知りたくなかった隙間女の真実
『隙間女』という都市伝説を知ってる?
これは友達の友達から聞いた話なんだけど。
その人のお兄さんは社会人で、アパートに一人暮らしをしているんだって。
それでね、ある日、部屋に一人でいるときに、視線を感じる気がするようになったの。
どこからか、「見られている」って、そんな感覚がするの。
もちろん、部屋には彼しかいない。
ベッドの下とかクローゼットの中とかいろんなところを調べたんだけど、誰も見つからない。
だからきっと気のせいだって、忘れてしまったの。
ところが、その感覚はその日から毎日続くようになった。
ずっと誰かが見ている、普通に生活しているときも、夜寝ているときもずっと誰かに見られている。
だから毎日、毎日、ベッドの下とかクローゼットの中とか、人の隠れていそうなところはいつも確認しているけど、それでも誰も見つからない。
考えすぎだろうか、被害妄想なのだろうか。
そんな風に考えるほどになっていた。
だけどね、彼はある日、ついに見つけることになる、その視線の主を。
彼の部屋のタンスと壁の間、ほんの数ミリの隙間に、女が立っていた。
彼女はじっとこちらを見つめ続けていたの。
………………………………………………
…………………………
……………………
*
空はどんよりとした雲におおわれて、まだ昼の二時というのに薄暗い。
夏の熱気と湿気をはらんだ停滞した重い空気が流れていた。
不快な暑さ。そんな蒸し暑い日、私はメモを片手に古いアパートの前に立っていた。
「来てしまった……」
私は大きくため息をついて、アパートを見上げる。
駐車場があった場所は雑草で荒れ放題。
看板は赤さびで汚れ、柵には蔦が絡まっている。
壁はぼろぼろで、窓ガラスが割れている部屋もある。
元々、不便な立地にあり、人があまり来ない。
確かに心霊スポットと噂されるだけのことはある。
「はあ……」
私はため息をついて、自分の服装を見る。
セーラー服にスカートという学生服姿。
やっぱり一度着替えてきた方がよかったのかも……。
こんな人気がないところに制服姿でうろついていたら、お巡りさんに補導されても文句は言えないな。
いや、まあ、今は昼の二時ごろだから大丈夫か……。
それにしても暑さのピークは過ぎたとはいえ、まだ十分に暑い。
私がなぜこんなおんぼろアパートに来たかというと、それには理由がある。
夏休みの初日、深夜に仲のいいグループメンバーで、この廃アパートで怪談話大会をしようと考えているのだ。
最初は学校で怪談話大会をやる予定だったのだが、最近学校のセキュリティが厳しくて断念。
誰かの家では家族を説得するのがめんどくさいというわけで、私が心霊スポットで怪談話大会をやろうと提案したのだ。
そしてみんな賛成してくれたのだが、言い出しっぺの法則で私は心霊スポットを探す羽目になった。
こんなことなら提案するんじゃなかった。
墓場とかトンネルのような屋外の心霊スポットはさすがに虫とか出たら嫌だし、屋内の心霊スポットを探すことになったが、汚いところは嫌だ。
なので比較的きれいな心霊スポットを探すことにしたのだ。
そして見つけたのがこの場所だった。
どうやらうちの学校の一部の人間には有名な心霊スポットで、私も部活の先輩から聞いたものだ。
うちの学校にこんな場所があるなんて知らなかった。
しかもこの場所はちょっと特殊な噂が流れているのだ。
どうやらここのアパートの三階の一番奥の部屋には『隙間女』が出るらしい。
『隙間女』の話自体はネットの怖い話を集めたブログで読んだことがある。
その話は『隙間女』を見つけて終わりだったので、一人暮らしの男がどうなったかは書かれていないし、そんな数ミリの隙間なら中にいるのが女どころか、それが人間かどうか判別できないだろうと、いろいろ突っ込みどころがある怪談だと思った。
だから『隙間女』を見たという噂も、あんまり信じてない。
きっと誰かが怖がらせようとつくった噂話だろうと、私は推測している。
だけど、どんな場所か確かめようと思って、今日は下見に来たのだ。
さすがに夜に一人で行く勇気はなくて、昼に来たというわけだ。
幸い今日は期末テストの最終日で、学校は半日で終わった。
部活が解禁されるが、うちの部活は比較的、ゆるい部活なので、仮病を使って休むことにした。
単なる仲間内の怪談話大会なのに、下見に行くって、私ってすっごく真面目じゃない?
