お伽噺 2
ごめんなさい、私がくしゃみしたばっかりに。
お詫びに望みを叶えましょう。
その代わり、一つだけ頼まれてほしい事があるんです。
え、やってくださいます?ありがとう。
良かった、断られたら叶えられる望みが一つになる所でした。
先に言え?まあまあ、頷いてくださったんですし。
さてそれでは、あなたは【何】を望みますか?
聖暦247年、20年にも及ぶ人間と魔族との戦争は互いを疲弊させていた。
聖国ブラックと魔国ホワイト、言い換えれば魔族と人間の争いは互いに決定打に欠け、しかし停戦を申し出るには憎しみが深すぎた。
そんな折、聖国ブラックのある動きを、魔国ホワイトの間諜が掴んだ。
魔国ホワイトの王、魔王ホーリー二世の元に届けられた書簡には、新たな騎士の位が創設された事が記載されていた。
その位は、【勇者】と言った。
その位に就いたのはたった一人だった。魔王は勇者の名を魔参謀、魔将軍達幹部全員に知らせたが、誰一人として知る者はなかった。
歴戦の戦士でも有名な騎士でもないその男の名は、タダヒト=キヌタと言った。
勇者タダヒトの猛攻は凄まじかった。魔国軍の名だたる兵達が次々に撃破されていった。
勇者は決して敵を逃さなかった。勇者の出撃した戦いでは、魔国軍は文字通り全滅した。勇者は医療兵も輸送兵も等しく全てを殺した。
魔国軍は見る見るうちに劣勢になった。魔王は憤怒した。自ら出撃しようとした魔王は、しかし腹心達に引き留められた。
魔王様にもしもの事があってはならぬと、そう言われては魔王も黙る他なかった。
しかし勇者タダヒトの勢いは魔国軍の予想をはるかに上回った。勇者タダヒトは単身魔国に侵攻した。
恐るべき機動力と破壊力で全ての町、全ての集落、ありとあらゆる魔国民を皆殺しにしながら僅か三日で勇者は魔王都に到達した。
屈強な魔王の側近たちも、内政に長けた腹心達も、魔王の家族達も。魔王が心から愛した全てを破壊して勇者はついに魔王と相対した。
「お前が魔王か?」
へらへらとだらしなく笑った勇者を魔王は睨みつけた。この平べったい顔をした貧弱な体格の勇者が、魔王の全てを奪ったのだ。この品格も風格も威厳も何もない情けない男に。
「人間様を滅ぼして世界征服しちゃうんだって?残虐非道な魔王には正義の鉄槌を下さなきゃなー」
勇者は中空に手をかざし、何処からか異様な剣を取り出した。握りには布が巻かれただけで、鍔はない。身の丈ほどもある大きな包丁の様なそれを勇者は肩に担いだ。
「うぇっうぇっうぇっ、叫べぇ!我が名はぁ~さんげつぅ~」
奇妙な笑いで顔を歪ませながら勇者は魔王に襲いかかった。背筋を走った悪寒を堪え、魔王は愛剣セイントソードを抜いた。
「さすが魔王、これには付いてくるか。じゃあこれはどうだろなあ、うぇっうぇっ」
三度ほど剣を打ち合った後、勇者は一旦飛び退った。か細い腕で大剣を自在に操る不自然さも、体捌きの奇妙な拙さも、重すぎる攻撃も魔王の目につく違和感だった。
勇者が剣を一度揺らすと剣が形を変えた。四角い段平の様な剣である。しかしこれもまた、とても勇者の体格で扱えるとは思えぬほど巨大だった。
「うぇーい。咆えろさびまるっ、てか」
力みも気合も窺えない腑抜けた声で、勇者はさびまるとやらを薙いだ。魔王はどうにかさびまるとセイントソードを打ち合わせ、そしてその身を引き裂かれた。
四肢をばらばらに引き裂かれて魔王は崩れ落ちた。勇者は楽しげに、分解したさびまるを元の形に戻してどこかへ消した。
「んーやっぱこれには付いてこれなかったか。うぇっうぇっ、俺勇者~正義のみっかったぁ~悪を討ちぃ~輝く未来ぃ~、うぇうぇうぇっ」
勇者は笑いながらおかしな歌を歌い始めた。魔王は消えゆく命を感じながら、もはや機能しない眼で勇者がいるはずの場所を睨めつけた。この勇者ほど醜悪な存在を魔王は知らなかった。
「…勇者…なぜ、戦えぬ者まで…殺した…?」
魔王の脳裏を全てが過ぎっていった。愛したすべてを喪い、自分を最後にした勇者の悪趣味さには反吐が出そうだった。勇者は魔王のかすれ声も問題なく聞き取ったらしく屈みこんだ。
「あん?だって魔王はらすぼすだろ?そいで魔族ってのは悪い奴らだから全員やっつけなきゃいけないんだよ、おーけー?復讐されても胸糞悪いしなあ」
歪に笑う勇者を睨めど、魔王には既に答える力は残っていなかった。血を失いすぎた魔王はただ事切れるまで勇者の方を睨み続けた。
「涙も赤いのかよ、さすが魔族だな!まさに血涙、うぇっうぇっうぇっうぇっうぇ…」
魔王は首を切られて絶命した。
聖国ブラックは勝利に沸いた。勇者は群衆に称えられた。王都入り口から王城まで続くパレードは華やかで、民衆の気持ちを一層盛り上げた。
