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終末世界の歩き方。  作者: 上野羽美
DEAD ZONE
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第九十八話「chain・2」

 理屈が駄々をこねる。頭の奥で、締め付けられるような胸の奥で、渇きを覚える喉の奥で馬鹿な真似はやめろと叫んでいる。今までお前に何ができた?何もできなかったはずだ。周りを見てみろ。お前との差は歴然としている。お前に彼らのような強い意志があるとでもいうのか?さっさと任せるんだ。何もかも「やっぱりなんでもない」と言ってまた託せばいい。


 けれど体は動く。階段の正面に向かい歪な息遣いが聞こえてくる暗闇と対峙する。


 俺をそうさせるのは一種のノイズみたいなものだった。色を持ち音を持つノイズ。今、目の前にある暗闇に時折フラッシュバックするように覆いかぶさるノイズ。


「狙って……撃って……殺せ」


 ノイズが語り掛けるそれを小さく反芻する。安全装置を外し、スライドを引いたところで成塚さんはライトを正面に向けた。


「奴らは目が見えていないわけではない。すぐにでもこちらを視認するだろう。一発でなどとは言わん。確実に殺すんだ。いいな?」


 唾を飲みこむと同時に頷く。

 階段の奥を凝視するゾンビは自分に光が当たったのに気づいたのかゆっくりと体を横に向ける。足場というものを考えない足の運びはすぐにでも階段を踏み外しそうで、その恐怖が心臓を掴んでいる。言う通りにすぐにでも引き金を引かなければならないだろう。


 数日前にゾンビと対峙した時、結局俺は撃てなかった。人は人を殺せない。人を殺すには人でない何かにならなければいけない。今がその時なんだろうか。

 二つの白い目がこちらを向く。ゆっくりと口が空き、体が動こうとしている。覚悟は決まってる。あとは引き金を引くだけだ。弾が放たれるトリガー。人でなしに変貌するためのトリガー。


 狙って撃って殺せ。

 人差し指の感覚は想像していたものよりずっと軽いものだった。


 当たった。確かな手ごたえを感じた。銃弾を喰らったゾンビは後ろへと倒れ、階段を五段ほどガタガタと転がり落ちていく。


「もたもたすんじゃねぇ。上にもいるのを忘れんなよ」


 銃弾を当てたことに喜び褒めたたえたのは自分だけだった。まぁ、いい。今はその時じゃない。


 緊張と歓喜で手が急にこわばりはじめる。引き金を引く。当たりはしない。ゾンビはゆっくりと踊り場から這いずって階段へと進んでいく。頭の揺れが少ない分、さっきよりはずっと狙いやすいはずだった。

 さっきのはまぐれだ。完膚なきまでにまぐれだ。


 狙う。どこを撃つべきか慎重に見定める。狙いをつける。なんとなく自分の中の恐怖が引いているのは分かっていた。暗闇の中の正体不明な魔物も光を照らして姿が見えればある程度の恐怖が引いて来る。

 しかし、引くのは恐怖だけじゃなかった。今さっき引き金を引いた時にはあった何かが欠けていた。損失した人間性とでもいうべきか。損失したのに欠けているというのもおかしいけど、今必要なのは人間性を失うことだ。成塚さんもそう言っていた。

 右手をゆっくりと前に出すゾンビは……いや、彼は、自分よりも少し幼いように見えた。真っ白な目に傷一つない白い肌の青年。必然的に顔も知らないあいつと重なる。


 あいつは今どうしているのだろうか。そんなこと今考えなくたっていいのに溢れるようにあいつの声が脳内で反響する。


「狙って、撃って、殺せ」


 引き金を引く。だらりとぶらさがる右腕に当たる。黒い血が跳ねる。手はさらに強張る。


「ダメじゃねぇか。弾切れにならないうちに成塚に……」


「大丈夫です」


 ノイズはまだ見えている聞こえている。自分は人間性の損失とはほど遠い位置にいる。引き金を引ける人間じゃない。どこまでも無力な人間の一人だ。

 狙って撃って殺せ。この言葉にすべてを預ければいい。


 構えて右腕から黒い血を流す彼の目に視線を向ける。

 人を殺すときは目を見るな。何かの映画で聞いたことがある。けれど目を見なきゃ頭には当たらない。殺しきれるのは脳への一発のみ。成塚さんの言う通りに意識を少し下に向けれるのならそこには二つの目がある。逸らすことはできない。


