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習作短編集  作者: 脱兎
10/10

10,殺し屋


 湿った草を踏みしめる音が、星々を散りばめた夜空に吸い込まれていく。


 深い森。密生した木々の間をすり抜けて、一人の男が夜に沈んだ獣道を歩いていた。

 男は闇に紛れるような、上下ともに真っ黒な出で立ちに身を包んでいる。機動力に優れた軽い生地で、特殊な加工がなされている為か、布擦れの音はほとんどしない。

 傍目には分からないが、その軽装の内側には防弾防刃ベストが男の身体を厚く保護している。真っ当な職に就く者には縁遠い物だ。実際、男はおおやけには口に出せないような仕事をしていた。


 請負屋。男がはじめに名乗った屋号がそれだった。

 金さえ貰えればどんなことでもする便利屋。

 しかし、いつしか男は依頼を受けて人を殺めることを専門とする、『殺し屋』として名が知られるようになっていった。請負屋時代に受けた殺人依頼の手際の良さが話題になり、そのたぐいの仕事しか舞い込まなくなっていたからだ。男自身、それを不満とも思わなかった。

 いつしか自らの殺し屋を名乗るようになり、血と裏切りばかりの世界を生きていた。


 手の届く先すら満足に見通せぬ悪路を、男は躊躇ためらうことなく進んでいく。地面から隆起した巨大な木の根を平然とまたぎ、男の頭の位置まで垂れ下がっている枝を、さも見えているかのように払いのけた。

 手に懐中電灯を持っているわけでもない。彼の視界は完全に暗闇に包まれている。


 だというのに何故、男が目の効かない暗黒の中をこうも自然に歩めているのかと言うと、この森は男にとって自らの庭に等しいからである。

 手をついた木の感触や漂う草木の匂い、踏みしめた土や道幅等を元に、彼の脳裏にはこの森の見取り図が正確に作られている。


 ──ここか。


 男は左手が太い幹に触れたのを感じ、そこで立ち止まった。大きなうろの空いた、特徴的な巨木だ。

 

 そこで、男は初めて言葉を発した。


「全く、一体誰なんだ……。よりにもよってこんなところで、俺に殺し(・・)をして欲しいと云う奴は」


 その声に含まれているのは苛立ちのみではない。微かな声の震えが、男の不安を如実に表していた、

 しかし、辺りを覆う深淵を覗いたような暗闇や、時折短く響いている獣の唸り声など、男にとっては深い眠りに入った脳を目覚めさせることの叶わない、電子音のようなものである。歯牙にもかからない。


 男が臆する原因は、むしろこの地にあると言える。

 この森は男にとって、慣れ親しんだ場所であると共に因縁深い土地でもあった。


「レイ……」


 それは、今は亡き男の恋人の名だ。この手で葬った女の名前でもある。

 彼女はちょうど彼の足元の土の下で眠っている。

 


 男が恋人との永遠の決別を果たすこととなったのには理由があった。


 彼女もまた、男と同じく陽を浴びない稼業、殺し屋を名乗っていたのだ。

 二人は同業であったが、競争関係にはなかった。

 男は主に裏社会の人間や、表社会に居場所がなく失踪したとしても、まともに捜索願も出されぬような人物の抹殺を得意としていたのに対し、彼女は依頼を受けた者を、事故や自殺に見せかけて殺害する工作に長けていた。よって、対立などするはずもなかった。


 しかし──五日前。男はこの森のこの巨木の前に呼び出された。奇しくもそれは、今日男に命じられた殺害依頼と類似している。『時間になってこの場所に来た者を殺せ』という、ターゲットが曖昧な依頼であるという点も含めて。


 それ自体は構わない。相手が誰であれ、男はその者の命を奪うだけなのだから。

 男の武器は己の素手のみ。自身の手を汚すことが、死にゆくターゲットへのせめてもの手向けのつもりだった。

 故に余計な荷物を背負うことなく、おまけに勝手知ったる森が指定場所ということで、現場には時間より少し早く到着した。

 しかし、男はそこで予期せぬ先客を発見した。


 それは、何よりも愛おしい恋人の姿だった。

 彼女は腰を屈めて穴を掘っていたが、男の存在に気がつくと我を忘れたように棒立ちになった。

 

