3,『天使と死神』
僕の目の前には今、二人の人物がいる。
一人は真っ黒なスーツを着込んで、髪をぴっちりと七三分けにした人の良さそうに見える青年。整髪料の臭いが彼の周囲に漂っている。
そしてもう一人は、真っ白いワンピースから素足を覗かせる、美しい女性である。彼女の背中から伸びる翼が、その華奢な身体を優しく抱いているのが印象的だ。
「いかがでございますか? 私どもにお任せいただければ、あなた様の旅立ちはより意義のあるものになるかと思いますが」
口火を切ったのは黒い青年の方だった。
薄気味悪いほどの笑みを浮かべ、前傾姿勢で僕に詰め寄ってくる。
「いいえ! お亡くなりの際は、ぜひわたしたち天使をお呼びくださいね? 昔から相場が決まっているでしょ。善い行いをした者の最期は、天使によって締めくくられるんですよ」
そこに、女性が横槍を入れた。彼女は豊かな胸をそらし、純白の翼が少しだけはためく。その結果発生した風が、そっと僕の頰を撫でた。
「わたしと天界に行きましょ? 楽しいですよ。
ほんの少しなら、その、えっちなことも……はうぅ」
彼女はそこまで言うと両手で顔を覆い、俯いた。
耳まで真っ赤だ。おそらく、このような台詞は言い慣れていないのだろう。
大変可愛らしい様子ではある。が、こちらとしても私情を挟むわけにはいかない。
僕は少し悩んでから、テーブルに置かれた二枚の用紙の空白欄に、共にバツ印を書き入れた。
「そ、そんな……!」「ええーっ! わたしのどこがダメだったんですか!?」
二人はそれぞれ驚きを漲らせ、目を見開いて僕の言葉を待っている。
「……まず、死原くん。君はよく勉強をしていると思う。人間は第一印象を重要視するからね。
昔ながらの死神じゃ誰も見向きもしないけど、今の真面目なビジネスマンの姿なら耳を傾けてくれる人もいるだろうね」
「はい! ありがとうございます!」
黒いスーツ姿の死原くんは嬉しそうに表情を緩める。
「だけど、君の言葉には具体性がないんだよ。
死神に魂を委ねたらどんなメリットがあるのか、その辺りを説明しなきゃ。
あと整髪料付け過ぎ。臭いから」
「はい……」
見習い死神、死原くんは萎れたように肩を落とした。
「次、天川さん」
胸のあたりに手を合わせ、いつになく真剣な顔をする、見習い天使の天川さん。
「君はね、ある意味では満点なんだけど……。
やはり、教師として色仕掛けを評価することは出来ないな」
「そう、ですよね……。わたし、今年こそ卒業したくて、こんなことを。先生、すみません」
天川さんの翼の先端がことんと床に垂れた。
「そ、そんなに思い詰めないで。発想自体は良いと思うよ。
男性死者には効果があるだろう。
だけど、相手が女性だったら使えない手だし、男性の中にも不快に感じる人がいるかもしれない」
慌ててフォローを入れる僕の額には、冷や汗が滲んでいる。とりわけ女生徒への対応には念を入れなければならない。その辺りは、人間も天使も死神も変わらないのだ。
僕は死原くん、天川さんと交互に視線を向けて、
「それから……これは二人に共通して言えることだけれど。
君たちの勧誘では、人に死を決断させることはできないよ。
君たちの仕事は死んだ人の魂を集めるだけじゃない。寿命をとうに過ぎてもなお生きる人間に、死が絶対的な悪ではないことを教えて、魂を正しく導くことも含まれているんだ」
「「正しく、導く……」」
二人の声が重なった。
科学技術が発展して、人間は生物の細胞を若返らせることに成功した。
それと同時に、病気や事故で破損した細胞を再生させる技術も確立された。これにより、人間から死という概念が撤廃されたのである。
『死』というものは概念上の存在に成り下がってしまったのだ。
そんな現状に危機感を抱いたのが、天界の神様と冥界の閻魔大王だった。
このままでは、魂が人間界から戻ってこなくなってしまう。それを危惧した御二方は、今までの魂を巡る対立関係を忘れて初めて手を取り合った。
死を忘れようとしている人間たちを、どうにかして真の魂の行き着く先である天界や冥界に呼び戻さなければならない、と。
その新たな役割を与えられのは、神の使いである天使や冥界に魂を連れて行く死神たちだった。
しかし、唐突に魂の呼び込みを命じられた彼らの多くは、何から手をつければ良いか分からず、途方に暮れた。
以前までの天使や死神は、死んだ人間から飛び立つ魂を捉え、それぞれの主が待つ異界へと連れて行くだけでよかったのだ。何しろ、それまで人間は放っておいても死ぬ生き物であり、死んでしまえばどちらかの異界へ行くのが当たり前だったのだから。
それが突然、ただ釣り糸をのんびり垂らすだけではなく、自ら積極的に勧誘を行わなくてはならなくなった。
ここは、急な職務の増加についていけない死神や天使、あるいはこれからそれらを志す者たちの為の学校。
いかに人間を死へと誘導し、魂を各々の異界に引き戻すのか──話術や人間の思想、流行を学ぶ場である。
天使と死神が分け隔てなくクラス分けされている理由は、席を並べながら勉強することで、互いの競争心を刺激するという目的がある。
そこで僕は、どういう因果か唯一の人間の講師をやっている、という訳だ。
今日は年に一度の試験。教師を相手にした勧誘の実技テストだった。
「先生、一つ質問をしていいですか?」
死原くんが小さく挙手をする。彼は勤勉な生徒だ。
僕が人間の学校の教卓に立っていた時ですら、こんなに熱心な学生は滅多にお目にかかれなかった。
僕は頷いて、死原くんを促す。
「試験には直接関係のないことなのですが。
先生は人間でいらっしゃいますよね?
