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習作短編集  作者: 脱兎
2/10

2,男だけに効く毒



「ねえ見て、春貴はるきくん。可愛いでしょ?」


 そう言って優里ゆりは、俺の知らぬ間に置かれていたケースの中の生物を眺めている。

 

「あ、ああ……優里は好きなのか? こういうの」


 そんな優里に、俺は素直に同調してやることが出来なかった。


「だって、模様が綺麗なんだもの。そう思わない?」


 優里は長い睫毛を伏せると、愛おしそうにプラスチックケースを撫でた。

 嬉しそうな顔をする彼女を、俺は遠巻きに見つめるだけだ。


 優里は現代にしては珍しく、昔ながらの古風な女である。

 一度も染めたことが無いらしく、枝毛の一つも見えぬ艶やかな黒髪。色白の肌に、派手な色のアイライナーやチークを塗ることはほとんどしない。

 巷に溢れる露出狂と紙一重の格好で出歩く女どもとは違い、肌を見せるのに抵抗があるらしく、ファッションはいつも落ち着いている。露出は控え目だし、以前首に怪我を負い、その傷跡が残っているからと、冬にはマフラーやストールを、夏でもタートルネックなどで首元を隠していた。


 付き合い始めて半年、おまけに同棲までしているのに未だに体を許さない身持ちの固さには面を食らったが、俺はそんな優里の全てを愛しているのだ。


 そんな大人しいとばかり思っていた彼女の意外な一面を垣間見て、いま俺は少なからず驚いている。


「……本当に飼うのか? ここで?」


 つい溢れてしまった本音に口元を抑えたが、もう遅い。優里は通った鼻筋をこちらに向け、悲しげに瞳を潤ませた。


「春貴くん、こういうの好きな女の子嫌い……?」


「いや! そんなことは……でも、餌はどうするんだ」


 慌てて話題をそらすと、優里は真新しいプラスチックケースに視線を戻す。


「大丈夫よ、ちゃんと私が面倒を見るから」


 その横顔は慈愛に満ちていた。もし家庭を持ったら、彼女は自分の子どもにも同じように優しい顔を向けるのだろう。俺はそんなことを想像し、頰が緩んでしまうのを抑えられない。

 しかし、彼女が愛情深く見つめているモノが嫌でも視界に入ってしまうと、どうにも顔が強張ってしまうのだった。


「最近はペットでも人気らしいのよ──()って」


 その声に反応したように、ケースの中に入れられた小型の蛇は鎌首をもたげた。それと連動して、俺の身体に鳥肌が立つ。


 体長二十センチ程のその蛇の身体は鮮やかな朱色で、所々に黒いティアドロップ型の模様が散らしてある。美しい柄と言えなくも無いが、爬虫類特有の感情のない、冷たい目に睨まれると、背筋に冷たいものが走った。


 しかし、楽しそうに鼻歌なんぞを奏で始める彼女を前に、それ以上何かを言うことは憚られる。

「名前、どうしよっか?」と微笑む優里に俺の方が折れ、結局新たな同居生物をおとなしく受け入れることになるのだった。



◇◇◇


「そんなわけで、蛇を飼うことになったんだよ。

 昨日、優里が突然買ってきてさ」


 翌日の昼休み。休憩室でたわいもない雑談をする合間に、俺は同僚の高橋にそんな愚痴をこぼした。


「へえ、意外だな。彼女さん、蛇なんか好きなのか」


 高橋は愛妻弁当を箸でつつきながら答える。俺が恋人と同棲を始めたことを知っている、数少ない社内の人間である。


「これくらいの小さい蛇でさ、赤っぽい色で黒い模様があって……」


 手振りを交え、俺が新たなペットの説明をしていると、高橋は見る見るうちに顔色を変え、


「おい、それってまさか、"リスソッドスネーク"じゃないだろうな」


「なんだ、その変な名前の蛇は」


 俺は顔をしかめる。高橋は食事を中断し、真剣な面持ちで俺を見ている。


「知らないのか。最近動物園で、それに噛まれて死んだ飼育員がいるんだぞ」


「まさか、毒があるのか?」


 あやうく、優里手製の卵焼きを箸から落としそうになった。すんでのところで空中で挟み直し、ことなきを得る。


「ああ。

 しかも──それに噛まれて死ぬのは男だけなんだと(・・・・・・・)

