第10話 よろしく『瑠璃色の魂』
浅めに被った黒いソフトハットの裾から覗いた深緑の前髪。その前髪が緩く被った、開いているのか開いていないのか分からない糸目。
やけに着崩したクシャクシャのシャツ。
寸前まで見ていた紙媒体の資料に何か興味深いことでも記載されていたのか、口元を歪め、不敵な笑みを浮かべている。
腕章の形にして安全ピンで服の袖におざなりに留められた華章のエンブレムが指し示すのは実力者の証。
三条のことを支部長室で待ち構えていたのは、そんなどことなく胡散臭い雰囲気を醸し出している男であった。
「ボクはここ、国家連携型魔術結社『瑠璃色の魂』五-三支部の支部長を努めさせてもらっとるハスターっちゅうもんや。……つまりはあれや、赤ん坊にでも理解出来るように言わせてもらうとこの屋敷に出入りしとる問題児どもの親玉っちゅうわけや」
「誰が問題児よ、もう二度とあんたの好きなように内装を組み替えてやらないわよこのクソダサファッション野郎」
ハスターに噛み付くかのごとくそう吐き捨てるように言ったのは、いつの間にかソファーみたくふかふかな椅子に腰掛けてその身体を沈めていた銀髪碧眼少女。
「アホかシエル。キミはその問題児の中に入っとらんわ。ただでさえアイツらの後処理を任せっきりの状態でこちとら頭が上がらんっちゅうのに。ボクがキミに逆らえるわけないやろ?」
「それもそうね」
アホと言われたことに対しては無関心なのかという疑問を抱きつつも、三条は最大の疑問をハスターに投げかける。
「……んで、取り込み中のとこ悪いんだが支部長みたいなお偉い身分の人が一体俺に何の用なんだ?」
「よう聞いてくれたわ。実はな、うちの支部にはキミの《盗神の一手》みたいに便利な補助魔法系統の魔魂の使い手が少ないんや。」
「それで俺にあんたの部下になれとでも言うのか?」
「そう言いたいのは山々やねんけどな、残念なことにそれがそう簡単にはいかんのや。……というのも、なんて言ったってキミは世にも珍しい灰色の無章やろ?それに加えて無断で魔法を行使した罪人でもある。そんな輩を国家と密な連携を取ってる結社に入れるとなるとそれこそ国を挙げた大会議が開かれてまうわ」
ハスターはそこまで言うと、やれやれと不満そうな顔を浮かべて手に持っていた書類をクシャクシャに丸め、ゴミ箱に投げ入れた。
「それじゃあ何をさせるためにわざわざ俺をこんなとこまで連れて来たんだよ」
「まぁまぁちょっと待ちぃや、人の話は最後まで聞くもんやで。さっき言うた通りキミをウチの支部直属の部下にすることは確かにほぼほぼ不可能に近いわけや。でもな、キミのことを外部の人間から協力を得るっちゅう形で雇うことなら、管轄が本部にあるわけとちゃうからウチの支部だけでキミの罪やら何やらの諸々を処理できるんや」
「……へぇ~、”協力者”かぁ。そんな抜け道があったのね。流石は支部長、資源やら税金やらを頻繁にちょろまかしているだけあるわ」
「おいこらシエル、それは言わん約束やろ。……で、どうや?ちっとばかしボクらに雇われてくれへんか?」
営業スマイルと言わんばかしの貼り付けた様な薄っぺらい笑顔を浮かべるハスター。
たったそれだけで胡散臭さが倍増である。
「もし断ると言ったら?」
「そん時はキミが今どういう立場におるんかよーく理解してもらうことになるわな。キミの罪はキミが思っとるよりもずっと重いもんやと思うで」
つまりは、咎人という立場に身を置く三条にそもそも拒否権なんてものは与えられていないのだ。
「……わかったよ。聞く限りじゃ俺に不利益がないどころか立場を保障して貰える点では十分な利益になるしな。あんたの言う”協力者”とやらになってやるよ」
「キミならそう言ってくれると思ってたで。んで、早速で悪いんやけどこの書類に必要事項を記入してな」
ハスターが執務机から取り出した数枚の紙を三条が受け取ろうとした丁度その時。
ジリリリリリリリリリリッ!!と。
机に備え付けられた小洒落た電話がけたたましく鳴り響く。
「なんや、この忙しい時にかけてきおるとか面倒いやっちゃやなぁ」
そうボヤきやがらも受話器を耳に当てるハスターであったが、徐々にその胡散臭い顔が神妙な面持ちへと変化していく。
「……ああ、ああ、直ぐに向かわせる。それで、そっちの被害は? ……いつにも増して酷いやられようやな」
「一体どうしたって言うの?」
”被害”という言葉にただならぬ雰囲気を感じ取った銀髪碧眼美少女、つまりはシエルと呼ばれた少女が由々しき事態にでも触れるかのように尋ねる。
そっと受話器を元に戻したハスターが彼女の問いに答えるため、先程まで口角を上げて人を小馬鹿にしたような薄気味悪い笑みを浮かべていたとは到底思えない重く閉ざされた口を開けた。
「……第二地区を護っとる防衛戦が急に地面の中から現れた大量のミュルによって崩壊させられよった」
「はぁ!? 五-二支部の自称精鋭どもがことごとくやられたって言うの!?」
「ちゃう、あそこの自称精鋭どもなら丁度良からんことを企てとる結社を潰すために総出で遠征中やっちゅうに」
「それで運悪くたまたま戦闘慣れした人がいない地区にたまたま大量発生したミュルが攻め込んだって……そんなことあるわけないじゃないっ!」
「それが現に起きとるんやからしゃーないやろが!」
執務室内での二人の混乱が扉を貫通していたのか、やたら豪華な両開きの扉が勢いよく開け放たれる。
