第13話 辛勝、それから
先程まで圧倒的な力をこれでもかと言うくらい見せつけてきた新種の、妖しい光沢感のある白い身体がまるで風化されきった石が崩れるかのようにボロボロと滑らかな砂へと変化していく。
同時に、支えを失った約一メートル弱の長さを誇る野太刀が脱力しきった三条の手から零れ落ちる。
「二人とも全身ボロボロじゃない……すぐに応急処置用の回復魔法をかけるから少し待ってて」
新種に事実上のとどめを刺したマリンが、自分の撃ち放ったレイピアを回収することすら忘れて駆け寄ってきた。
その顔に浮かび上がるのは心配の二文字。
「……俺は、大丈夫だ。だから先にシーラの奴を治してやってくれ」
「……分かったわ。本来なら外傷の大きい方から治療すべきなんだけど、今回はあなたの気持ちを尊重するわね」
そう言ったマリンが腰にぶら下げたポーチから取り出したのは一本の試験管状のガラス瓶。
中にはケールや明日葉といった生の緑色野菜をしぼって抽出したエキスから作られた青汁のようなドロドロとした液体が詰まっている。
「シーラのこんな姿、イレーネが見たらちょっとやばいことになりそうね。……もしかしたら街の一つや二つくらいなら消し飛んで灰になっても可笑しくはないかも?」
「バカ言ってんじゃないわよ。ったく、二人揃ってボロボロになるまで戦って。これで命を落としたりしたら元も子もないってのよ」
マリンの独り言に意外にも返事をしたのは、近くの店の角から顔を出したイレーネであった。
得意とする炎魔法を酷使しすぎたせいか、服の一部が焦げて炭化しており、皮膚にも数箇所ほど火傷のような跡が見て取れる。
「イレーネ。……それで、大丈夫なの?」
心底気がかりといった表情でマリンが指さしたのは、イレーネの背中。──より正確にはその背中に負ぶさった一人の銀髪の少女、シエル。
先の戦いで全力を使い果たしたのか、少女に似つかわしいあどけない表情でスースーと寝息を立てているが、その一方で、羽織った外套には至る所に穴が空いておりほとんど使い物にならなくなっており、加えてその綺麗な四肢には生々しい擦り傷が点在している。
「なんだかんだで無事……ではないけど、うん。ちゃんと生きてるわよ。それにしてもさすがは華章ね。まさに阿修羅のような戦いだったわ」
「あははは。珍しいわね、イレーネがシエルのことを褒めるなんて。明日は槍でも降るのかしら……よっと」
マリンは、汗や涙、鼻水に唾液といった体液でその可憐な顔をぐしゃぐしゃにして気絶したままのシーラの頭を膝枕するようにして持ち上げて一通り彼女の顔をハンカチで拭った後、例の青汁──かつて三条がほぼ無理やりに飲まされたヒール・ポーション(激マズフレーバー)とは似て非なるもの──をシーラの口の中へと流し込んだ。
一見粘性が高そうだが意外とサラサラした緑色の液体は重力に身を任せる形で少女の喉を通っていく。
コク、コク、と。
小さな音とともに、彼女の喉が微かに動いたのを三条は見逃さなかった。
よかった、シーラは死んでいない。
そう思った途端、心の底からとめどなく湧き出てきた安堵の感情が緊張と興奮とで張り詰めていた体を解きほぐしていく。
そこで三条の意識は途切れた。
「私にとって唯一無二の同期を護ってくれたことには礼を言うわ。ありがとね、ユウト。」
「いやいやいや、そういうのは相手がちゃんと起きている時にしっかりと目を見て言うものだよ?恥ずかしいのか知らないけど」
「うっさい、燃やすわよ」
「下手な照れ隠しだね。……ところで見当たらないけど、カインはどうしたの?」
「あいつなら今頃五-二支部留守番組の生き残りと一緒に事後処理しているはずよ」
⚫
「こちらアルファ、件の青年を発見。新種と思われる特異個体のミュルと交戦した後、それを撃破。恐らく数ヶ所の筋断裂、骨折及び内臓損傷を引き起こしていると思われるが、命に別状は無し。現在は意識を手放した状態だ」
『こちらチャーリー、了解。直ちに回収はできそうか?』
「いいや、俺一人では不可能だ。周囲に人がいやがる。戦力はここから視認できるだけで蕾章が三人にあとは、、華章が一人って、おいおい、あいつら五-三支部の連中だ。あの銀髪のチビ……間違いねぇ、『鉄の処女』じゃねぇか!」
『なんだって!? アルファ、お前がいるのは第二地区だろうが。一体どうしてそんなとこに『鉄の処女』なんて大物がいやがるんだよ!?』
「くそっ、見た感じだと件の青年は五-三支部の手に渡っちまったみてぇだな。どうするチャーリー、このままだとお嬢に合わせる顔がねぇぞ。」
『クソったれ、こんなことになるならこの作戦に乗るんじゃなかったぜ。今から件の青年をぶち殺して、お嬢が作戦を知る前に作戦そのものを御破算にするってのはどうだ?』
「おいおい、バカ言ってんじゃねぇ。それこそバレた時にお嬢に消されちまうぞ! ……だいたい何でお嬢はあんな雑魚そうな男にご執心なんだ?」
『知るかよそんなこと。お嬢に直接聞けばいいだろ……まぁ、お前にそんな度胸があるとは到底思えねぇがな。取り敢えず作戦は一旦中断だ。奴らに勘づかれる前にさっさと撤退してくれ』