 

「そ、そんな……嘘だろ?」


「本当だよ。なんでもその毒は、一定以上の男性ホルモンに反応して、噛まれると男だけが死んじまうそうなんだ」


 そんなばかな。しかし、高橋のあまりに真面目な表情は、冗談を語っている風に見えなかった。


「まあ、そんな危険な蛇が容易に入手出来るとは思わんがな……。だけど、一応気を付けろよ。その蛇にも、彼女さんにも」


 にわかに味覚が感じられなくなり、食欲がなくなってきた。

 俺はそれ以上弁当を空にする作業を進めようと思えず、そっと箸を置いた。



◇◇◇


 死ぬのは男だけ──。昼下がりの一件以来、高橋の言葉が頭で無限ループしている。恐ろしい蛇がすぐ近くにいると思うと、優里の料理もまともに喉を通らず、布団に入っても腹が悲鳴を上げてまともに眠れない。いや、睡魔に身を委ねることが出来ないのは、優里が隣で寝ているせいなのか。


 俺は優里を起こさぬよう、頭から掛け布団をかぶりながら、スマホで『リスソッドスネーク』と画面に打ち検索を試みる。

 

 一番上に表示されたサイト名をクリックすると、すぐに映し出された画像に俺は息を呑んだ。

 赤みの強い鱗を持ち、身体のあちこちに黒っぽい雫型の斑点がある蛇の写真。微かに見える蛇腹は意外にも綺麗な白色をしていたが、牙を剥き出しこちらを威嚇する形相は邪悪そのものだ。

 昨日見た小さな蛇と同種なのかどうかは、判断がつかなかった。画面をスクロールすると、蛇についての詳しい説明文が載せられていた。


 "リスソッドスネーク。2014年に中南米で発見された新種。当初は無毒であると思われたが、のちに有毒種であることが判明。その毒は特殊な成分を持ち、男性ホルモンの一種である『テストロテン』に反応することから『男だけに効く毒』などと称されることも──"。

 俺はそこで読むのをやめた。しかし他サイトを開いた先で、

『リスソッドスネークに噛まれ、男性飼育員死亡』との記述を発見し、俺の心はさらに重くなる。


 優里が買ってきたあの蛇が仮に"リスソッドスネーク"だったとして、彼女は蛇の毒のことを知っているのだろうか?

 だとしたら、もしや俺を……。

 そんなこと、ある訳がない。俺はぶんぶんと首を横に振った。あの優里に限って、そんな。

 

 こんなに気になるのなら、優里本人に尋ねてみればいい。簡単なことである。

 しかし俺は帰宅してからもそんな自答を何度も続け、結局優里に何も言いだすことが出来ずに今に至っているのだ。


 彼女が全く違う種類の蛇の名前を挙げたなら、それでいい。しかし、もし少しでも言い淀む素振りを見せたら、俺はどうすればいいのだろう。


 長い溜息をつく。明日も仕事だ。無理矢理にでも寝てしまうのが一番良い。

 そんな結論に達し、俺はスマホの画面を消し、瞼を下ろす。

 あとは余計なことを考えまい、と俺は脳内で柵を飛び越える羊を数え始める。その内に、離れていたはずの睡魔達が俺の身にすり寄ってきた。



◇◇◇


 ガサリ。物音がする。耳がそれを目ざとく捉え、眠りかけていた俺の脳を叩き起こした。


「春貴くん、起きてる?」


 優里は囁いた。反射的に、俺は眠り込んでいる振りをする。

 返事がないのを確認してから、優里はそっと寝室を出た。音を立てぬように、すり足で。


 一体なにをしようとしているんだ。何かやましいことなのか──思い当たるのは、あの蛇の存在だった。

 俺は優里が部屋を出て一分ほど経ったところで、布団から這い出る。やはり物音を立てないように。

 こっそりドアを引く。蝶番が軋む小さな音すら、この時の俺には大敵だった。


 短い廊下を渡り、リビングへ続く扉を見ると、すりガラス越しに薄明かりがぽっと付いているのが分かる。


 今、リビングに優里がいる。そして、蛇の水槽が置かれている場所でもある。


 意を決して、俺はドアノブを引いた。


「優里!」


 俺の目に飛び込んできたのは、蛇のねぐらであるケースの蓋をあける、優里の姿だった。


「あ……」


 彼女はケースから手を離し、驚いた表情で俺を見上げている。


「お前、何してるんだ?」

 