 男はそれで全てを察した。何者かは知らないが、謎の依頼人は男にレイを殺せと言っている。

 そして、女もまた男と同じ依頼を受けここに来たのだ。彼女が掘っている穴は、殺したターゲットを埋める為のものに違いない。


 おそらく、二人に指示を出した者は同一人物であろう。男と女が恋人関係にあることを知った趣味の悪い輩か──あるいは自分かレイのどちらか、または二人ともに恨みを持つ誰かが、無益な殺し合いを行わせようとしている。


 そこまで分かった上で、男は手袋をはめた。遺体に指紋を残さない為だ。

 そして女もまた、スコップを放り投げてどこからか小型ナイフを取り出した。彼女の仕事道具である。

 

 そして二人は見つめ合う。

 男は女を愛していた。女もまた、男を愛していた。

 しかしそんな感情を優先するには、二人ともこの血濡れた世界に長く足を踏み入れすぎてしまっていた。

 依頼主クライアントの意向は最善を尽くして叶えなければならない。それがどんなに悪意に塗れていても。


 それから先のことを、男は満足に思い出すことができない。

 唯一覚えていることは、女の細い首に手を掛けたことと、むせるような土の匂いだけだった……。

 


 ガサリ、と何かが落ち葉を踏みしめる音がし、男は沈んでいた思考を振り切り、そちらに意識を集中させる。

 その重みからして小動物の類ではない。

 鹿や野犬ならいいのだが。もし人間だとしたら、そいつは今日のターゲットだ。気を引き締めなければならない──。


 その時、急に男の視界が眩んだ。

 強い光が男の顔を真っ直ぐに照らしたのだ。


「来たのね……」


 それはレイだった。彼女は以前と変わらぬ姿を男に晒した。

 黒い艶髪を一纏めにし、やはり闇に潜む黒いライダーススーツを着ている。あの日の恋人の服装と寸分違わない。


 男ははっと息を呑む。

 彼女が実は生きていたのだ、などという夢想は一瞬足りとも脳をかすめなかった。男は自分でレイの冷たい身体を持ち上げ、穴へと落としたのだ。

 そんな幸せな物語のようなエンディングはあり得ない。

 信じ難いことだが、目の前の女はこの世の者ではない存在に違いないのだ。

 

 レイの透けるような青白い左手は大きなボストンバッグで塞がっており、もう片方の手には懐中電灯が握られていた。


「……レイ。お前は、」


「ねえ」


 女は男の言葉を遮り、膨らんだバッグを地面に落とすと、中から黒い何かを掴み上げた。

 それは拳銃だった。

 その時、男の脳裏にとある光景が映し出される。

 死の間際、男に首元を抑えられたレイが苦しげに目を歪ませ、懐から拳銃を抜いた時の、あの表情。引き金に掛かった細い指の震え。


 彼女が今手にしているのは、あの時の拳銃に違いない。


「そうか、俺のことを恨んでいるんだな」


 男は静かに目を閉じた。

 愛する女を地中に埋めてからこの五日間、男の心中に後悔が消えたことはなかった。


 殺したくなどなかった。死んでほしくなどなかった。しかし、男は自身の手でレイの身体から熱を奪った。

 あの瞬間ほど、男が自らの生き方を恨んだことはなかっただろう。


 レイはあっけなく自分のことを殺した俺のことを憎んでいるのだ。黄泉から蘇り、銃を持って目の前に現れるほどに。


 男は何もかも受け入れるつもりだった。


「そこを掘って」


 だから、レイの突飛な命令に目を見開きはしたが、抵抗するそぶりは見せなかった。

 レイが鞄の中から取り出した折りたたみのスコップを使い、彼女が指差した足元の地面を掘っていく。

 何をさせようとしているのか、分からないはずもない。ここはレイを埋めた場所だ。

 何が出てくるのか、想像できない訳がない。


 しかし、何のつもりでレイが男に自らの遺体を掘り返させようとしているのか、彼には分からなかった。


「レイ、お前は何がしたいんだ?」


 柔らかい土にスコップを突き立てながら、そろそろ埋蔵物が出てくるであろう辺りで、男はレイに顔を向ける。


 レイはかつての美貌のままに目を細め、長い睫毛を伏せた。

 