「ごめん」


 ふと、考えもしていない言葉が口からこぼれた。他の誰でもない目の前にいる彼に向けた言葉。引き金を引くと彼の側頭部を弾が抉った。

 手からこわばりが消えていく。代わりに唇が震えはじめる。ギュッと唇を噛んでからもう一度銃を照準を合わせる。


「ごめん」


 震えの止まった人差し指が引き金を引いた。放たれた銃弾はど真ん中とまではいかないが確実に脳を突き抜けた。(こうべ)を垂れて今度こそ完全に力が抜けた右腕がそれを証明した。

 涙腺が湿り、一粒だけ理由のない涙がこぼれる。


「……ごめん」


 言葉にはなっていなかった。傍にいる誰にも聞こえないほどかすれてか細い声。


 狙って撃って殺せ。あの時の言葉は自分が死なないためのものじゃないような気がしてきた。生きるために殺すんじゃない。白狼や准尉はそれを知っている。その片鱗が自分にも届いたような気さえした。


 引き金を引いた今でも自分は人間のままだった。暗く重い感情は去来しなかった。


「……大丈夫か?」


 成塚さんが肩に手を置く。凍り付くほどの暗闇の中でその手は陽だまりのような温度を保っていた。


「……はい。なんとか」


「……すごいじゃん日野君!」


「いつの間に特訓してたんだ?俺たちじゃああはできなかっただろうな」


 歓喜の声もほどほどに石井君たちも俺を囲んでくれる。羨望の眼差し。自分は確かに頭の隅で想像していた自分になっている。

 でも、そうじゃない。そうじゃないんだ。


 言葉をグッと飲み込んで俺たちは再び階段を上り続けた。







「チャーリー?チャーリー聞こえる?応答して!」


「……はいゴメス軍曹ですけど?今どこです?第三小隊だけ帰国の準備が整ってないってテナーマン少尉に怒られたんですけど」


「帰国の準備なんてとんでもない!今から中隊長に連絡を取るからあんたたちだけでも準備して!帰国じゃなくて救出の準備!」


「……なんてこった。そりゃほんとですか。……まぁすぐにでも出れるようにはしときますけど、大尉がなんていうか」


「あんたが気にすることじゃないでしょ!それより早く!時間がないの!」


「……了解……」


 

 あれ以来、閃光が上がることはなかった。たった三発だけの救難信号。誰に届くかも、届くかどうかすらも分からない希望をあたしたちは確かに受け取った。

 ジープは既にライトをつけて薄暗がりの道を走っている。今日は生憎の曇り空で、雲は厚く今にも雨が降り出しそうだった。普通よりも暗くなるのはずっと早い。閃光から数分。あの音に気付いた感染者たちはぞろぞろとあのタワーマンションへと集まり始めるだろう。そうなったら車の中とはいえ安全とは言いがたい。あたしたちには一刻も早く救援が必要だった。


「……次は大尉に連絡を取らなきゃですね少尉」


「ええ。そうみたいね。一筋縄ではいかないと思うけど」


「……他人事みたいに言わないでくださいよ」


「だって連絡取るのはあんたの仕事でしょ?あたしは運転しなきゃならないの」


「なんでそうなるんすか!?」


「自分で考えることね。オーウェン小隊長」


 ああ……。と目元を抑えて自分の責務を思い出した准尉がため息をつく。今のあたしが何を言ってもあの男はあたしと取り合わないだろう。どのみち准尉に任せるしか他ないのだ。准尉は大げさにも胸元で十字を切ってから無線機に話しかける。