そんな風に自分をほめながら、私は周りを見回した。
たとえ廃アパートだとしても、不法侵入なので、人がいないか確認する。
誰もいないことが確かめたら、私は錆びてボロボロの階段を昇り始めた。
噂を聞いた先輩の話によると、その部屋は家具がそのまま残っており、いつまでも放置してあるらしい。
そのせいで、家主が自殺したとかとか、事故死したとか、さらには行方不明になったなど様々な憶測が飛び交い、心霊スポット扱いというわけだ。
肝試しや度胸試しとして、うちの生徒が何人か入ったりしているらしい。
そんなことを考えているうちに、例の部屋、ドアの前まで来ていた。
三階の一番奥の部屋――、この部屋に"出る"らしい。
部屋の前まで来ると、さすがに緊張する。
廃アパートだとしても、誰かが管理しているのだろうし、もしかしたら鍵がかかってるかもしれない。
と、今さらながらそんなことを思う。
ドアノブに触れると、ひんやりと冷たかった。
意を決して、ドアノブをひねる、するとドアは簡単に開いた。
「うっ」
ドアの開けた瞬間、埃っぽい臭いが鼻につく。
そして暑くむっとした空気が流れ込んできた。
それを少し不快に思いながら、ドアの間から顔を入れる。
「…………だれかいますか~」
か細い声で、部屋の中に届くくらいの声量で呼びかける。
先輩の話ではうちの生徒が入ったりしているそうだし、もしかしたら誰かいるかもしれない。
………………………………………………。
数秒、待ってみるが誰もいないみたいだ。
私は部屋の中に足を踏み入れることにした。
当たり前だが、玄関には靴はない。だが誰かが出入りしているのか、土で汚れていた。
廊下の床を見る、思ったよりは汚くなかい。これなら靴を脱いでも大丈夫だろう。
私は靴を脱ぎ、靴下で廊下を歩く。
生活感はなく、よどんだ空気が流れている。
私は部屋の中へ足を踏み入れる。
部屋の中を見回してみる。
家の立地が悪いのか、窓から光が入りづらく、昼だと言うのに薄暗かった。
床には空き缶や菓子の袋が散らばっていて、誰かが出入りしていたのは間違いない。
ベッド、クローゼット、タンス、机。
家具はそのまま残っている、誰かの部屋だったらしい。
――突然、全身に寒気が走る。
部屋の中、たしかに視線を感じるような、気がする。
いやこれは私の一方的な思い込み、被害妄想だろうか。
私の目は自然と隙間を見てしまう。
机と壁の隙間。
タンスとクローゼットの隙間。
ささいな所が気になりだす。
タンスと壁の隙間、カーテンの裏側、机の引き出しの隙間、ベッドの下の空間、天井の板の目、コンセントの穴、壁の画鋲で開けた穴の跡。
視線、視線、視線――。
全身をなめまわすような視線を感じる。
隙間という隙間に目があるかのように錯覚をする。
そう錯覚、……錯覚のはずだ。
被害妄想が膨らんでいる。
至るところにに誰か、いや何かいるような気がしてならない。
そこまで気になるのなら、調べればいいと思うかもしれないが。
でも、もし調べて、そこに何かあったら、私はどうすればいいのかわからなくなる。
気が付かなければ何も起こらない。
根拠はないが、そう思い込む。思い込んでしまった。
そう、気が付かなければ、気が付かなければ。
「ここには何もないようね」
私は独り言にしては少し大きな声が出る。
声はか細く震えている。
「さっさと帰ってしまいましょう」
私の声は言い訳めいて聞こえた。
私は何も見てない、気づいていない。
だから、あなたたちも手を出さないでねと、そういうことだ。
…………あなたたちって誰だよ。
私の妄想は大きく膨らむ。
いやこれは妄想なの? わからない、わからないけど、もうここにはいられなかった。
私は部屋から出ようと、ドアに体ごと振り返った。
……………………!
