スイスに旅行に来たと思えばいいかもしれない
頭を金属バットで殴られたような衝撃があった。
目を覚ますと、スイスの山小屋のような家が目の前にあった。辺りは木々が生い茂り、その隙間からのぞく空は突き抜ける青さが広がっている。
少し歩くと丘に出た。眼下には鏡のごとき湖が広がっていた。
ああ。おれもこっちの世界に来ることになったのか。
しみじみ思った。後頭部をさすってみたが、こぶ等はない。痛みももはや記憶だけで、現実には残っていない。
十年ほど前から、主に若い男性が行方不明になるという事件が起こるようになった。忽然と姿を消すのだ。怪現象としてネットやテレビを賑わせたが、たまに、行方不明になったものが見つかった。そのものたちは異世界を旅していたという。
最近は行方不明になる人数も指数関数的に増えて、おれのいた大学でも十人にひとりくらいの割合で消えていた。
だから、学食で飯を食っているとき、頭にあの衝撃を感じて、スイスの山小屋みたいのが目の前にあって、おれはすぐに気がついた。おれもこっちへ来てしまったのだと。
さて。これからどうするか。おれは草の上に腰掛けた。青草の匂い。日の暖かさ。向こうには白雪のかかった山々が連なっている。目の前の景色は絶景と言えば絶景だ。スイスに旅行に行く手間が省けた。暗黒世界じゃなくてラッキーと言えばラッキー。暗黒世界から生還した奴は完全に精神を壊していたからな。
どのくらい景色を眺めていただろう。時計に目を落とすと、まだ昼休みの時間は終わっていない。時計は、動いている。ソーラー時計だから太陽みたいなのが照っている限り動くかな。携帯は圏外だ。これは電池がなくなったらお仕舞いだろう。
おれはさっきの山小屋に戻った。山小屋と言っても日本の一軒家よりは大きいか。石造りの立派な物だ。扉も分厚い一枚板が使われている。
人の気配がする。おれは扉をノックした。
はーい、という若い女の声。これはアタリかな。おれはちょっと髪型を気にしてみた。
バタバタと近づいてきて扉が開いた。
アタリなんてもんじゃなかった。長いブロンドの髪。美しい上に可愛い。その辺のクラビアアイドルの可愛さと、ハイブランドのモデルの美しさを足して二で割った感じで、なるほど、帰ってこない奴らが多いのも納得だ。
おれが身の上を説明する前に、女は、「うそっ!」と目を見開き、おれの腕を取って家の中に引き入れた。