なのになぜ、我々死神や天使への指導をしていただけるのですか。
人間にとって、死を免れるという現状は大いに歓迎されるべきことだと思いますが」
「そうだね……。確かに、短い目で見れば、死の恐怖から逃れられる世の中というのは、冗談抜きで天国みたいなものだろう。
だけど、人間に限らず生物にとって変化というものは必要なことなんだよ。
死という変化が無くなってしまうと、世界は停滞してしまうんだ。
すると人間は変化を求めるようになる。たとえそれが暴力であっても」
死という抑圧をなくした人間は、生への喜びを感じられなくなる。すると、目先の快楽に走るようになり、暴力や強奪行為へのトリガーが随分と軽いものになってしまう。
僕はかつての教え子たちの惨劇を思い出していた。
彼らは、元々は善良な生徒たちだった。みんな仲が良く和気あいあいとしたクラスだったのだ。
その風向きが変わった原因は、人間に死の恐怖が失われたことだった。
始めにクラス内にいじめが起こった。発生当初は数人間の問題だったそれは、僕がなんとか鎮火させようと必死になっている隙に、あっという間にあちこちに飛び火していた。もう、小火では済まされないところまできていた。
対象となっていた生徒が転校し、自体が下火になったところで僕はいじめの主導権を握っていた生徒に、なぜこんなことをしたのかを尋ねた。
その時の彼の言葉が忘れられない。
『良い高校に行こうとかそういうの、もうどうでもいいし。やなこと我慢するより楽しんで暮らした方がいいじゃん。それにあいつ、前からムカついてたんだよ。
どうせ死なないんだしさ、なにしたっていいじゃん』
彼は酷く淀んだ目をしていた。
その時、僕は気付いたのだ。絶望ともいうべき死が無くなったことで、皮肉にも彼は目標を失ったのだ。
終わりがない人生。最初は楽しいのかもしれない。
しかし、いずれ訪れる死を見据えて、『ならばよりよい人生にするために、ここで努力をしておこう』といった当たり前の感情が失われてしまった。
なにも彼が特別であったわけではない。遅かれ早かれ、全人類がそのことに気が付き、将来に希望を見出さなくなるだろう。今だけが楽しければそれでいい、というあまりにも幼稚な風潮が植え付けられていくのだ。
そうなれば、僕のクラスで起こった悲劇が全世界の日常風景に変わってしまうのは想像に難くない。
そんなことになれば、最早この世は天国でもなんでもない──地獄だ。
僕は手を尽くして死の撤廃を取り払おうとしたが、個人の力ではそれは叶わなかった。それどころか僕は異端者として疎まれ、職も居場所も失った。
そんな折に、とある天使に『この先例のない学校の教師になってみないか』と誘われ、この世界をあるべき姿に戻すために、天使や死神へ教鞭を振るうことを決意したのだ。
「先生……あの! わたし、いつか立派な天使になれたら、先生やご家族の方をお迎えにあがりますからね!」
「な……! 先生、天界などではなく、ぜひとも冥界にいらしてください。ゆったりと落ち着ける、いいところですよ。天使には冗談の通じない連中も多いですが、大抵の死神はブラックジョークが上手です。
冥界への旅路は楽しいですよ」
「なによもう! わたしたちだって面白い小噺のひとつやふたつ、言えるんだから」
そう言って二人の生徒はいがみ合いを始めた。
僕はそんな両者を微笑ましく見守る。まだまだひよっこの彼らだけど、きっとそう遠くないうちに一人前になり、それぞれの役割を胸に地上へと降り立つのだろう。
僕は人類の未来を救うであろう二人の見習いに、心の中でエールを送った。
お題:『天使』『死神』『先例のない高校』
お題では高校となっていますが、学校として書いてます。二日目から遅刻!
元々コメディの予定だったのですが、雲行きが怪しくなり重い話になってしまいました。それに伴い、話が長くなり途中で寝落ちorz
できたら今日中にもう一本あげたい