振り返ったときとき、一瞬、ほんの一瞬、なにかと目があった。
体を動かせない。背筋に氷を当てられたような寒気が走り、大きく体を震わせる。
タンスと壁の隙間。十数センチの隙間。怪談通り、数ミリとはいえないが、それでも人が入るには不可能な隙間だった。
見たくない見てはいけない。
心の中で叫ぶが体は言うことを聞かない。
それどころか、まるで操られたかのように、隙間の方へ向く。
タンスと壁の……、隙間の中へ。
吸い込まれるようにその中を覗いてしまう。
…………………………………………!
いた。
それはいた。
暗い隙間の中、それはいた。
隙間に挟まって、顔はつぶされ、醜くしわだらけ。
腕は体にのめり込み、両足はそろえて潰される。
人間があんな狭い隙間に入って、生きているわけない。
それは私を、動かずにじっと見ている。
呼吸も瞬きもせずにじっと見ている。
タンスと壁の隙間。
暗い隙間の中――それと目があった。
「ひっ――――――!」
呼吸が止まる。
わずか数センチの隙間の中に誰か立っていた。
無機質な瞳。
それは何も言わず、まばたきもせずに私を見ている。
人間の体があんな場所に入るわけがない。
顔と体は縦長に潰れ、醜くしわの寄った顔。
頭が真っ白になり、思考が停止する。
足は震え、そのまま崩れ落ちる。
私はその女から目が離せないでいた。
どのくらいそうしていたのだろうか。
何かおかしい。
隙間女はじっとこちらを見ているだけで何もしてこない。
あれは、本当に隙間女?
私はスマホを取り出し、電灯アプリを起動する。
ライトを照らすが、隙間女は身動き一つしない。
私は思い切って、隙間に近づき、隙間に手を差しこむ。
指が"彼女"に触れ、すぐに手をひっこめる。
隙間女は反応しない。
もう一度手を入れて、"彼女"に触れる。
ざらざらとした手触り、そして弾力がある。
あれって、これって……、幽霊じゃない?
私は思い切って、"彼女"を掴み引っ張り出す。
ズズズ――、ズズズ――、
タンスと壁のこすれる音。
人の重みを感じない、もっともっと軽い。
ズズズ――、ズズっ――
そして引っ張り出されたものは抱き枕だった。
女の子がプリントされた抱き枕。
私と同じくらいの大きさだ。
身長もリアルでプリントされているために、誰かと見間違えたのだ。
……これが隙間女の正体だったんだ。
これを見て、誰かが勘違いして、噂が広まったのだろう。
噂話の真相なんて案外こんなものだ。
それにしても、なんでこんなところに抱き枕があるのだろう。
前の住人のものか、それとも抱き枕の処分に困った人がここに隠したのか。
いずれにしろ見られたら恥ずかしいので、ここに隠したのだろう。
案外、隙間女の怪談の真相も、これが真実かもしれない。
しわになってよれよれ。
抱き枕――いや正確には抱き枕カバーだが、そこにプリントされているのは制服姿の少女だった。
しかもこれはアニメキャラのプリントじゃなくて、実際の写真を引き伸ばしたものがプリントされている。
「…………気持ち悪い」
アニメのキャラクターの抱き枕もどうかと思うけど、実在の人物をプリントした抱き枕なんて……。
性的趣向は人それぞれとはいえ、生理的嫌悪感が沸き立つ。
それを抱いて寝ている男の姿を想像してしまう。
そうだ、これを抱いて寝ているということは、それを使っている人間の汗とか体臭とかしみついているのだ。
そう考えたとたんに、この抱き枕がなにだか汚らわしいものに思えてきた。
さて、どうしようか。
元の場所に戻そうかと考えたが、もうこの抱き枕は触りたくない。
もうこのまま放置してしまおうか。
「あれ……」
ふと私は気づいてしまう。
この制服、見覚えがある。
「え……、でも、これって……」
この抱き枕にプリントされたこの女の子って……。
部屋の中、急に陰りが出てきた。
(違う、私の後ろに誰か立っている)
肩に手を置かれる感触。
どこか嬉しそうな、ねばり気の含んだ男の声がした。
「みたね」
抱き枕にプリントされていた写真の少女は、私だった。
この話は自分なりの隙間女の解釈を入れてみました。
抱き枕だったらある程度の隙間に入るし、見間違えても仕方ないんじゃないかな、という感じです。
ここまで読んでくださってありがとうございました。