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終末世界の歩き方。  作者: 上野羽美
DEAD ZONE
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第九十三話「閃光」

「それで、どこ向かおうってんです?」


 助手席に乗り込んだ准尉は半ば呆れながらあたしに尋ねる。


「どこにも」


「……つまりそれは?」


「目的があるならこれは命令違反になるでしょう?」


「待機って命を既に破っているような気がするんですが」


「そうだとして、なら小隊長としてあたしを止めなかった理由は?」


「……止めても無駄だからですよ。次に少尉が馬鹿でも馬鹿な真似はしないって言えるからだ」


「一言余計な気がするけど」


 エンジンをかけて早々に敷地の外へと赴く。どこかの誰かが中隊長に命令されてあたしたちを追いかけてくるものだとは思っていたけれど、敷地内に立つ隊員はあたしたちの後を目で追うに留まった。敷地は未だに少しではあるけれど車の出入りがある。もちろんその数も少し前と比べて非常に少なくなっている。不用意に目立って感染者の気を引くのは避けたいのだろう。

 ゲートを押し開ける隊員はあたしたちを一瞥して手早くことを済ませると他の隊員と同じようにあたしたちを目で追いかけていた。


「日が暮れる前には帰ってくださいよ。あと一時間もしたら日が暮れる」


「それも分かってる」


 今のあたしにとって待機していることほど酷なものもない。なんでもいい。ただ前に進みたい。アクセルを踏み、ハンドルを操作して自分の思う場所へと車は進んでいく。抜け殻になった街並みに蔓延る、抜け殻みたいな人影の横を車は走っていく。

 こうなる前にここに来てみたかった。あたしは日本の街並みを見てそう思う。

 狭い大地に寄り添いあうように人の住まいが所狭しと立ち並んでいる。どこもかしこもグレーやクリーム色といった味気ない色の建物で、かつての活気をすべて失ってしまった景色はなおのこと寂しいのだろう。


 こうなる前は。

 きっとこの味気ない色の建物の中に多くの笑顔があって、会話があって、愛があって、はぐくみがあった。今からでもそれを取り戻すのはきっと遅くないはずだ。そして今もこの国の逃げ惑う日々に生きている人たちはそれを心から望んでいる。

 取り戻さなければ。そう約束したのだから。


「……少尉がどこに向かうのか、言わなくても分かるような気がしますよ」


 流れていく青い看板のローマ字を読みながら准尉は呟くかのようにあたしに声をかける。


「あたしは自分でそれを理解していないんだけど、あんたに分かるの?」


「ああ。俺とあんたが忘れ物をしたとこだ」


「行ったって何ができるわけでも無いでしょう」


 そんな言い訳をしても確かに准尉の言う通りにあの場所へと車は進んでいる。それに気づいたからと言ってUターンするような気もわかない。ただ気の向くままに。無駄な時間。無駄な行為。沸き立つような焦燥と後悔の念を少しでも払拭しようともがいているだけ。


 車はやがて小高い丘の上にあるコンビニエンスストアで止まる。「電気が止まってからずいぶんと日が立つけどこの時期なら飲み物くらいなら大丈夫だろう」限りある物資を横領するような行為だったけど言って聞かないような准尉を止めることは叶いそうになかった。


「小隊長命令ですよ。早くそこに停めてそこに」


「無茶苦茶言うわねあんた」


「パニック発生時に真っ先に強盗に走った奴らを誰だと思ってるんですか?」


「銃を携行していた警官やら州兵」


「知ってるじゃないですか」


「……本当にそうだと思ってるの?あんなん噂に決まってるでしょ。政府や警察に対しての怒りだとか、自分たちが強盗に走りたいがために作った口実だとかね。実際にはあたしは前線で吐き散らしながら不死者と戦ってた。守るべき人たちがそんなうわさを流してまで犯罪を犯してたなんて知らずにね」


 車を降りたあたしは早々に銃を取り出して店内の様子をうかがう。薄暗く店内の様子はうかがえないけれど思っているよりも散らかっているわけではなさそうだった。


「一応お望みの物は揃いそうだけど」


 自動ドアは閉めきったままで強引にそれを開けようとすると店の奥から人影がぬっとあらわれてくる。当然その人影は純粋な意味で生きているとは言えない状態だった。


 両手で構えた拳銃から放たれる弾丸。乾いた銃声。耳の奥にいつまでも残るいつもの銃声。


 目の前の感染者は何も恐れることなくただ飛来してきた弾丸に撃たれ、何を思うでもなく今度こそ完璧に死んでいく。


「……ごめんなさい」


 これが彼女が感じていた感染者に対する痛みか。引き金を引いた後で謝罪を述べたあたしはただただ無力な一人の人間だった。


「なにかあるなら手早く済ませなさい。一発撃ったってことはつまりはそういう事だから」


「分かってますよ。少し喉が渇いただけだ。すぐにでも用は済みますよ」


 准尉の言葉を聞いて頷いた後で人影を見逃さぬように周りに注意を向ける。ほかの小隊から報告があった通り、感染者の密集していた地域も今やその影もまばらになっている。あたしたちが掃討したわけではないので今までまばらだった地域に感染者が集まっているという事だろう。


