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終末世界の歩き方。  作者: 上野羽美
DEAD ZONE
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第八十八話「かくして糸は断ち切られる」

「噛まれた人間はゾンビになる。それを君たちは理解していると思う。なんたって君たちはこの地を歩き回って来たんだからね」


 それはこの世界で歩いていくための基本的な原則。未知のウイルスか、神々の怒りによって定められた理不尽なまでのルール。私の顔を見つめる少女たちは小さく頷くか、或いは目を伏せながら私の話を耳に入れている。


「君たちにも、そうなってしまった時のルールがあったんだろう?」


「ルールですか?」と最上さん。


「ああ、大事なことだよ。外を歩くなら何よりも一番最初に決めなくちゃいけないことだ。君たちにはなかったのかい?仲間が噛まれたら、どうするのか」


「……考えたことも無いです」私に視線を向けられた有沢さんが促されたように答える。


「……ああ、それはいけない。誰かが噛まれたこともなかったのかい?」


 目の前で顔を伏せたままの彼女が目に入り、自分が失言をしてしまったことを悟る。


「……ああ、ごめん。君はそうだったんだよね。その時君はどうしたんだい?」


「三上さん」案の定、最上さんが私を言葉で制止する。


「最上さん、ダメだ。大事なことなんだ」


 でなければ人は簡単に人を裏切るから。最上さんからうつむく彼女に視線を合わせた時には彼女はこちらを向いていた。


「どうすることもできませんでした。奥から響く彼の悲鳴をただ聞いていました。怖かったのと、泣いていたことは覚えています。私は弱かった」


「責めてるわけじゃない」


「いえ、分かっています」


「でもそれじゃあだめだ。誰かが噛まれたなら、君たちはバラバラになる。疑いの渦が巻き起こり、たちまち殺し合いが始まる」


「……そうは思えないです」


「いいや、そうなるんだ。君たちにはその経験がない。だからそう思い、発言できる。絶望の淵に立たされた人間は何をするか分からない」


「じゃあどうするんですか」


「殺そう」


 場の雰囲気が変わったのを私は肌で感じる。言葉を選ぶ必要があったかもしれないが、こんな世界じゃわかりやすい方が良いに決まっている。倫理などを気にしている場合ではない。どれだけ耳障りが悪かろうと伝わりやすさが優先なのだから。

 幼く、殺人とは縁遠かった彼女たちの目は淡い涙にぼやけ震えている。


「……でもこれが一番いい方法なんだ。彼のような愚図が駄々をこねている間に仲間はどんどん死んでいく。心配しないでくれ。君たちに頼むようなことはしない。私が責任を持って殺す」


「三上さんが噛まれたらどうするッスか」


 突き刺すような低い声の彼女。私は彼女にゆっくりと振り返る。


「……その心配はないよ。私は経験者だ。噛まれることは無い。今までだってそうだった」


「私たちも今までそうだったッスよ。けど、誰一人噛まれないとは言い切れないッス。大切なことなら自分だけは例外なんて絶対あり得ない事じゃないッスか」


「なら、君はどうする?」


「三上さんが先パイにしたことと同じことをするッス」


 正直に言えば、私は彼女に質問する前に彼女の返答とそれに対する自分の返答の想像はついていた。根本と目黒のやり取りで一度身に覚えがある。感染したら人を殺すとして、果たしてそれができるのだろうか。私は彼女に問うつもりだった。「本当に殺せるのかい?」


 現実の私は押し黙っている。


 小さく、力も無さそうな彼女。到底人が殺せるようには思えない。けれどその瞳はそういった考えを彼方に追いやるくらい、力強く敵意に満ちている。


 殺す、とは一言も彼女は言っていない。しかし、口で言わずとも彼女の目がそう言っている。「私はあなたを殺す」そうして実際にやってのけるのだろう。


「結衣ちゃん……?」


「……君は、まだ分かっていないみたいだ。これは私怨を持ち込むような話じゃない。雨宮君の事は残念だった。でも、そうする必要があったからそうしたんだ。分かるだろう?噛まれてしまったら人じゃあない。そして、この世界で生き延びたいならそういった脅威は排除しておく必要がある。必要なことなんだ」


「分かってないわけないじゃないッスか。先パイのことだって痛いくらい理解してるつもりッスよ。三上さんも言うように必要なことなんスよね。だからお互い覚悟するッス」


「そうは思えないな」


「……何がッスか」


「……私怨で殺されるのは我慢ならない。君は私を恨んでいる。それが君と私の間にある溝だよ。そしてその溝がある限り、私は君を信用できない。何度もそうやって裏切られたのだから」


「なら、私をここで殺すんスか」


「結衣ちゃんもういいから……」


 私は何も言わずにため息をつく。酷く大きなため息。煙草の煙を吐くように。


 ああ、この少女はもうどうやったって私の敵になるほかないのだろうか。拒絶の瞳。根本や矢木たちとは違う、けれどどこかで見覚えのある瞳。

 あの男の瞳か。けれどどの男だったかは覚えていない。先日まで一緒に行動していたような気はする。


その瞳の持つ意味は一番理解しがたく、その瞳は私とは遠くかけ離れたところにあるような気がする。


 人間にとって理解の外にいるものは敵だ。必然的に拒絶し、本能がそれを取り除こうとする。


 体が震え、わなわなと何かが足元から這い上がるようなおぞましい感覚が襲ってくる。


 これは彼女の仕業か?きっとそうだ。


 おもむろに立ち上がり、私はバールを手にする。その挙動に震え、強張っていた彼女たちの体が跳ねあがる。誰かが悲鳴をあげてまだ小さな彼女はとうとうぐずりだす。


「わ、私をここで殺したら……どんな目に遭わされるか分かったもんじゃないっスよ……!ヤクザもついてるし、警察だって」


「だが今はどうだい?」玄関への戸の前に立ち、諭すように語る「今の君たちに何ができる?一方的に、私に殺される以外に何ができるっていうんだい?敵に回す相手はよく考えておけ」


 彼女たちの瞳が、拒絶一色の瞳に替わる。


「殺しがしたいわけじゃない。私だって望みは君たちと同じだ。助かりたい。ただそれだけだ。それを拒むというのならそれ相応の手段に出る。生存者はみんなそうやってこの世界を歩いているんだろう?」


「それじゃあ……私たちをひどい目に遭わせた人たちと同じですよ……」


 ああ、きっとそうなのだろう。だが、その人たちは本当にひどい人だったのだろうか?生き延びるために手段を選ばないことは非情なことではない。


 君たちのような愚図は、あるいはそれらの行為を非情と言うのだろう。残酷だと。人でなしだと。道徳的でなく、鬼の成せる所業だと。

 だが結局彼らは生き残る。そしてこの世界ではそれが何よりも優先される。


 蜘蛛の糸は垂れてこない。


 善行など積む必要はない。


 この地獄で生き残りたいというのなら、他人を踏み越えて這い上がるしかない。


 立ち尽くす彼女。見下ろす私。


 彼女たちを踏み越えて私は這い上がる。


 けれど、地獄の底からその足を掴まれるような、そんな不快な感覚が脳裏をよぎる。


 ガタン。


 隣の部屋から一瞬だけ鳴った、こもったような物音。私を含めて、誰もがくすんだ白い壁を見つめている。


「先パイ……?」


「いや、違う。あれは、雨宮君じゃない」なんにせよ、私はとどめを刺しておくべきだった。「様子を見てくるよ」

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