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習作短編集  作者: 脱兎
7/10

7,バナナの皮

 


 これは俺が小学校低学年の時に体験したことである。

 俺は当時、学校が終わった後の毎日のおやつを楽しみにしていた。給食はもちろん食べたが、それでも午後の授業を受ければ腹は空いてしまう。よく体を動かす子どもだったからなおさらだ。

 その日のおやつはバナナだった。

 おやつといえばケーキやらクッキーやらが定番だし、そちらの方が嬉しいものである。俺はがっかりして、


「えー、今日のおやつバナナァ?」


 と、生意気にもそんな文句をこぼした。

 正直に白状してしまうと、俺はバナナが苦手だった。味はまあまあ悪くないのだが、皮を剥くのが面倒でたまらなかったのだ。うちにあるバナナの質が総じて悪く、甘みが足りなかったことも拍車をかけていた。

 しかし、文句を言ったところで代わりが出てくる訳でもない。親は共働きで夜まで帰ってこない。

 俺は六畳間にちょこんと置かれたちゃぶ台の前にあぐらをあき、「いただきまーす」とバナナの皮を剥き始めた。

 その日のバナナは特に固かった。皮が分厚く、剥きづらい。俺は苦労してバナナの白い素肌を露わにすると、憎っくき皮をぽーんと後ろの方に放り投げた。バナナの皮は玄関の辺りに転がった。

 構わず俺はバナナにかぶりついた。


 うーん、まずい。


 甘くないどころかほぼ味がしなかったのだ。ねちょねちょ舌に絡みつく食感も、あまり俺の好みではない。農家の方には申し訳ないが、単なるエネルギー補給のために俺は大急ぎでバナナを呑み下した。

 なぜ急いだかというと、このあと予定があったからである。その頃俺は学校のあと、毎日のように友達と会って遊んでいた。小学生とはいえ、友人付き合いは大切である。のんびりおやつを食べている時間はない。


 そんなこんなでおやつタイムを早々に終えると、玄関へ走り俺はさっさと家を出ようとした──が、それは叶わない。俺は頭からすっ転んだのだ。


「うわあああ‼︎」


 突如世界が回り、おまけに身体のいたる部分をぶつけ、俺はパニックになった。あちこちが痛む。何が起きたのか理解出来ず、俺は辺りを見渡した。

 足元にはバナナの皮。


 そうか、俺はバナナの皮を踏んで転んだのか。


 そんなことを把握するのにも、少し時間が掛かってしまった。

 未だバクバクしている心臓を抑え、俺は足に力を入れる。しかし、これは地獄の始まりに過ぎなかったのだ……。


 つるんっ。漫画だったらそんな効果音が飛び出してくるであろう見事な転びっぷりで、俺は再度一回転した。一度だけではない。

 つるん。つるん。その後も俺は滑りまくった。転んでも転んでも、起き上がろうとする度にバナナの皮が足の下にあるのだ。それを踏むと否が応でも頭から後ろにすっ転んでしまう。


 まさに無限ループである。自力では抜け出せない、ループ地獄に俺は陥ってしまったのだ。


 結局、いつまでも来ない俺を心配して迎えに来た友達に手を貸してもらって、事なきを得たのだが。

 救出された時俺は傷だらけで、「もうバナナの皮を捨てたりしない!」と叫んだそうだ。

 満身創痍になった身体に、バナナの皮のトラウマを刻み付けられた。それっきり、俺はバナナの皮を無下に扱うことが出来なくなった。ゴミ箱に捨てることすら抵抗があるのだ。ゴミ箱の中からこっそり出て来て、いつの間にか俺の足元に這い寄っている気がして……。


 それからのことだ、俺はバナナを皮ごと食べるようになったのは──。



「ウッソだー! ただ家が貧乏で、バナナの皮すら捨てるのが惜しかったからでしょ?」


 俺の長いバナナの皮の話を聞き終え、美紀江みきえは吹き出した。

 確かに今の『バナナの皮で無限ループ地獄に陥った』などという話は全部うそっぱちだ。当たり前である。漫画じゃないんだから、そうそうバナナの皮なんぞで転んでたまるか。


 俺の家は貧乏だった。六畳一間の木造アパートで、家族三人慎ましく暮らしていた。両親共に働きに出て、ようやく生活できていたのだ。

 俺のおやつはいつもバナナだった。母はスーパーでパートをしていたから、安く手に入りやすかったのだろう。


 何しろ貧乏なもので、夕飯のおかずなど期待できないから俺はいつも腹を空かしていた。バナナの皮を捨てることすらもったいなく感じてしまうほどに。

 だから俺はバナナを食べる時、いつも皮ごと食べるという癖を身に付けていた。皮はうまくないが、少しでも多く食べ物を腹に入れたかった。


 うちが貧乏であるということは、学校の友達には隠していた。恥ずかしかったからだ。

 しかし給食でバナナが出て、つい油断して皮ごと食べてしまったことがあった。

 目を白黒させる友達に、俺はとっさにあの嘘話をしたのだ。


「かっちゃんの貧乏話、面白いなあ。また聞かせてね。……そうそう、バナナ食べる?」


 美紀江はひとしきり笑うと、テーブルの上に置いてあったバナナを一本の取り、俺に差し出した。


「ん、もらう」


 それを受け取り、俺は自然とバナナの皮を剥く。

 もう、バナナの皮を食べる必要はない。


 今では一人前に仕事をし、そこそこの給料をもらっている。あの頃の辛かった記憶である貧乏話を、恋人と笑って話すことすら出来る。

 俺は今、幸せだ。だからこそ。


「……美紀江」


「うん?」


 美紀江は首を傾げた。きょとんとした仕草が可愛らしくて、俺は少し目を泳がせる。

 にわかに心拍が上昇して来た。何も今じゃなくても。俺の心の弱い部分が叫び始める──ムードを考えろ、と。

 俺は首を大きく横に振った。そんなこと言って、もう何日経ったと思っているんだ。


 言ってしまえ、今日こそ。


 覚悟を決めると、俺は鞄の中から手に収まるほどの小さな箱を取り出し、


「美紀江。俺と結婚してくれ。

 絶対に幸せにする。苦労はかけるかもしれないが、少なくともバナナの皮を心置き無く捨てられるくらいの生活は保証する」


 そう言って彼女にダイヤの指輪を見せた。ベタだが、給料三ヶ月分。美紀江の細指に似合うようデザインはどれか、と寝ないで考え選び抜いた物だった。


 美紀江はどんな顔をしているだろうか? わからない。俺は顔を下に向けたまま、上げることができなかった。

 やっぱりこんな場面でプロポーズなどするべきじゃなかったんじゃないか。

 美紀江からの返答がなかなかなかったのも、俺の不安を煽る結果となった。


「──かっちゃん。ありがとう、嬉しいです。でも」


 ようやく返ってきた美紀江の言葉。

 でも? でも、なんだ? せっかくのプロポーズの言葉に、バナナの皮なんかを組み込んだことが嫌だったのだろうか。指輪のデザインが気に入らなかったんじゃないか。


 美紀江がぐっと息を呑んだ音がした後で、


「でも……私。

 かっちゃんとだったら、バナナの皮を食べる生活だって幸せだから」


 俺はハッとして顔を上げる。

 かっちゃんは嫌がるかもしれないけど、と言葉を紡ぐ美紀江の薄く上気した頰に、透明な涙が伝っていた。



お題:『ループ』『バナナ』『かばん』


かばん要素が果てしなく薄いです!

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