 生きている人間にとってそれは幸なのか不幸なのか。


 今感染者は至る所に居て、いつどこから現れるのかが非常に予測しにくい。生存者にとっては今までの状況と今の状況に差異など無いだろう。でもあたしたちは違う。


 一発の銃声がどこまで響き、どの程度の数をおびき寄せるのか。密集地域も考慮しての逃走ルートも割り出さなくてはならない。密集地域がなくなった今、あたしたちは本当に死と隣り合わせの状況にある。自分たちの安全を確保しろと大尉の言うことも分からないではないけど、それとこれとは話が違う。ただ生き延びるのではなく、誰かを助けるのだから。


 見上げる日暮れ前の空は静かに雨雲が立ち込めていて、じきにこの地域にも雨が降るのだと教えてくれている。風はいつもよりも冷たく、道路わきに等間隔で並べられた背の低い木々の枝が揺れている。


 そんな風に運ばれてやってきたのは小さな発砲音にも似た破裂音だった。


 銃声とも言い難いどこからともなく聞こえてきたそれをあたしはしっかりと耳に入れていた。すぐさま振り返り、小高い丘の駐車場から急いで身を乗り出すようにして街並みに目を見張る。


「……少尉!!今のは……」


 先ほどの小さな破裂音が聞こえていたのか准尉が後ろから駆けつけてくる。あたしの隣に立ち、あたしの見えているものと同じものを目に焼き付けて准尉は息を呑んだ。


 距離にして数キロ先、薄暗い空に上がる小さな閃光(ひかり)


 まもなくして、あたしの耳に先ほどと同じ破裂音が訪れる。







 

 控えめに言っても限界だった。行きつく暇さえこの世界は許してくれない。階段に逃げれば一時的なセーフゾーン。そう思っていた俺がなんだか馬鹿馬鹿しくて笑えて来る。小学生が考えた鬼ごっこじゃないんだ。そんなことがあってたまるか。

 ゾンビたちはどこに逃げてもそこにいる。階段の踊り場にセーフゾーンを見つけたって数十分後には踊り場がディナーを乗せた皿と同義だ。


 俺たちが一息つく方法はただ一つ。そこらじゅうを歩くゾンビたちに見つからないまま、そのまま見つからずにいれる場所を探すということ。


 それすらも無理な話だ。武器を振り戦わずして前には進めない。息を切らし足音を響かせずには街中のゾンビからは逃げきれない。秋津さんも成塚さんも石井君たちも白い息と一緒に血を吐きそうなくらい消耗していた。何もしてない俺ですら冷え切った足も横腹も悲鳴を上げている。


 秋津さんたちはまだ雨宮君たちを諦めてはいない。そんな考えが少しでも頭に浮かんでいるならとうの昔にここから離れていたことだろう。死を恐れる恐れないなどの領域などとうに追い越して、彼らの目にはもう目的しか見えていない。


 雨宮君たちがまだ生きていることも、自分たちが助けることも当たり前のように感じているのだ。そういう結末しかこの人たちは考えていない。始めのうちは俺も疑問を抱いていたけど、あまりにもまっすぐに進もうとする彼らに感化されて俺ですらそうとしか思えなかった。


 感覚がすでに麻痺している?もし本当にそうなら大歓迎だ。じゃないとこんな街を歩けるわけがない。


 秋津さんたちが彼らを探し始めて何度目かの日暮れが間もなく訪れようとしている。明らかな睡眠不足、栄養失調、寒さによる体力の減少。やつれきった俺たちに容赦なく夜が訪れようとしている。


「でも探すんだ。助けるんだ」


「たりめーだろ」


 切れた息と同時に小さく呟いた俺に秋津さんが返す。


「まだ陸たちはここにいる。俺は絶対に諦めねえからな」


 狭い通りはまた大通りに続いて、ここからでもかすかに聞こえる足音やうめき声に向けて、秋津さんは刀を抜き小さく走り出した。


「……君はいい。まだそれを使う時じゃない」


 秋津さんに続こうと懐に隠しているグロックに手を掛けた俺を成塚さんは優しく手で差し止めた後でマチェットを抜いて秋津さんに続いた。

 足手まといだと言いたいわけじゃないことは痛いほど伝わる。だからこそ自分の無力が際立っていた。


 空は冷たく重い色をしていて、この世界にはぴったりだとなんとなく思った。


 自分の数メートル先で、気持ちの距離で言えばもっともっと遠いところで、血飛沫が舞い、刃が骨を断ち重たい人の一部が落ちていく。そこに行きたいわけでもないのに俺はこの距離をとても心苦しく思っていた。


 紛れもなく、完璧なまでに役立たず。

 自分をそう評してポケットに突っ込んだグロックに触れる。


 パン。


 だからこそその破裂音には死ぬほど身震いした。突然の暴発だと瞬時に頭が理解して、そのまま心臓を止めてしまいそうなほどに体は大きく揺れ、俺は小さく悲鳴を上げた。

 けれど、痛みはなく俺が上げた悲鳴にすら全員が気づかずにいる。


 パン。


 次の音でその音がここから離れた位置で鳴っていることに気づく。ゾンビたちを倒し、大通りを横切ろうとする秋津さんたちの耳には届いていないみたいだった。

 いそいそと走り出し、音の位置を探るように大通りの真ん中で小さくステップを踏むようにしてキョロキョロと上空を見上げる。


 携帯電話会社の看板が屋上で主張しているビルの影の向こうで確かにそれは見えた。


 小さな閃光(ひかり)

 続く小さな破裂音。


 大きなタワーマンションの屋上からあがったのは真冬にあがった季節外れの花火だった。

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