「私はあなたとずっと一緒にいたかった──でも、もう苦しまなくていいのよ」


 どこか冷たい響きで彼女は的の外れた返答をした。

 しかし、男にとってそれは十分すぎる答えだった。


「ああ……そういうことか(・・・・・・・)


 『ずっと一緒にいたい』。これを額面通りに受け取れば、レイは自らの亡骸の隣で男が永眠することを望んでいる、ということになる。

 そこまで理解して、男は苦笑した──まさか埋まっている物を掘り返しているのではなく、自分の墓を掘らされているとは。


 既に穴は深さ1メートルはゆうに超え、男がおさまるに十分なサイズに肥大している。

 生物だったものが放つ腐敗臭も、今や耐えきれぬほどに強まっていた。しかしそれが、物言えなくなったレイが健気に自分の居場所を伝えているのだと思えば、全く不快には感じなかった。


 男はその後もしばらく土を掻き出していたが、スコップの先に手応えを感じ、手を止めた。幾度となく石を突くことはあったが、それとは明らかに違う、柔らかな感触だった。


「ようやく会えるな」


 男は独りごちた。レイ──幽霊である彼女は苦しげに短く息を吐いた。男はそれを、変わり果てた自分の姿を見るのが心苦しいからに違いない、と考えた。

 

 男はスコップを置き、手袋をつけただけの両手で穴から土を掻き出す。彼女の柔肌をこれ以上傷付けてはいけない。作業は慎重に進められた。

 少しして、遺体の着衣と思われる黒い服が露わになった。男の額に冷や汗が滲む。


 これは──!


 しかし、男の土を掻く手は止まらなかった。その全貌を見なければ、真実を知らなければ、という男の渇きにも似た欲求は、既に抗えないほどだった。


 次第に、遺体の顔が土の中から見えてくる。

 その全てが空気に晒されて、男の心臓は高鳴った。興奮のあまり、男は体中を流れる血液が煮えたぎったように感じた。


「一体どういうことなんだ……!」


「これが真実なの」


 レイは落ち着き払った表情で、驚き狼狽える男を諭した。


「分かったでしょう? いいえ、分かっていたはずよ」


 美しいレイとは似ても似つかぬその遺体を優しい瞳で見つめながら、彼女は静かに言う。


「死んだのは──あなたなのよ」

 

 地中に沈んでいた男の身体は、額に穴が空いている以外に大きな怪我はなく、そして非常に安らかな顔をしていた。


 男は全てを思い出した。


 ──あの日。首に手を掛けられ最後の抵抗として女の手に握られた拳銃は、一発の弾丸を発した。

 その弾は男の頭を貫通した。一瞬の出来事だった。痛みを感じる暇もない。よって、男は自らが銃弾を受け、命を落とした事すら気が付かなかった。


 男にとって悲劇だったのは、『愛しい恋人を殺した』と思い続けたまま死亡したことだった。後悔の念にくさびを打たれ、男の魂は森を彷徨さまよっていた。


 おそらくレイは実体のない黒い男が森の中に現れる、という噂を聞いたのだろう。それが自ら命を奪った男であることを推測するのは、レイにとって簡単なことだったはずだ。彼女は未だ苦しみ続ける男を解放させる為に、忌まわしいこの地に再び舞い降りたのだ。

 

「ああ……」


 男は呟いた。感情の全てがそこに集結した、数多くの色を伴った声色だった。しかし、そこからは悲観的な響きは一切感じられない。


「そうだったのか……。俺は、お前を殺してなかったんだな」


 男は遺体そっくりの安堵の表情を浮かべた。そして一呼吸置く間もなく、男の身体は闇に融け込む様に消えていった。


だいぶ前に書いたものなので、文章がくどいです。

もっと短くまとめられる能力が欲しい……

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