるだろう。
「いっくよー……」
では、一体なぜ、彼女はわざわざ部屋の外に出てまでそのようなパントマイムじみたことをしているのか。
答えは単純明快。
つい先刻、誤ってシーラの背中に飛び蹴りをぶちかましてしまったことなどとうに忘れたのか。
同じことを繰り返そうとしているのだ。
いや、彼女の発言からすると、もしかしたら今度は足からではなく頭から着弾するのかもしれない。
その点を加味すると実は同じではないと言える。が、一方的に被害を被るだけの立場である三条からすればそんな些細なことなどどうでもいいというのもまた道理。
「バカ野郎! マリン、お前は学習しねえのかっ!?」
腰に巻きついているシーラの細い腕を急いで引き剥がし、横に転がすようにして彼女を膝の上から下ろした三条は、胸の前で両腕をクロスさせて防御の姿勢をとる。
可能であればマリンが一直線に跳んでくるのを利用して、寝台から離れることで被弾を回避したいところではあったのだが、如何せん足腰の筋肉が固まっているせいでろくに立ち歩けないのでその考えは脳内会議で即座に却下されたのだ。
「待ってて私のヌクヌクお腹♪ よ~い、ドン!」
即興で作ったとしか思えない変なリズムの歌を口ずさみながら、マリンが一本、二本と助走を始めた。
そして、彼女が最後の一歩、踏み切り足を地につけた丁度その時。
「あんたら医務室の周りで騒いでんじゃないわよ!!」
雷が落ちた。
横合いから突き出された大剣の鞘の側面にゴチィィンッ!と額をぶつけたマリンが反動でひっくり返り、背中から床に落ちる。
「ったく、あんたらはアホみたいに騒ぐことしか能のない猿かっての」
ぶつくさ言いながら医務室の中へと入ってきたのは、後ろで纏めた紅の髪と高い背丈が特徴のイレーネ。
片手でシーラの身の丈程の大仰な大剣を支えている彼女は、もう片方の手で何やら独特な形をした棒状の物を持っていた。
その正体は一般にロフストランド・クラッチまたは前腕部支持型杖と呼ばれる、腕に装着して使用するタイプの杖だ。
彼女はそれを三条の方へと突き出す。
「一ヶ月も眠りこけてたんだからどうせまともに歩くこともままならないんでしょ?不便だろうと思って持ってきてやったよ。……ったく、どうやったらあの程度の怪我で治るまでに一ヶ月もかかるのよ」
「ははは……あんたらと比べられても困るって。杖についてはありがたく使わせてもらうよ。サンキューな」
イレーネにとっての”あの程度の怪我”が一体どの程度なのか興味はあるが、なんだか一度聞いてしまうともう二度と戻ってこれないような気がした三条は聞こえなかったことにした。
ついでに言うと。
「珍しくイレちゃんが親切心を働かせているのです……!」
「いっててて、ホントだね。もしかして世界滅亡の前兆とか?」
とかなんとか言ってイレーネに睨まれている二名のことについても無視を決め込むこととした。
「どういたしまして。……それと、あんたさっさとリハビリを済ませなさいよ? この一ヶ月で色々と動きがあったんだから」
「具体的には?」
「第三級指名手配を受けている犯罪魔道士集団、『ニオファイト』の出城としている場所の一つが割れたのよ」
「『ニオファイト』かぁ。……裏社会で暗躍しているだけあって情報の流通には敏感な組織というイメージだけど、こっちがアジトの位置を掴んでいることはバレてないの?」
さっきまでとは打って変わって真面目な表情を浮かべたマリンが尋ねる。
「傍受を避けてなるたけ通信用魔道具を使わないようにして伝わってきたらしいから恐らく大丈夫よ。……情報そのものがフェイクだった場合は別だけどね」
「もしかしたらその出城を叩いている内にユウくんの妹さんの情報が顔を覗かせるかもしれないのです」
「そうだな。そうと決まればさっさとリハビリを終わらせてくるわ」
「「妹??」」
髪の色を混ぜたら紫にでもなりそうな二人組が何のことか分かっていない様子で小首を傾げているのを横目に、三条はイレーネから渡された杖をついて医務室を後にした。
「……リハビリってどこで受けりゃいいんだ??」
と呟きながら。