「勇者タダヒトよ、大儀であった」
王はまず勇者を労った。一切礼を取らないこの無礼者を快くは思っていなかったが、魔国を滅ぼしたのは間違いなくこの男だった。
「うぇーい。報酬下さいよ」
ふざけた返答で答えた勇者は、へらへらと報酬を要求した。王は額に青筋が立ちそうになったが、国の恩があると堪えた。
「よかろう、此度の活躍により勇者タダヒトには金貨100枚を…」
金貨100枚は、侯爵家の年収に匹敵する大金だった。しかし勇者はへらへらと笑い続けた。
「それっぽっちですかあ?聖国の救世主に、たったそんだけ?」
この辺りで近衛兵の幾人かが耐えかねたように剣を抜いた。そしてそのまま腕ごと剣を落とした。勇者は相変わらず突っ立ったままだが、いつの間にか周りに奇妙な物体が浮いていた。
「出血無いから死にませんよ、良かったですねえ。うぇっうぇっ。ふぁんねろって便利~」
玉座から見ていた王には、周りの物体から光が見えて、その光が腕を一部消し去ったように見えた。最初から座っていなければ、腰が抜けた事を悟られただろう。目に見えて王は震えだした。
「で?なにくれるんですかあ」
勇者は気味の悪い笑顔のままだった。しかし最早誰も勇者に立ち向かおうとはしなかった。
「決められないなら俺決めちゃいますよ?」
そして勇者が要求したのは、聖国の半分の土地、美しい女全員、国庫に入る税の半額を毎年、そして奴隷として屈強な男を全員だった。
「馬鹿な、そんな条件が飲めぅぐっ」
思わず反論した大臣の左太ももの半分から下が無くなった。盛大に倒れ込んだ大臣を助けようとした周りの召使いや重鎮たちが幾人も足を失って、その後は誰も近寄ろうとしなくなった。
「いいですよねえ、王様」
最早誰にも否やを唱える事は出来なかった。
勇者は約束通り、最も条件の良い聖国の西側を手に入れた。土地の中央には、一夜にして巨大な城がそびえたった。勇者は美女を周囲に侍らせ遊興に耽った。
身の回りの何もかも全てを女達にさせた勇者はある日食事中に笑い始めた。
「うぇっうぇっうぇ。これに毒入れたのは誰だぁ?」
寝所で寝転がったまま女達の手で食事していた勇者は、近くの女の尻を揉んだ。
「誰だあ?自分で言えば、今なら命は助けてやらなくもないぜ」
勇者はへらへらと周りの女たちを見まわした。怯えきった女達の影で、一人の女が身じろぎした。
「…覚悟!」
黒髪の女は隠し持った短刀で勇者の胸を刺した。勇者は何事もなかったように女の尻を揉み続けた。
「痛いなあ、うぇっうぇっうぇ。一番媚売ってた女が刺客か、王道だな~」
女はばらばらになった。血も出ず、まるで積み木のようにサイコロ状に分解されて女は消えた。
「ああ、殺してないよ?俺って優しい~、敵にも慈悲を!ってか、うぇうぇうぇ」
紙の様な顔色の女達を見まわして、勇者は悦に浸った。
勇者は統治を行わなかったが、与えられた役目に背こうとした瞬間に破裂して絶命する者が続出して以後、何一つ問題は起こらなかった。
逃げようとした瞬間に裁かれる、反乱の意思を表示しただけで裁かれる。勇者が得た土地の人間は感情が覆い隠されていった。
笑うのは勇者だけだった。勇者は何度となく襲撃され、それは全て成功したが、勇者は死ななかった。
「いいこと教えてやるよ、俺って不老不死なの」
それは本当の意味で永遠に続く恐怖だった。
十年にも満たず聖国は国としての体裁を保てないほど衰退した。勇者タダヒトは癌細胞の如く聖国を食い荒らした。
聖国の近隣国にもその手は伸び、全ての国の軍隊を文字通り一人で全滅させた勇者は全ての国から聖国と同じものを奪った。
「タダヒト様万歳!!」
いつの間にか、勇者タダヒトに媚び諂う者が現れた。勇者タダヒトはその者達を側に置いたが、自分以外の何者にも決して権力を渡さなかった。
「ああ、お前らみたいな媚びてる奴見るのは嫌いじゃないなあ、犬っころみたいでさ、うぇっうぇっ。でも時々ムカつくわ、犬みたいで」
媚びた誰かはただ近くで勇者の恐ろしさを身に刻むだけだった。耐えきれなくなった者から破裂して、その後は誰一人として勇者に近づこうと言う者はいなくなった。
「なー今日の晩飯何?」
勇者の側にいるのは、勇者の側を離れた瞬間死ぬ女達だけだった。勇者が特別に気に入った女達だったが、一番入れ替わりが激しいのもこの女達だった。
「はい、勇者を称えるスープと勇者を称えるソテーと勇者を称えるパンです」
女は笑って答えた。その笑顔は明らかに取り繕ったものだったが勇者が気にした様子はなかった。
「勇者様、どうぞご覧になって下さい、私の怨念を」