「支部長と副支部長が揃いも揃って騒ぎ立てて一体どうしたっていうんだい?」
そう言ったのはカインであったが、部屋の中へと入ってきたのはそれだけではなかった。
扉と壁の付け根にもたれ掛かるようにして立つイレーネと、彼女に髪の毛がくしゃくしゃになるまで頭を撫でられて目を細めている栗毛の女性も控えている。
「キミら、急ですまんけど仕事の時間や。場所は第二地区北東の防衛戦。詳しい情報はキミらが移動しとる最中に通信用魔道具越しに伝えるさかい準備でき次第急行してくれ!」
「「「「了解!」」」」
三条とハスターを除く部屋に居た四人の声が重なった。
たとえ不測の事態に陥ったとしても部下への指示は迷いなく的確に飛ばし、決して不安を煽るようなことは無い。
その才能に富んでいることこそがハスターが真に支部長たる由縁なのかもしれない。
「正式な書類も通してないし初陣にしてはスパルタすぎるけど、いかんせん人員が不足しとる状態や。すまんけどユウト、キミも戦線に加わってくれんか?」
「書類が通っていようがなかろうが、俺は今日から一応あんたの協力者だ。言われなくてもやれる範囲で手助けするさ」
正直に言うと、自分が役に立てるかどうかは全く持って分からないし、むしろ足を引っ張ることすらあるかもしれない。最悪の場合死ぬことだってあるかもしれない。
それでも戦線へと出ることは三条にとって重大な意味を持っていた。
百聞は一見にしかずと言うこともあるように実際に戦場へと赴くことで得られる情報や経験値の量は計り知れない。
魔魂を完璧に習得し、魔法がものを言うこの世界を無事に渡り歩くためにも、今目の前に転がり込んで来たチャンスを棒に振るわけにはいかなかったのだ。
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並び立つ建物の屋上や屋根を飛び移りながら猛スピードで第二地区を目指す五人の青年たち。
三条を除く四人が自己強化型の単純魔法によって脚力を強化している一方で、単純魔法を一切使えない三条だけは五-三支部の倉庫で埃を被って眠っていた一昔前の魔道具──”タラリア”と呼ばれるハイカットスニーカー──を履いて外部から無理やりその身体能力を底上げすることで他の四人と並べる移動速度を保っている。
十分程屋根伝いに進んだ頃、三条の隣に並ぶようにして歩を進めていたイレーネが口を開いた。
「そう言えば、あんたうちの支部の構成員になるそうね」
「正確には外部からの協力者という立場らしいがな」
「そんな些細なことには興味無いわ。結局のところあんたはこれから私たちと共に戦う仲間な訳でしょ?」
「まあ、そうなるな」
「……そう、ならこれからよろしくね。私の名前はイレーネよ。」
「あら珍しいわね、イレーネから自己紹介を始めるなんて。明日は大雨でも降るのかしら」
そう言ったのは、華章のエンブレムを縫い付けた外套をその身に纏ったシエル。
「煩いわよクソ女!」
「はわわわ。相も変わらずイレちゃんは口が悪いのです。そんな風だから街の住民から怖がられてしまうのですよ? ……ああ、あと私はシーラなのです。これからよろしくお願いするのです、ユウくん」
シエルとイレーネの軽い口喧嘩を遮るかのように二人の間に入ってそう自己紹介したのは栗毛の少女。
「ユウくん!? いきなり馴れ馴れすぎんだろっ!」
「あはははっ、シーラはいつでも誰に対してでもそんな感じだから気にしちゃ負けだよ。それと僕はカイン。これからもよろしくね、ユウト」
「いや、お前の自己紹介を聞くのは二回目だぞカイン!?」
「まぁまぁ、そんな勢いよく突っ込まなくても社交辞令みたいなものだよ」
「今回の新入りは活きがいいわね。ちなみに、あたしは五-三支部の副支部長とあのクソダサファッション野郎の秘書を形式上兼任しているシエルよ。一応あなたの上司になるんだからちゃんと敬いなさいよねっ!」
そうは言うものの、シーラみたく見た目が幼い少女てあるためにどれだけ威張っても権威が微塵も感じられない。
「はいはい、善処しますよっと。……なぁカイン、シエルもシーラと同じ様に見た目の割に実年齢がアレなパターンなのか?」
「あはは、ユウトは面白いことを聞くね。……ここだけの話、彼女は正真正銘文字通りのお子様だよ。ただし自他ともに認める本物の実力者だけどね」
「まじかよ。天賦の才能ってやつか」
「カ~イ~ン~、聞こえてるわよ。次お子様って言ったら給料全カットするからねっ!」
とそう口を尖らせて言う姿はお子様感を増大させるだけなのだが、彼女がそのことに気付く頃には心身共に大人になっているだろう。
五人が歓談を始めてから三十分が経過した頃か。
先頭を走っていたイレーネが声を張り上げた。
「敵影を捕捉、視認できる数は……六、八……計十一体!私が先陣を切らせてもらうわ!シエルたち、援護は任せたわよ!」
「任せて頂戴、撃ち漏らしたのはこっちで処理するからカインとシーラは魔力探知で透過型に警戒よろしく!」
「了解」「オッケーなのです!」
敵影を捕捉してからあっという間に四人は明らかに戦闘慣れして洗練された連携を取っていく。
そうしてイレーネがその背に携えた巨大な大剣を抜きはなち、
「燃え盛れ、災厄の炎剣!!」
爆炎を纏った必殺の一撃を振り下ろした。