『君たちは面白そうな話をしているね。その”作戦”とやらを僕にも詳しく教えてくれないかな?」
『「なっ!?」』
『一体どうなってやがる。こいつは国家直属軍隊のものを応用した最高レベルの暗号化が成されている機密通信だぞ!?てめぇ何者だ、いつから聞いてやがった!?』
『先に質問したのは僕なのに質問で返すなんて君たちは酷いなぁ。いや、不躾者と言った方が良いかな。まぁ、僕は例えいかなる返答が返ってきていたとしても、質問に対する答えなんて大した意味は持たないものとして処理するつもりだったんだけどね。……そうそう、自己紹介がまだだったね。僕はカイン。今君たちが狙っている青年のしがない友人──そういえば今は仲間、ということに一応なっているんだったか。あと、僕の趣味……じゃなくて得意分野は拷問さ。何はともあれ、よろしくね」
「っ!?お前、いつの間にこんな近くまで!?くそっ、弾け飛べ、迅飛──ぐはっっ!」
『おいどうしたアルファ。応答しろ、おい!』
『チャーリーくん、次は君の番だよ』
『お前、どうしてここにいるんだ。…アルファの方を襲ったんじゃねぇのかよっ!? ぐぁっっ!』
「まったく、面倒なことになったもんだね。でも取り敢えずは目先の問題から片付けるのが定石かな。よし。今回は爪から順に指、腕、肩と上げていくことにしよう。……この二人はいったいどんな美しい音を奏でてくれるんだろう」
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見知らぬ天井。
三条が目を覚ましてすぐ、目に飛び込んできた物だった。
牢獄に入れられた時も彼はまったく同じことを思ったが、今回の天井は牢屋が立ち並ぶ地下室のように湿り気が混じって所々苔むした箇所があるものではない。
白一色だが凹凸を付けることで上手く技巧を凝らした瀟洒な天井だ。
「ここは……?」
そう呟いてやたらフカフカしている白のベッドから身体を起こそうとするが、引き戻されるような感覚に陥って素直に起き上がることができない。
そこまでして初めて、彼は自分の横で煩く一定のリズムを刻む心電計みたいな機器から伸びたコードが自身の身体を雁字搦めにするように貼り付けられていることに気が付いた。
どうやら新種との戦いの後、気絶した三条を五-三支部の面々の内の誰かがここまで運び、あまつさえ治療までしてくれたようだ。
ところで自分は一体どれほどの時間眠っていたのだろう。
そう思いつつ三条が自分の左目を擦ったことで、彼はまた一つ新しい事実に気付く。
彼の目尻に溢れんばかりの大粒の涙が溜まっていたのだ。
どうして泣いていたのか。
理由が思い出せそうでなかなかどうして思い出せない。
そうやってモゾモゾしている内に、彼が起きたことを察したのか、寝台の側に置かれた椅子に腰掛けて眠っていた人影が目を覚ました。
「ふあぁぁ、あっ。ユウくん起きたのですね。このまま起きないのかと思ってヒヤヒヤしたのです」
人影の正体はアホ毛が特徴的な栗毛をポニーテールにし、三条のことを独特な君付けで呼ぶ小動物系少女にして、粘土を操ることで無くなった腕すら元通りにすることのできる魔女、シーラ。
三条の目覚めに対して安堵の感情が見て取れる微笑を浮かべた彼女の姿は、実際は自分よりも歳上だということは重々承知してはいるがそれでも、妹のようだと三条の目には映った。
「いも、うと……?」
「どうしたのです?」
思い出した。
なにゆえ自分が泣いていたのか。
夢を見たのだ。
一面生きているのか死んでいるのか分からない白黒の草が生い茂る色の無い草原の中、一人の少女の背中をただひたすらに追いかける夢。
その少女は時折立ち止まってこちらを振り返り、何か言葉を告げるのだが、決まってその時になると横殴りの強風が吹き付けてその声をかき消すのだ。
少女は何度も立ち止まり、対する三条はずっと走り続けているのにも関わらず、二人の距離は縮まるどころか開き続ける。
それだけ聞けば過去のしがらみか何かを脳が勝手に示しただけのものに過ぎないが、三条の中ではそうでは無かった。
いや、彼が目覚める直前、最後の最後に唯一聞き取れた少女の言葉がそうたらしめたのだ。
一言、
「先に行って待ってるね、兄さん♪︎」
と。
寂しさで泣くのを堪えながら震える声で。
「くそっ、っざけんじゃねぇぞ。どうしてこんな大事なことを忘れていたんだ……!」
「一体どうしちゃったのです、ユウくん?」
「俺には妹がいたんだ。どうしようもなく兄思いでしっかり者の妹が!」
身体に貼り付けられたカラフルなコードを勢い良く引き剥がし、足を床に降ろした三条。
計測する物が失われた心電計がピーーーと無機質な連続音を鳴らす。
「そうなのですか。それで、その妹さんの所在に心当たりはあるのですか?……いえ、自分に関する記憶を失っているあなたには愚問でしたね」
「そうだよ、あいつがどこに居るのかはちっとも分かりはしねぇ。それでも、それでもだ。どこまでも寂しがり屋のあいつが孤独に耐えられずに泣いているのかもしれない。……それだけで宛もなく足を動かす理由には十分だ」