勇者に組み敷かれて女が笑った。女の腹は女の手で貫かれ、腸が飛び出して大量の血が出ていた。
「んあ?いや別に平気だし。戦争の時のがグロかったしなあ」
女は憎悪を剥き出しにして勇者を睨みつけた。勇者はどうでもよさそうに腰を振った。
「それはいいけどさ、俺がいくまで死ぬなよお前。俺そういう趣味ねえから」
あるとき世界の誰かが呟いた。
「こんなに願っているのに」
「こんなに祈っているのに」
「こんなに呪っているのに」
「何故あんなものが」
「何故あんなけものが」
「なぜあんなけだものが」
「どうして彼女が死ななければならない」
「どうして彼が死ななければならない」
「どうしてあいつが生きていなければならない」
そしてある日。誰かが空を見上げた。
「そうか」
「神はいないのだ」
途端、勇者は消えた。煙よりも早く、まるで最初から居なかったように、消えた。
「…あ。七千十二番シャーレ、試験体の消失を確認しました」
「おっけー、報告書も出しといて。室長に回すからさ」
「了解です。しかし今回早かったですねー」
「だよね、七千番台ってついこないだ乗ったばっかり…ってこれさっき仕込んだやつじゃん」
「さっきチャイム鳴ったから…二時間経ってないですね。新記録ですよ先輩」
「時間換算表どこやったかな?あ、あったあった…えーっと僕らの一年にあたる時間がだいたい十分だから…菌的には十年くらい?」
「うーん…いくら弱った菌群とは言え、たった十年で消滅条件を満たすなんて、ある意味才能に溢れた菌だったんですね」
「いや凄いわ、ほんと。どんな条件だったっけ、何々?【存在を心から否定される】…えー」
「それって結構難しいですよね。一体何したんだろ?すーごい勢いで数が減ってましたけど」
「縄張り争いとかじゃない?記録見ないと何とも言えないけど。ハイパースピーディーキャメラでゆっくり再生したら推測ぐらい出来るかな?」
「多分…。あ、ちょっと先輩コーヒーこぼさないでくださいよ、コップ置いてからだらけてください」
「んー。しっかし単細胞のくせに高度な社会を築く好戦的な菌かあ。自分で研究しといて何なんだけどちっとも解明できた気にならないよ」
「自分もです。この実験の目的って何なんでしょうね?いや解明は勿論ですけど、だって――」
「特に高度に繁栄した菌群から無作為に選出した試験体を程度の低い菌群に混入させた結果を観察している事に何か文句でも?休憩か?【二人揃って】、【私のいない間に】。今菌群を見ているのは誰だ?」
「!」
「!」
「し、し、室長、おかおかお帰りなさいいい」
「うむ歓迎御苦労、それで?今菌群を見ているのは誰だ?」
「あ、あ、あ、あの」
「いやべつにこれは」
「御託は良いから観察を再開するんだ。お前達がコーヒー啜ってくっちゃべってる間にいったいどれほどの変化が起きたか全て説明できるのか?」
「…ふん、逃げ足の速いことだ。しかし今一つ不真面目なのは頂けんな。うかうか会議にも出られん」
「おや。七千十二番はもう消失したのか」
「確か…シャーレ内に限り不死及び全能に設定したんだったか。どうも全能設定のグループは短命だな。過ぎた力は身を滅ぼすという事なのか」
「室長、しかしその仮説には疑問が残ります。六百六十六番シャーレはもう一年、五万四千年試験体が生存しています」
「うむ、しかし四百にも及ぶ全能グループのほぼ全てが百年経過しないうちに消滅したことを踏まえると、アレは例外と見てよさそうだが」
「なるほど。では、そろそろ全能グループの試験は切りあげましょうか。コストの割に早々に消失するので、上からの圧力が強くなっていますし」
「それは否めんな。ハイスピードキャメラの映像もあまり気分の良いものでもないし、よし、承認と伝えておいてくれ」
「了解いたしました。室長、判子ください」
「ん。ほら、捺しといてくれ」
「ちょっ、室長、判子の管理が雑過ぎて俺泣きそうです。この判子でどれだけの事が出来るか考えてみてくださいよ」
「気にするな。今は胸糞悪い試験を終了できる程度の事が出来れば良い。試験体の増長っぷりには吐き気がしてたんだ」
――こうして、勇者砧唯人=キヌタ・タダヒトの生命活動記録は終了した。
[試験結果:九年五カ月十八日四時間三十六分十二秒、消失条件達成。
特記:なし。
備考:菌の消失率が類を見ない速度だった。我々で言う大虐殺を行った可能性あり。
以上の結果を持って、全能試験の成果の疑問性を提示する。これほどに消失条件を迅速に満たす条件は他になく、継続しても同様の結果しか得られないのではという推測が……(報告書より一時抜粋)]