 こんな夜中に突然、理由もなくペットと戯れ始めるのは異常だ。


「あの、私……」


「俺を殺そうとしていたんだろ?」


 寝ている俺が抵抗出来ないのを良いことに、蛇に俺を噛ませようとした。そうとしか考えられなかった。

 

 優里が目を丸くする。


「それってどういう……」


「とぼけるな! その蛇の毒で俺を殺すつもりだったんだろ!」


 俺が語気を強めると、優里は怯んだように上目遣いにこちらを見る。


「確かにこの子は毒を持っているけれど、人を死に至らしめる程の効力はないわ」


「そいつ、"リスソッドスネーク"なんだろ?

 飼育員がそいつに噛まれて死んだって聞いたぞ」


「……それは毒の成分と言うより、毒によって引き起こされたアレルギー反応が原因だって、ニュースで言っていたけど」


「何だって?」


 俺は慌ててスマホの電源を入れて、くだんの蛇についての記事を読む。


『リスソッドスネークの毒自体は人間の生命を脅かす程の威力は無く、亡くなった飼育員の死因は蛇毒が引き起こしたアナフィラキシーショックである。

 リスソッドスネークの毒が男性ホルモンに作用するものであることと、この男性飼育員の死亡事故の話が広まった結果、"男性のみが死んでしまう毒"という誤った情報が浸透してしまった。

 実際の毒の効果は男性ホルモンの一種であるテストロテンをエストロゲンに変異させる、というものである』。


「そうだったのか……」


 足の力が抜け、その場に崩れ落ちそうになった。安堵のためだ。

 スマホの画面から顔を上げ、俺は優里を見つめる。

 

「優里、すまなかった。お前のことを疑うなんて……ごめん」


 俺は優里に向けて、こうべを垂れる。


「だけど、こんな時間に起きて何しようとしてたんだよ」

 

 不意に、優里の瞳に影がさす。


「……私、リスソッドスネークを飼うのは初めてではないの」


「同棲する前にも飼ってた、ってことか?」


 優里は小さく首を縦に振った。それから、プラスチックケースの方に愛しげな視線を送る。


「この子たちの毒はね、簡単に言えば女性ホルモンを増やしてくれるものなの。だから、ホルモン注射の代用として、蛇の毒を利用することも出来るのよ。

 そして大抵の場合、毒は頸動脈から取り入れる……なぜなら、蛇に噛ませやすいから(・・・・・・・・)


 小さく息を吐くと、優里はタートルネックで隠れた首のあたりをさすった。


「まさかお前、蛇の毒を──? 」


「……私は美しくなりたかったの。だけどこんなことをしてるなんて言ったら、春貴くんに嫌われるかもって……それで、今まで隠してた。ごめんなさい」


 優里は顔を下に向け、肩を震わせた。

 彼女が常に首元を隠していた理由。おそらく、蛇の噛み跡が残っているからなのだろう。


 俺は彼女の肩を引き寄せ、抱き締めた。


「そんなことで嫌いになるわけないだろ!

 俺は何があったってお前を愛してるんだ。外見なんてどうでもいいんだよ。

 だから、もうこんなことはやめてくれ。いくら綺麗になれるからって、わざと蛇に噛ませるなんて……そんなこと……」


「春貴くん……ありがとう。でも、それはできないわ」


 俺の胸に埋めていた顔を上げ、優里は言った。


「だって……まだ消えてないんだもの、これ(・・)


 優里はそっと長い襟口を掴み、ずり下げる。

 分厚い布地に隠されていた首元──力強く隆起した喉仏(・・)が、そこにはあった。


「何があっても愛してくれるのよね?

 ──たとえ私が元男性(・・・)でも」



お題:『男』『毒』『眠れない』


何でしょうね、この話……(´-`)

まともな恋愛ものは書けませんorz

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