「……こちらオーウェン准尉です。救難信号を発見。生存者のものと思われます。これから言う地点まで救援を要請したいのですが応答願えますか」


 嫌な沈黙が走る。あの冷血な大尉だ。何を言われるか分かったものじゃない。数秒置いて応答した声は紛れもなく平坦で冷淡なあの男の声だった。


「オーウェン准尉。白狼は隣にいるか?君たちは今どこにいる?」


「この前の場所と同じところです大尉。待機の命を破ったことは認めますが今は迅速な判断が必要かと」


「頭で分かっていたのならそれをすべきじゃなかったな。……まったく君たちは軍属というものをまるで理解しちゃいないみたいだ」


「そうかもしれませんね。うちの小隊は死地に来て半分狂っちまったんですよ。それで、どうなんですか。今度こそ応援を寄越してくれるんですかね」


「まず状況が詳しく知りたい」


「それについてはマディソン少尉からどうぞ」


 それ以上喋りたくなかったのか、准尉は無線機を私に近づける。アクセルを緩め、そのままジープを走らせる。


「この地域で一番高いと思われるタワーマンションの屋上から閃光を確認しました。三発……照明弾ではなく、花火かと思われます」


「花火?」大尉が冗談を聞いたかのように笑う「それは確かに花火だったのか」


「ええ。確実にこの目と耳で確認しました。准尉も確認済みです」


 問題はここからだ。


「……なるほどなるほど。それを確認したのが我々を危険に曝しかねない二人だということを除けば信頼に値するな」


「……クソッたれ」准尉は窓の向こうへと吐き捨てる。


「大尉、あなたの言葉を忘れたわけではありません。救いを求める人を救うのが我々の目的だと、先日あなたは言った。それを実行するのは今この時かと」


 これ以上こいつにあたしたちの使命を否定させるわけにはいかない。この地が死地と分かっていながら救いを求められる人だけを救うと大尉はあたしに言い放った。今更覆すわけにはいかないだろう。いや、そうとは言い切れないのかもしれない。次は見返りが求められそうな生存者しか相手をしないと抜かしてもおかしいことじゃないのかもしれない。

 とにかくあたしは大尉の返答を待った。苛立ちを胸に、こめかみからは汗を流しながら。


「分かった。そちらに救援を送ろう」


 長くは感じていたが返答は数秒後だった。あの大尉から放たれた言葉だとしたら殊勝だろう。


「ただし、我々は次の任務に移らなくてはならない。そのためには人員も必要だ。分かるな?」


「ええ」


 大尉が何が言いたいのか、あたしにはすぐに分かった。


「送る救援は准尉の率いる第三小隊だけだ。それ以外の小隊は悪いが送り出せない」


「ありがとうございます」


 うちの一個小隊だけ……なるほど、十分すぎる。皮肉でも何でもない。尻尾を巻いてこの地から逃げ出すことを最優先に考えている他の小隊など居ても役には立たないだろう。たかが一個小隊。それでも彼らが見てきたもの、人々を救う意志、感染者を相手にするという事、どれをとっても他の小隊には決して引けを取らないと信じている。


「それから……明日の夕刻までには生存者を引き連れてこちらへ帰投してこい。置いていく事はしないが他でもない、君と准尉のためだ。これ以上私の中隊から死者を出さないでくれよ」


「了解しました」


 無線を置き、運転席へと目をやる。心地よさそうに口角をあげて准尉は笑っていた。


「死地に突っ込むには十分っすね」


 軽い調子で准尉はあたしが思っていたことと同じことを口にする。


「ああそうだ。十分だ」


 これで一つの約束が果たせる。もう一度、あんたの目の前でしっかりと向き合える。アメリカの未来を背負った白狼ではなく、あんたの属するチームのリーダーとして胸を張って正面から向き合える。


 車はまっすぐ暗雲に向かってそびえ立つタワーマンションに向かっていた。

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